【ウサジイ昔ばなし】〈140〉・・・こんな仕込みも…@
(ひょっとしたら、以前と重複の記載もあるかもですが…)そして(懐かしさはあるものの、決して以下の状況をヨシとしてるわけでもなく…)ただ単に、こんなこともありましたとさ…てな感じで話します。通常のレパートリー作品以外の作品創造時の話です。
1980年代中盤「ガリヴァー」:演者は幼児作品3人班×2と、公演班以外からも2人ほどを合わせた大所帯。大型の高学年向き作品で、作品創造にもそれなりに期間が必要だった。が、当時の幼保作品は一年を通して、平日は午前&午後の二回公演が普通。それだけ需要があったので、日程を空けて仕込むような考えはなかったようだ。もちろん最後は、専念できる期間が確保されてたが…。で、どうなるかと云えば…午後公演を終えて劇団へ帰る。すると演出=関矢氏が待ち構えていて、昼間に練っていた構想に基づき稽古が始まる。多分21or22時頃まで。はっきりした記憶ではないが、そんな期間が何度かあって本仕込みに入ったように思う。ジイは入ったばかりで比較するモノもなく、疑問すらなかった。全員が20歳台だったから体力もあったのかな?あ、それから小学校班も公演が忙しく、道具など製作の手伝いをする体制も作れず…どう考えても初演に人形が間に合わない!基本構造はできていても、表面処理まで手が回らないモノがある!しかし、演出=関矢氏「役者は『人形工房の者達』と設定しよう。だから作りかけの人形があっても構わない」いや〜、ビックリ。が、観る者にとって、想像する余地残るフォルムとなりました。
同じく1980年代中盤「雪をんな」:初演は(今は無き)名演会館プロデュースと云う形で、劇団から3名+人形劇団パンの1名がメンバー。お芝居は、三味線語りに合わせて和紙人形が演じるという形。(狂言回しの人形には、面白おかしいやり取りがあったが…)2劇団合同だったし、何より三味線のY氏の都合があって、稽古は早くて19時〜・場所は名演会館。翌日も公演のある日も多く、さすがにその日の内には稽古終了…なのだが…Y氏「チョットいきますか」と御猪口を持ち上げる格好。伝統芸能の世界はそう云うものなのか?彼独自の習性なのか?お断りするわけにもゆかず、帰宅は2〜3時になったり。これまた若き体力で乗り切る日々でした。幸い和紙人形+道具は、美術=O氏がこだわりの製作で作り上げてくれた。・・・脚本=S氏・演出=T氏を含め、スタッフ等は鬼籍に入られた方が多く、時の流れを感じるばかり。
2025年05月21日
2025年05月16日
ウサジイの公演日記#1134
【ウサジイ昔ばなし】〈139〉・・・Gボン〜シンナー
チョット面倒くさい人間であるジイは、新人がボンド作業をしていると「ここ!この容器の注意書きを読みなさい。正しく接着しないと剥がれやすいから」言われなくてもそのうち判るのだろうが、言わずにはいられないジイ。Gボンドは速乾とは云うものの、そこそこ乾きかけないと溶剤の逃げ道がなくなり、完璧な接着にはならない。使用法順守は他の接着剤も同じ。そんな訳で半乾きorほぼ乾きになってから貼るのだが、これも湿度次第で時間が変わる。1990年代「おいしい眠り方」…青年向けにチャレンジした作品でのこと。著名人を模った巨大な顔だけの人形。たたみ2/3畳ほどの大きな顔に、布を貼る作業があった。ベテラン女性陣が担当したが、大きすぎるので場所を取る。そこで「おこもり」=大根山の旧稽古場近くに借りていた4軒長屋のアパートの一室での作業となる。あいにくの雨天で乾きにくい‥‥と云うか、大気中の湿気を吸い込んで、塗り終えたボンドが白っぽく泡立ってくる。そこはベテラン陣、ドライヤーを操って張り込み作業を完遂。ジイには無理だったなぁ。
今でも多々あるが、このボンド、衣服に付いたら簡単には取れない。放っておいて後から丁寧に摘まむのが一番。そうとは知らずジイ入団した年、作業中にトレーナーに付け、しかもすぐさま擦って台無しにしてしまった。悲しいほど薄給の時代、入団後初めて意を決して購入したトレーナーだった。渡り鳥が並び飛ぶようなデザイン。まぁ、えてしてこんなもんなんでしょう。もちろん着続けましたよ、公演先へも。他には無いんだから。
…話ついでにシンナーの思い出。1990年代後半「サンショオウォーズ」舞台のバックに、無数のサンショオウオ等を配した巨大な幕を飾ることになる。美術スタッフ/小原氏に、その作業を任された。3名ほどのチームでジイがリーダー。稽古場に広げては稽古の妨げ。当時借りていた「追風」(=プレハブ倉庫を地名で呼んでいた)に幕を吊り、指令通り油性ペイントで色付する。まずコンプレッサーで逆巻く波を描き、その後スタンプでサンショオウオを押してゆく。油性ペイントを溶剤のシンナーで緩くし吹き付けてゆくのだが、本来倉庫である空間の換気は良いわけではない。2〜3分吹き付けると「退却〜!」と叫び、戸外へ逃れしばらく待つ。倉庫内の視界が復活すると作業再開。夏場であり、倉庫の床にはシンナーにやられた夏虫が無数に転がっていた。今では考えられない、危険な方法でした。
チョット面倒くさい人間であるジイは、新人がボンド作業をしていると「ここ!この容器の注意書きを読みなさい。正しく接着しないと剥がれやすいから」言われなくてもそのうち判るのだろうが、言わずにはいられないジイ。Gボンドは速乾とは云うものの、そこそこ乾きかけないと溶剤の逃げ道がなくなり、完璧な接着にはならない。使用法順守は他の接着剤も同じ。そんな訳で半乾きorほぼ乾きになってから貼るのだが、これも湿度次第で時間が変わる。1990年代「おいしい眠り方」…青年向けにチャレンジした作品でのこと。著名人を模った巨大な顔だけの人形。たたみ2/3畳ほどの大きな顔に、布を貼る作業があった。ベテラン女性陣が担当したが、大きすぎるので場所を取る。そこで「おこもり」=大根山の旧稽古場近くに借りていた4軒長屋のアパートの一室での作業となる。あいにくの雨天で乾きにくい‥‥と云うか、大気中の湿気を吸い込んで、塗り終えたボンドが白っぽく泡立ってくる。そこはベテラン陣、ドライヤーを操って張り込み作業を完遂。ジイには無理だったなぁ。
今でも多々あるが、このボンド、衣服に付いたら簡単には取れない。放っておいて後から丁寧に摘まむのが一番。そうとは知らずジイ入団した年、作業中にトレーナーに付け、しかもすぐさま擦って台無しにしてしまった。悲しいほど薄給の時代、入団後初めて意を決して購入したトレーナーだった。渡り鳥が並び飛ぶようなデザイン。まぁ、えてしてこんなもんなんでしょう。もちろん着続けましたよ、公演先へも。他には無いんだから。
…話ついでにシンナーの思い出。1990年代後半「サンショオウォーズ」舞台のバックに、無数のサンショオウオ等を配した巨大な幕を飾ることになる。美術スタッフ/小原氏に、その作業を任された。3名ほどのチームでジイがリーダー。稽古場に広げては稽古の妨げ。当時借りていた「追風」(=プレハブ倉庫を地名で呼んでいた)に幕を吊り、指令通り油性ペイントで色付する。まずコンプレッサーで逆巻く波を描き、その後スタンプでサンショオウオを押してゆく。油性ペイントを溶剤のシンナーで緩くし吹き付けてゆくのだが、本来倉庫である空間の換気は良いわけではない。2〜3分吹き付けると「退却〜!」と叫び、戸外へ逃れしばらく待つ。倉庫内の視界が復活すると作業再開。夏場であり、倉庫の床にはシンナーにやられた夏虫が無数に転がっていた。今では考えられない、危険な方法でした。
2025年05月15日
ウサジイの公演日記#1133
【ウサジイ昔ばなし】〈138〉・・・Gボン
人形や道具を作る際に、接着剤は必須。主に使うのは…木工や紙類に使う酢酸ビニル系の「白ボン」・石油製品をはじめ万能なゴム系の「Gボン」・空白部分を埋めながら固めてくれるエポキシ系の「二液」〜「」内は当劇団での通称。ボンドは「コニシ」の商品名だが、一般名詞になりかかっている気がする。その昔のセメダインの様に。(あ!GボンドはコニシのボンドG10でした)他に瞬間接着剤を使用することもあるし、ゴム系でもスチロール可のモノをはじめ種類は多い。・・・実は本日、「ニルス」に登場する小人の頭にガーゼを貼る作業をした。貼りながらGボンドの旧い話題が出た。そんな入口からアレコレ思い出した。
劇団では大量に使うため、通常3sの大容量缶を購入する。そこから小分けして使う。今はジャム等の空き瓶に移し、プラスティック製のヘラで塗っている。パレットナイフだったり、竹を削った特製品を使う者もいる。が、ジイな入団した頃は、もう少し大きめのインスタントコーヒーの空き瓶が多かった。塗るのは、ボンドにオマケで付いてくる刷毛。竹の柄+黒い毛足の巨大歯ブラシ状のモノ。大きな面に塗るには便利だが、細かい作業には向いていない。刷毛先をノコで切って小さくしたり、最終的には自分の指で塗っていた。溶剤としてシンナー系が使われているのだから体に良いわけない。でも…「慣れりゃ指に付かなくなる。それがプロの証明だ」なんて意味不明なコトを言いながら作業していた。
購入先も変遷。最初は地元・鳴海商店街の塗料屋だったと記憶している。ペンキとは溶剤が同じだからだろうか?(因みに白ボンドも、地元のインテリアも扱う雑貨屋でした)ホームセンターができてからは便利になったが、購入時に署名が必要な時期があった。大容量だと使われているシンナーも大量で、どうやら悪用=シンナー遊び対策だったらしい。 (…つづく)
人形や道具を作る際に、接着剤は必須。主に使うのは…木工や紙類に使う酢酸ビニル系の「白ボン」・石油製品をはじめ万能なゴム系の「Gボン」・空白部分を埋めながら固めてくれるエポキシ系の「二液」〜「」内は当劇団での通称。ボンドは「コニシ」の商品名だが、一般名詞になりかかっている気がする。その昔のセメダインの様に。(あ!GボンドはコニシのボンドG10でした)他に瞬間接着剤を使用することもあるし、ゴム系でもスチロール可のモノをはじめ種類は多い。・・・実は本日、「ニルス」に登場する小人の頭にガーゼを貼る作業をした。貼りながらGボンドの旧い話題が出た。そんな入口からアレコレ思い出した。
劇団では大量に使うため、通常3sの大容量缶を購入する。そこから小分けして使う。今はジャム等の空き瓶に移し、プラスティック製のヘラで塗っている。パレットナイフだったり、竹を削った特製品を使う者もいる。が、ジイな入団した頃は、もう少し大きめのインスタントコーヒーの空き瓶が多かった。塗るのは、ボンドにオマケで付いてくる刷毛。竹の柄+黒い毛足の巨大歯ブラシ状のモノ。大きな面に塗るには便利だが、細かい作業には向いていない。刷毛先をノコで切って小さくしたり、最終的には自分の指で塗っていた。溶剤としてシンナー系が使われているのだから体に良いわけない。でも…「慣れりゃ指に付かなくなる。それがプロの証明だ」なんて意味不明なコトを言いながら作業していた。
購入先も変遷。最初は地元・鳴海商店街の塗料屋だったと記憶している。ペンキとは溶剤が同じだからだろうか?(因みに白ボンドも、地元のインテリアも扱う雑貨屋でした)ホームセンターができてからは便利になったが、購入時に署名が必要な時期があった。大容量だと使われているシンナーも大量で、どうやら悪用=シンナー遊び対策だったらしい。 (…つづく)
2025年05月11日
ウサジイの公演日記#1132
【ウサジイ昔ばなし】〈137〉・・・ピアノ線A
1990年代初頭「悟空誕生」:ジイが演じていた仙人の住まい「斜月三星洞」、その門を模った大道具の扉。取外し蝶番の部品にピアノ線が使われていた。径4o程のL字型の小さな部品。旅公演中の仕込み時に…見つからない!アレが無いと門の態を成すことができない!おそらく13時会場入りの18時開演と云ったところだったろう。時間はある、幸いピアノ線の予備もあったので作ることにした。この太さだと、劇団ではバーナーで真っ赤に熱したところをハンマーで叩いて曲げる。しかし熱源はない。仕方なく大工作業用の金槌で叩いて曲げる。始めは駐車場脇のコンクリートの角を使っていたが、ピアノ線の硬さに負けて崩れそうになる。で、搬入口の鉄製の縁を頼りに、なんとか「く」の字にはなり、そのツアーをしのげた。今考えれば、曲げずともテープ類でストッパーを作れば済んだものを…。焦っていたんですねぇ。
2000年頃「まっくろネリノ」かな?:愛知県内の幼保公演から松本の保育園巡演に向かう日のこと。長時間の移動とて、舞台のバラシを急いでいた。と…痛!!背景を架けるためのピアノ線を踏んでしまった。引っ掻けるために曲げてあったので、先は上を向いている。その上に乗っかてしまった。尖っていないので刺さりはしない。少々痛かったが撤収を済ませ、松本へ移動。その途中、ジワジワと痛みが膨らんでくる。到着する頃には我慢ギリギリ。病院へ行き理由を話すと「一旦は相当入り込んだのでしょうか、いずれにしても内部の組織が傷んでいますねぇ」…これと云った治療方法もなく、絆創膏的なモノを貼ってもらい帰りました。
2010年代:TV・CMでの人形操演の依頼が来た。人形は別の方が作ってくれるらしい。ジイ達は動かすだけで良いという。指定されたスタジオに赴くと、数層の蹴込み枠・賑やかなライティング・数台のカメラなどがセットされ、いかにもプロの世界を感じる。(ジイ達も操作のプロではありますが、なにせマイナーな業界ゆえオドオド感は否めない)ところが渡された人形(=いわゆるパクパク人形+片手のみ指金)を手にし、唖然・・・。本体の作りにも難はあるが、問題は指金が「自由自在」で出来ている!ピアノ線が手に入らず太めの針金(=番線)を使用する場合はあるが、曲げやすい性質のアルミ材とは…。これでは手を動かそうにも力が伝わらない。とにかく現場にあった棒状のモノを添木にして操作した。遣うことのない方が映像だけで作るとこうなるのでしょう。
1990年代初頭「悟空誕生」:ジイが演じていた仙人の住まい「斜月三星洞」、その門を模った大道具の扉。取外し蝶番の部品にピアノ線が使われていた。径4o程のL字型の小さな部品。旅公演中の仕込み時に…見つからない!アレが無いと門の態を成すことができない!おそらく13時会場入りの18時開演と云ったところだったろう。時間はある、幸いピアノ線の予備もあったので作ることにした。この太さだと、劇団ではバーナーで真っ赤に熱したところをハンマーで叩いて曲げる。しかし熱源はない。仕方なく大工作業用の金槌で叩いて曲げる。始めは駐車場脇のコンクリートの角を使っていたが、ピアノ線の硬さに負けて崩れそうになる。で、搬入口の鉄製の縁を頼りに、なんとか「く」の字にはなり、そのツアーをしのげた。今考えれば、曲げずともテープ類でストッパーを作れば済んだものを…。焦っていたんですねぇ。
2000年頃「まっくろネリノ」かな?:愛知県内の幼保公演から松本の保育園巡演に向かう日のこと。長時間の移動とて、舞台のバラシを急いでいた。と…痛!!背景を架けるためのピアノ線を踏んでしまった。引っ掻けるために曲げてあったので、先は上を向いている。その上に乗っかてしまった。尖っていないので刺さりはしない。少々痛かったが撤収を済ませ、松本へ移動。その途中、ジワジワと痛みが膨らんでくる。到着する頃には我慢ギリギリ。病院へ行き理由を話すと「一旦は相当入り込んだのでしょうか、いずれにしても内部の組織が傷んでいますねぇ」…これと云った治療方法もなく、絆創膏的なモノを貼ってもらい帰りました。
2010年代:TV・CMでの人形操演の依頼が来た。人形は別の方が作ってくれるらしい。ジイ達は動かすだけで良いという。指定されたスタジオに赴くと、数層の蹴込み枠・賑やかなライティング・数台のカメラなどがセットされ、いかにもプロの世界を感じる。(ジイ達も操作のプロではありますが、なにせマイナーな業界ゆえオドオド感は否めない)ところが渡された人形(=いわゆるパクパク人形+片手のみ指金)を手にし、唖然・・・。本体の作りにも難はあるが、問題は指金が「自由自在」で出来ている!ピアノ線が手に入らず太めの針金(=番線)を使用する場合はあるが、曲げやすい性質のアルミ材とは…。これでは手を動かそうにも力が伝わらない。とにかく現場にあった棒状のモノを添木にして操作した。遣うことのない方が映像だけで作るとこうなるのでしょう。
2025年05月10日
ウサジイの公演日記#1131
【ウサジイ昔ばなし】〈136〉・・・ピアノ線
人形劇界ではお馴染みのピアノ線。機械工業では多用されているに違いないが、それ以外こんなに必要とされている業界はないだろう。今、仕込み真っ最中の「ニルス」、最近ジイに振られた作業がピアノ線曲げ。それで様々思い出したわけです。因みにその作業は…人形のパーツにピアノ線を装着し、数カ所曲げると云うモノ。幸い径1.5oとペンチで曲げられる太さだが、同じ面で曲げ→それとは垂直面で曲げ→・・となると、そう易々とはゆかない。ねじれた格好になりやすい。そこで今回ジイが考えたのは、(説明しにくいのだが)パーツが収まる溝のある木型の治具を作り、それからはみ出た線を曲げるという方法。これだと平面で処理できる。最終的には職人的勘(?)に頼ることになるんですが、何とかできました。
さてそのピアノ線、今は首都圏の業者から取り寄せている。数年前までは、地元・緑区の業者に赴き、直接購入していた。おそらく付近の工場へ納入する会社だと思うが、快く分けてくださっていた。(2o以下の細いモノは、鳴海駅近くの模型屋で買うこともあった)が、何かの理由で営業を止めてしまった。という訳で通販に頼ることになるのだが…数年前「スイミー」仕込み時のPC検索では、必要とする径2oがなかなか見つからない。製造元の工場へ問合わせると「出来上がりはロール状で保管している。直線に伸ばして切断するのに経費がかかる。少量では厳しい価格になるよ」とのこと。…その時はハンズアネックス(中区栄)で60p長のモノを必要ギリ確保して乗り越えた。(…その後、今の購入先をどう見つけたか?不明だが、良かった!)
針金とは異なって鋼鉄製のため、ペンチで切断できるのは径1oチョットまで。それ以上の太さになると、ワイヤーカッターを使う。劇団には数種類のカッターがあり、太さによって使い分けているが、3oにもなるとかなり難しい。最近は電動糸鋸の下で休眠中の超大型カッター。これだと3oもOKなのに、形状が不思議だからか(?)使われることが少なくなった。(電動ディスクグラインダーでの切断が主流かな?)因みに、この超大型、その昔は「閻魔大王」と呼ばれていた。・・・次回は、ピアノ線にまつわる思い出ばなし。
人形劇界ではお馴染みのピアノ線。機械工業では多用されているに違いないが、それ以外こんなに必要とされている業界はないだろう。今、仕込み真っ最中の「ニルス」、最近ジイに振られた作業がピアノ線曲げ。それで様々思い出したわけです。因みにその作業は…人形のパーツにピアノ線を装着し、数カ所曲げると云うモノ。幸い径1.5oとペンチで曲げられる太さだが、同じ面で曲げ→それとは垂直面で曲げ→・・となると、そう易々とはゆかない。ねじれた格好になりやすい。そこで今回ジイが考えたのは、(説明しにくいのだが)パーツが収まる溝のある木型の治具を作り、それからはみ出た線を曲げるという方法。これだと平面で処理できる。最終的には職人的勘(?)に頼ることになるんですが、何とかできました。
さてそのピアノ線、今は首都圏の業者から取り寄せている。数年前までは、地元・緑区の業者に赴き、直接購入していた。おそらく付近の工場へ納入する会社だと思うが、快く分けてくださっていた。(2o以下の細いモノは、鳴海駅近くの模型屋で買うこともあった)が、何かの理由で営業を止めてしまった。という訳で通販に頼ることになるのだが…数年前「スイミー」仕込み時のPC検索では、必要とする径2oがなかなか見つからない。製造元の工場へ問合わせると「出来上がりはロール状で保管している。直線に伸ばして切断するのに経費がかかる。少量では厳しい価格になるよ」とのこと。…その時はハンズアネックス(中区栄)で60p長のモノを必要ギリ確保して乗り越えた。(…その後、今の購入先をどう見つけたか?不明だが、良かった!)
針金とは異なって鋼鉄製のため、ペンチで切断できるのは径1oチョットまで。それ以上の太さになると、ワイヤーカッターを使う。劇団には数種類のカッターがあり、太さによって使い分けているが、3oにもなるとかなり難しい。最近は電動糸鋸の下で休眠中の超大型カッター。これだと3oもOKなのに、形状が不思議だからか(?)使われることが少なくなった。(電動ディスクグラインダーでの切断が主流かな?)因みに、この超大型、その昔は「閻魔大王」と呼ばれていた。・・・次回は、ピアノ線にまつわる思い出ばなし。
2025年04月25日
ウサジイの公演日記#1130
【ウサジイ昔ばなし】〈135〉・・・演技4
3人班が基本なんです、むすび座は。創立者曰く「三人からが集団」、つまりアンサンブルとしての形はそれ以上で成立するという訳です。なので(創立直後を除き)長年二人班はなかった。できたのは2000年頃、お母さん班を作った時。子育てしながら舞台に立つために、3名が2人班をローテーションで回してゆく形で。これはその後、数年続きました。その経験を引き継いで、ベテラン2人が4年ほど活動した。それに続いたのがジイ達=おさんぽ劇場。…あ、この件に関しては、また別の機会に。
で、二人班での公演活動に入ったジイ。メンバーCちゃんは年齢はそこそこ離れていますが、劇団歴の差は4年。入団後しばらくは役者〜子育て時に制作部+脚本を書いていた多才な人物。ジイとしては、オチオチ胡坐をかいている訳にはゆかない状況…というか…むしろスタンスの一致を感じる。子どもに対する・演技に対する感覚に一致が多い。なかなかに心地よいステージを過ごせた。その中で「芝居とは・演技とはどうあるべきか?」が進化できたような気がする。旨く言えないのだが、作品創造の段階で&日々の上演の中で実験と検証を繰り返してきたような感じです。
「ぶんぶく茶がま」=和尚のいい加減な演技・「ゆいとケンムン」=オバア人形の皮膚感覚を実感する・「ヤンチャメッチャブー」=超即興性・「カミナリカレー」=何もしない時間を楽しむ・「ともだちや」=人形を振り回す演技もOK…等々。新しいお芝居に出会う度に、何かしら新しい演技の在り様を見つけてきた気がする。・・・そのうち、他班の作品を観たり、他劇団のお芝居に触れたりするうちに、チョット過激に云うと「人形なんてあれば良い」=良き人形に越したことはないが、要は演技だ。更には「演技は二の次、人間性・役者の思想が重要」なんて考えるようにもなる。絵画においてデッサンの力量は必要だが、それが上手いだけではそれ以上には進まない…と思うのです。
そんなことを思う頃に出会った言葉…「演劇というアートの素材である俳優は、虚構の空間に確乎として存在するのが役目です。俳優は、存在できないと説明の演技に頼ることになります。脚本の内容や人物を説明するための演技は、演劇の魅力を半減させてしまいます」
3人班が基本なんです、むすび座は。創立者曰く「三人からが集団」、つまりアンサンブルとしての形はそれ以上で成立するという訳です。なので(創立直後を除き)長年二人班はなかった。できたのは2000年頃、お母さん班を作った時。子育てしながら舞台に立つために、3名が2人班をローテーションで回してゆく形で。これはその後、数年続きました。その経験を引き継いで、ベテラン2人が4年ほど活動した。それに続いたのがジイ達=おさんぽ劇場。…あ、この件に関しては、また別の機会に。
で、二人班での公演活動に入ったジイ。メンバーCちゃんは年齢はそこそこ離れていますが、劇団歴の差は4年。入団後しばらくは役者〜子育て時に制作部+脚本を書いていた多才な人物。ジイとしては、オチオチ胡坐をかいている訳にはゆかない状況…というか…むしろスタンスの一致を感じる。子どもに対する・演技に対する感覚に一致が多い。なかなかに心地よいステージを過ごせた。その中で「芝居とは・演技とはどうあるべきか?」が進化できたような気がする。旨く言えないのだが、作品創造の段階で&日々の上演の中で実験と検証を繰り返してきたような感じです。
「ぶんぶく茶がま」=和尚のいい加減な演技・「ゆいとケンムン」=オバア人形の皮膚感覚を実感する・「ヤンチャメッチャブー」=超即興性・「カミナリカレー」=何もしない時間を楽しむ・「ともだちや」=人形を振り回す演技もOK…等々。新しいお芝居に出会う度に、何かしら新しい演技の在り様を見つけてきた気がする。・・・そのうち、他班の作品を観たり、他劇団のお芝居に触れたりするうちに、チョット過激に云うと「人形なんてあれば良い」=良き人形に越したことはないが、要は演技だ。更には「演技は二の次、人間性・役者の思想が重要」なんて考えるようにもなる。絵画においてデッサンの力量は必要だが、それが上手いだけではそれ以上には進まない…と思うのです。
そんなことを思う頃に出会った言葉…「演劇というアートの素材である俳優は、虚構の空間に確乎として存在するのが役目です。俳優は、存在できないと説明の演技に頼ることになります。脚本の内容や人物を説明するための演技は、演劇の魅力を半減させてしまいます」
2025年04月20日
ウサジイの公演日記#1129
「冬ソナ」韓国・春川と姉妹都市の岐阜県・各務原市で「ももん&カミナリ」の公演。主催は、子ども食堂などに取組んでいる社団法人。共催の子ども劇場メンバーが関りを持っている。そんな流れで実現したステージでした。会場作りや当日の流れは、劇場さんのベテラン勢と中高生が担ってくれた。けれども実は、ここも劇場運営が困難になっているらしい。こんなに元気な方々が沢山いるのに…色々と難しいことがあるのだろう。
ところで上演は、客席の反応が二重丸!取り分け女子・熟年層の笑い声が響いていた。「カミナリ」の(子どもにはチョット難しいかなぁ?)的な爺さんやカミナリ母さんの機微に的確に反応してくれる。例えば…ゴロちゃんに褒められ、思わず張り切ってしまう爺さん・有無を言わせずゴロちゃんを引っ張り上げる母さん・爺さんの「まったく喧しい親子だ」等々。ジイ達としては「してやったり」。おそらく長年舞台を観てこられた方々なんだろう、入り込み方を知ってるんですね。
3歳未満の子たちもチラホラ。「ももん」では相当に乗ってくれる。「カミナリ」になってもじっと観てるが、前列の女の子が舞台際までやって来ては、戻って行く。転換の音楽には体を揺らしているから、飽きてしまったのではなさそう。客席両端の係の方は少々心配されていたようだが、ジイ達にとっては嬉しい反応でした。あの位の子は、様々な距離・角度で観ていたいのだろうか?
ところで上演は、客席の反応が二重丸!取り分け女子・熟年層の笑い声が響いていた。「カミナリ」の(子どもにはチョット難しいかなぁ?)的な爺さんやカミナリ母さんの機微に的確に反応してくれる。例えば…ゴロちゃんに褒められ、思わず張り切ってしまう爺さん・有無を言わせずゴロちゃんを引っ張り上げる母さん・爺さんの「まったく喧しい親子だ」等々。ジイ達としては「してやったり」。おそらく長年舞台を観てこられた方々なんだろう、入り込み方を知ってるんですね。
3歳未満の子たちもチラホラ。「ももん」では相当に乗ってくれる。「カミナリ」になってもじっと観てるが、前列の女の子が舞台際までやって来ては、戻って行く。転換の音楽には体を揺らしているから、飽きてしまったのではなさそう。客席両端の係の方は少々心配されていたようだが、ジイ達にとっては嬉しい反応でした。あの位の子は、様々な距離・角度で観ていたいのだろうか?
2025年04月19日
ウサジイの公演日記#1128
【ウサジイ昔ばなし】〈134〉・・・演技3
30歳代は小学校公演班。新人から中堅、そしてベテラン側に差し掛かる時代。有難いことに、おやこ・子ども劇場公演も多く、地元の小学校公演と合わせると、現在の幼保公演並みの数をこなしていた。という訳で、とにかく走り続けた感がある。取り分け西遊記シリーズでは、先輩方の影響が大きかったかなぁ。悟空役=その後、劇団を立ち上げたN氏・八戒役=その後、大型作品にこだわり…早逝されたU氏・そしてジイが悟浄。人間の本質はそう易々とは見えないが、チョット見は役柄通りの方々であった。(ただ共通点=大酒飲みは間違いない)N氏には卓越した操作術・台詞術を、U氏には作品に対する想いの深さを学んだ。そして、役者と云うモノはその人らしさが一番だと思えるようになれた。自分は自分らしくやってゆく。それがある面、一番だと教えてもらった先輩です。
40歳になるころ、幼保班に戻る。大規模班にも難しさはあるけれど、3人班は少人数なりの大変さもある。そしてジイは、教えてもらう立場ではなくなった…のかな?2〜3年でメンバーが変わったりするのだが、最初の3〜4グループではリーダーであった。そして必ず、新人がメンバーに加入する。ジイなりの演技観を伝えるに、相手の感覚を考慮しなくちゃならない。なかなか難しい作業なんだが、自らがもう一度考える良いチャンスでもあったような気がする。そんなこんなの時代が15年ほどあって、2人班が始まる。・・・もう一回
30歳代は小学校公演班。新人から中堅、そしてベテラン側に差し掛かる時代。有難いことに、おやこ・子ども劇場公演も多く、地元の小学校公演と合わせると、現在の幼保公演並みの数をこなしていた。という訳で、とにかく走り続けた感がある。取り分け西遊記シリーズでは、先輩方の影響が大きかったかなぁ。悟空役=その後、劇団を立ち上げたN氏・八戒役=その後、大型作品にこだわり…早逝されたU氏・そしてジイが悟浄。人間の本質はそう易々とは見えないが、チョット見は役柄通りの方々であった。(ただ共通点=大酒飲みは間違いない)N氏には卓越した操作術・台詞術を、U氏には作品に対する想いの深さを学んだ。そして、役者と云うモノはその人らしさが一番だと思えるようになれた。自分は自分らしくやってゆく。それがある面、一番だと教えてもらった先輩です。
40歳になるころ、幼保班に戻る。大規模班にも難しさはあるけれど、3人班は少人数なりの大変さもある。そしてジイは、教えてもらう立場ではなくなった…のかな?2〜3年でメンバーが変わったりするのだが、最初の3〜4グループではリーダーであった。そして必ず、新人がメンバーに加入する。ジイなりの演技観を伝えるに、相手の感覚を考慮しなくちゃならない。なかなか難しい作業なんだが、自らがもう一度考える良いチャンスでもあったような気がする。そんなこんなの時代が15年ほどあって、2人班が始まる。・・・もう一回
2025年04月14日
ウサジイの公演日記#1127
静岡県の中ほど、お茶畑の広がる牧之原市で「ともだちや」の劇場公演。実はこの作品、諸々の事情で昨年秋を以て終演の予定でした。が、これまた諸々の事情で上演が続くことになりました。その頃に旧知の方から連絡が入った「『ともだちや』ってまだできるの?秋までって書いてあるけど」丁度上演の延長が話し合われている時で、ありがたいことに公演が実現しました。
…で、旧知の方と云うのは、ジイの大学サークル時代の後輩である(知る人は知ってる)半農半芸の人形劇人…の奥さん。1980年代・ジイが「石の馬」でうかがって以来、大変お世話になっている。おやこ劇場の活動に尽力されているわけだが、多分に漏れず会員減少の傾向。けれども、その前向きな気持ちには、こちらが励まされるほど。この日の開演前の挨拶でも「今日、新入会が4名ありました。これで劇場の会員は30名になりました!」…そして会場からは大きな拍手。また、今年度は劇場の周年事業で、地元に所縁のあるパフォーマーの連続公演(年間5回)を企画。行政に助成金を申請しているが、下りなくてもやります!とのこと。
さて搬入時には3名程の方が手伝ってくださったのだが、お二人は車で小一時間かけて来たという。お住まいの地域にも劇場はあるのだが、この劇場の雰囲気が好きで会員になっているらしい。確かに、出会ってきた劇場さんにはそれぞれの色がある。どれが良いわけではなく、構成メンバーの雰囲気が反映されていて面白い。
…で、旧知の方と云うのは、ジイの大学サークル時代の後輩である(知る人は知ってる)半農半芸の人形劇人…の奥さん。1980年代・ジイが「石の馬」でうかがって以来、大変お世話になっている。おやこ劇場の活動に尽力されているわけだが、多分に漏れず会員減少の傾向。けれども、その前向きな気持ちには、こちらが励まされるほど。この日の開演前の挨拶でも「今日、新入会が4名ありました。これで劇場の会員は30名になりました!」…そして会場からは大きな拍手。また、今年度は劇場の周年事業で、地元に所縁のあるパフォーマーの連続公演(年間5回)を企画。行政に助成金を申請しているが、下りなくてもやります!とのこと。
さて搬入時には3名程の方が手伝ってくださったのだが、お二人は車で小一時間かけて来たという。お住まいの地域にも劇場はあるのだが、この劇場の雰囲気が好きで会員になっているらしい。確かに、出会ってきた劇場さんにはそれぞれの色がある。どれが良いわけではなく、構成メンバーの雰囲気が反映されていて面白い。
2025年04月11日
ウサジイの公演日記#1126
【ウサジイ昔ばなし】〈133〉・・・演技2
「石の馬」の稽古。演出/関矢氏・照明/藤井氏・制作/丹下氏、に加えて音楽/熊谷氏、すべての方々が芝居創りに熱心であった。彼らが稽古の場にいると、ジイ達は戦々恐々。〈え〜と、この前この方に言われたのは何だったっけ?〉…各スタッフのダメ出しがそれぞれだったのです。よって、居合わせる方の意に沿う様に演じ分けることになる。具体的な…例えばどちらに動くべき等が、正反対だったりするわけです。でもね、やがて判ってくるのです。言わんとする本意は同じ所にある&それを具現化する道筋は無限にある…と云うことを。結局、実に自由奔放(?)なスタッフ各氏の言動は、若きジイ達を育ててくれたのです。
そんな30代を過ぎた頃、人形劇団京芸の辰巳氏を招聘しての学習会。確か人形操作などについてだったはず。講師席には劇団にあった様々な様式の人形が数体あり、まずはそれらを遣っていただきました。すると実に嬉しそうに人形を撫でまわし、あれこれと試した後に演じてくださいました。〈人形が大好きなんだなぁ。上手く操作しようなんて云うんじゃなくて、遣ってるのが嬉しいんだなぁ〉そんな風に感じた。演技に向き合うあり様のひとつを、改めて感じた時でした。…今も覚えている質疑応答=「会話している人形の横にいた場合、どのような演技をすべきですか?」「そりゃあんた、聞いてたら良いんやないかなぁ」…人形だから特別ではない、人形がそこで生きていれば良い。何も特別なコトをする訳ではない。当り前ですが、「ん〜」と唸らされるお答えでした。
「石の馬」の稽古。演出/関矢氏・照明/藤井氏・制作/丹下氏、に加えて音楽/熊谷氏、すべての方々が芝居創りに熱心であった。彼らが稽古の場にいると、ジイ達は戦々恐々。〈え〜と、この前この方に言われたのは何だったっけ?〉…各スタッフのダメ出しがそれぞれだったのです。よって、居合わせる方の意に沿う様に演じ分けることになる。具体的な…例えばどちらに動くべき等が、正反対だったりするわけです。でもね、やがて判ってくるのです。言わんとする本意は同じ所にある&それを具現化する道筋は無限にある…と云うことを。結局、実に自由奔放(?)なスタッフ各氏の言動は、若きジイ達を育ててくれたのです。
そんな30代を過ぎた頃、人形劇団京芸の辰巳氏を招聘しての学習会。確か人形操作などについてだったはず。講師席には劇団にあった様々な様式の人形が数体あり、まずはそれらを遣っていただきました。すると実に嬉しそうに人形を撫でまわし、あれこれと試した後に演じてくださいました。〈人形が大好きなんだなぁ。上手く操作しようなんて云うんじゃなくて、遣ってるのが嬉しいんだなぁ〉そんな風に感じた。演技に向き合うあり様のひとつを、改めて感じた時でした。…今も覚えている質疑応答=「会話している人形の横にいた場合、どのような演技をすべきですか?」「そりゃあんた、聞いてたら良いんやないかなぁ」…人形だから特別ではない、人形がそこで生きていれば良い。何も特別なコトをする訳ではない。当り前ですが、「ん〜」と唸らされるお答えでした。
2025年04月07日
ウサジイの公演日記#1125
【ウサジイ昔ばなし】〈132〉・・・演技
今年度の劇団総会にて「劇団の未来について大いに語る」コーナーがあった。現状に関しての問題点・改善策などが出されたが、個人的な入団動機・劇団に寄せる気持ちなどの発言もあった。ジイも話しているうちに、(興がのってか?)自己の演技論を声高に述べることになってしまったりした。・・・という訳で、44年に及ぶ劇団生活の中での演技に関する気持ちを書いてみる。
そもそも制作者希望での入団であったが、とにかくまずは舞台に立てと幼児作品班に配属された。当時は幼保2班体制で、毎年の新作創り。一本目は班員の集団創造、二本目は創立者・丹下進氏演出が多かった。大学サークルで演じていたとはいえ、ほぼ0からの出発。演出の指示を理解し演じられるようなレベルではなかった。2年目「だぶだぶ」の稽古、主人公の母親役の台詞が上手くゆかない。自身が演者でもある丹下氏の中には、恐らく明確な演技プランがあったのであろう。同じ場面を20回以上も繰り返し稽古するうち、何だか情けなくなり涙がにじみ出る始末。
そうこうしながら、それでも少しは技術の向上もあり、入団5年目に小学校公演班に異動することになる。一年前に仕込んだ「石の馬」、作品途中からの参加は初めての経験。どの役を演じるかは決まっていなかったが、とにかく半年前からはチャンスがあっても観ないことにした。前任者の演技に影響されるのが恐かったんです。演出は、その後10年ほどの付き合いとなる関矢幸雄氏。1年目の「コンポン&ハンドマイム」、2年目の「ガリヴァー」の演出でもあったが、その頃は「新人」。チョットだけキャリアあっての付き合いとなる。・・・つづく
今年度の劇団総会にて「劇団の未来について大いに語る」コーナーがあった。現状に関しての問題点・改善策などが出されたが、個人的な入団動機・劇団に寄せる気持ちなどの発言もあった。ジイも話しているうちに、(興がのってか?)自己の演技論を声高に述べることになってしまったりした。・・・という訳で、44年に及ぶ劇団生活の中での演技に関する気持ちを書いてみる。
そもそも制作者希望での入団であったが、とにかくまずは舞台に立てと幼児作品班に配属された。当時は幼保2班体制で、毎年の新作創り。一本目は班員の集団創造、二本目は創立者・丹下進氏演出が多かった。大学サークルで演じていたとはいえ、ほぼ0からの出発。演出の指示を理解し演じられるようなレベルではなかった。2年目「だぶだぶ」の稽古、主人公の母親役の台詞が上手くゆかない。自身が演者でもある丹下氏の中には、恐らく明確な演技プランがあったのであろう。同じ場面を20回以上も繰り返し稽古するうち、何だか情けなくなり涙がにじみ出る始末。
そうこうしながら、それでも少しは技術の向上もあり、入団5年目に小学校公演班に異動することになる。一年前に仕込んだ「石の馬」、作品途中からの参加は初めての経験。どの役を演じるかは決まっていなかったが、とにかく半年前からはチャンスがあっても観ないことにした。前任者の演技に影響されるのが恐かったんです。演出は、その後10年ほどの付き合いとなる関矢幸雄氏。1年目の「コンポン&ハンドマイム」、2年目の「ガリヴァー」の演出でもあったが、その頃は「新人」。チョットだけキャリアあっての付き合いとなる。・・・つづく
2025年03月26日
ウサジイの公演日記#1124
「ももん&カミナリ」は東京都世田谷へ。前日の移動日は春分の日からの飛石連休の中日…だったせいか?厚木の手前からかなりの渋滞。そこで時間を食ったため川崎IC着は夕刻。府中の宿へ向かう道も車が多く、予定より90分程遅れての到着でした。やはり「首都圏恐るべし」。翌朝は渋滞を用心して早めに出発するが、日曜早朝の道路は閑散。コンビニ駐車場で時間を潰す羽目となった。 ところで今回の公演は、子ども劇場さんの50周年記念事業。なんと単一サークルが主導する企画でした。作品選定〜劇団との事務連絡〜宣伝〜当日スタッフまで、全てを単一サークルが担当するとのこと。すごいなぁ!会場は昭和女子大学の本館大会議室。会員さんの大学の知人が当大学の教員をされており、その伝で無料でお借りできたとのこと。
さて公演は、午前・午後とも150名近い大入り満員!しかも子ども劇場会員は2割ほど、大かたは会員外・初めてお芝居を観る方も多いそう。〈これは会場整理からして頑張らねば〉と思っていたのだが、子ども席・おやこ席・大人席と順序良く座ってくれる。観劇の雰囲気もとっても良くて、〈え、全員会員じゃないの?〉と思ってしまうほどでした。そんな中、印象に残った子たちは…前髪パッツンの女の子・3〜4歳:最前列で正座し、両手を膝に置き、挑むように観ている。が、ももんちゃんが困難な状況になるたび「大丈夫?ねぇ、大丈夫?」と心配してくれた。ももんとしては応えるわけにはゆかないのですが…。3歳・男の子:ジイが「子ども席に行こうか」と誘うのも聞かず、前列に走り込む。しばらくアチコチ行き来し、最前列の子たちの間に上手く入り込んだ。ももんちゃんがカエルやらクマに出会うと、両手をカメハメ波ポーズで「ガシガシ、ガシガシガシ…」と呟く。ももんを守るために戦っていたのか?全く不明です。…それから、筑波大の人形劇サークルの方が二人。終演後には熱心に舞台を見学されていった。今や貴重な大学サークル、頑張ってね!
さて公演は、午前・午後とも150名近い大入り満員!しかも子ども劇場会員は2割ほど、大かたは会員外・初めてお芝居を観る方も多いそう。〈これは会場整理からして頑張らねば〉と思っていたのだが、子ども席・おやこ席・大人席と順序良く座ってくれる。観劇の雰囲気もとっても良くて、〈え、全員会員じゃないの?〉と思ってしまうほどでした。そんな中、印象に残った子たちは…前髪パッツンの女の子・3〜4歳:最前列で正座し、両手を膝に置き、挑むように観ている。が、ももんちゃんが困難な状況になるたび「大丈夫?ねぇ、大丈夫?」と心配してくれた。ももんとしては応えるわけにはゆかないのですが…。3歳・男の子:ジイが「子ども席に行こうか」と誘うのも聞かず、前列に走り込む。しばらくアチコチ行き来し、最前列の子たちの間に上手く入り込んだ。ももんちゃんがカエルやらクマに出会うと、両手をカメハメ波ポーズで「ガシガシ、ガシガシガシ…」と呟く。ももんを守るために戦っていたのか?全く不明です。…それから、筑波大の人形劇サークルの方が二人。終演後には熱心に舞台を見学されていった。今や貴重な大学サークル、頑張ってね!
2025年03月23日
2025年03月20日
ウサジイの公演日記#1123
今年度のラスト幼保公演は、安城市で「ももん&カミナリ」 なんとコロナ前、6年前に同じ作品でうかがっている。園到着がやや早く、登園のタイミングを計ってからの搬入。チョットややこしい経路だったが、先生方のお手伝いではかどる。園舎の構造上、仕込み中の舞台を通過しなければならない先生方も多く、まぁそれはそれで譲り合いながらの作業となる。ところで当日の公演は、「ももん」=0〜2歳さん+地域の未就園児・「カミナリ」=3〜5歳児+もっと観たい未就園親子、という流れ。
「ももん」は開演10分ほど前からの入場。例によってウェルカム人形のワンワンとの遊びが楽しい子たち。その時点からクラスの座席などお構いなしで立ち歩く子もいた。開演すると前列中央に立つ男の子・2歳前(?)が、何やら真剣に発言している。内容はジイ達に理解不能なんだが、とにかく一生懸命に伝えようとしてくれている。おかげで後ろの子達は舞台が見えない。けれど不満を言うでもなく、先生方も制するでもなく、しばらく続いた。確かにマナー違反ではあるが、客席側で調整できれば問題ナシ…と、ジイは思っている。もちろん彼は、やがて座った。 危ない子もいた。やはり2歳になったばかり程の子、後列から走り出し客席前へ。そこで止まらず、ステージに差し掛かる!と云ったところで先生に捕獲された。危ない子だけはちゃ〜んと対応してくれる、ありがたい園です。
後半「カミナリ」は年長児グループ。外遊びから帰って、客席横で手洗いの後に着席…のはずだが、舞台が気になって見とれている子もいる。ジイ「はい、水筒置いて、手を洗って!」その子・Rちゃんは「…ニコニコ…」嬉しそうにするだけで、行動せず。さすがに先生に怒られていたが、お芝居が始まると一番受けていた。前半はとにかく笑う笑う笑う。セリフのタイミングを図りながら<こりゃ長くなるかな?>しかし蓄音機が壊れると、会場は驚くほど静かに。なるほど、そんな失敗経験も多い子たちなんだろうなぁ。だから事の行く先が心配だったのかな?
「ももん」は開演10分ほど前からの入場。例によってウェルカム人形のワンワンとの遊びが楽しい子たち。その時点からクラスの座席などお構いなしで立ち歩く子もいた。開演すると前列中央に立つ男の子・2歳前(?)が、何やら真剣に発言している。内容はジイ達に理解不能なんだが、とにかく一生懸命に伝えようとしてくれている。おかげで後ろの子達は舞台が見えない。けれど不満を言うでもなく、先生方も制するでもなく、しばらく続いた。確かにマナー違反ではあるが、客席側で調整できれば問題ナシ…と、ジイは思っている。もちろん彼は、やがて座った。 危ない子もいた。やはり2歳になったばかり程の子、後列から走り出し客席前へ。そこで止まらず、ステージに差し掛かる!と云ったところで先生に捕獲された。危ない子だけはちゃ〜んと対応してくれる、ありがたい園です。
後半「カミナリ」は年長児グループ。外遊びから帰って、客席横で手洗いの後に着席…のはずだが、舞台が気になって見とれている子もいる。ジイ「はい、水筒置いて、手を洗って!」その子・Rちゃんは「…ニコニコ…」嬉しそうにするだけで、行動せず。さすがに先生に怒られていたが、お芝居が始まると一番受けていた。前半はとにかく笑う笑う笑う。セリフのタイミングを図りながら<こりゃ長くなるかな?>しかし蓄音機が壊れると、会場は驚くほど静かに。なるほど、そんな失敗経験も多い子たちなんだろうなぁ。だから事の行く先が心配だったのかな?
2025年03月19日
2025年03月16日
ウサジイの公演日記#1122
瀬戸市の保育園で「ももん&カミナリ」を公演。この園では、昨年も同作品を上演…というのも、超狭いスペースでの公演ゆえ、上演可能な作品が限定されるのです。最初は一昨年の「ぐるんぱ」。オファーがあったが超狭いとのお話で、会場を下見に行く。近年開設の園は、立地の制約でいわゆる遊戯室のない所も多い。保育室を二部屋つなげて会場にする場合もある。が、その園には遊戯室的な部屋はあるのだが、かなり厳しい状況だった。図を使わねば説明しづらいんだが、一口で言えば間口2間のステージで上演することになる。(通常は3間強が必要)…上手のみ奥行き50pの押入れ的な空間があり、他は逃げ込みはない。下見時に20〜30分程考えて「やります」の返事。(「出来ます」ではなく)かくして「ぐるんぱ」では、見送る仲間の象たちは壁沿いの棚に飾り置く。出会うお店屋さん達も見え隠れしたところから始まる様な公演でした。
今年は昨年に続いての作品だったので、まぁまぁ順調に舞台を仕込めた。間口が必要な「カミナリ」の畑の場面だけは確認する。爺さんの登場も、通常下手からを上手からの舞台横切りルートに変える。油断していたのは立ちモノの「雲」開演と共に立ち上げるのだが、天井にゴツンしてしまい、慌てて下げたままの状態での上演になった。恐らく昨年はチェックしてたのに、甘くみてました…反省。
さて上演は…「ももん」開演のベルに対して、最年長2歳クラス(ほとんどの子は3歳ですが)の子達が「あれ?あれっ?」と反応してくれ、それを切っ掛けに笑いが巻き起こる。会場中ほどの男の子が異常な喜びをみせ、それを見た保育士さんが大笑い。後から聞くと、その子は笑い過ぎてよだれを垂らしていたという。「カミナリ」になると、さすがに笑いだけではなくジッと見入るのだが…1歳になったばかりの子も55分間ズ〜ッと観ていてくれた。彼らとしては、舞台鑑賞=この世界を理解する学習の場なのでしょう。
今年は昨年に続いての作品だったので、まぁまぁ順調に舞台を仕込めた。間口が必要な「カミナリ」の畑の場面だけは確認する。爺さんの登場も、通常下手からを上手からの舞台横切りルートに変える。油断していたのは立ちモノの「雲」開演と共に立ち上げるのだが、天井にゴツンしてしまい、慌てて下げたままの状態での上演になった。恐らく昨年はチェックしてたのに、甘くみてました…反省。
さて上演は…「ももん」開演のベルに対して、最年長2歳クラス(ほとんどの子は3歳ですが)の子達が「あれ?あれっ?」と反応してくれ、それを切っ掛けに笑いが巻き起こる。会場中ほどの男の子が異常な喜びをみせ、それを見た保育士さんが大笑い。後から聞くと、その子は笑い過ぎてよだれを垂らしていたという。「カミナリ」になると、さすがに笑いだけではなくジッと見入るのだが…1歳になったばかりの子も55分間ズ〜ッと観ていてくれた。彼らとしては、舞台鑑賞=この世界を理解する学習の場なのでしょう。
2025年03月04日
ウサジイの公演日記#1121
「ももん&カミナリ」は和歌山市へ。実はこの作品、初演の頃に紀の川中流・和歌山県・かつらぎ町へ伺っており、その時に和歌山市の子ども劇場の方が観にいらした。何年かかけて上演がかなったという訳です。…そういえば和歌山県、市には「101ちゃん」で来た思い出はある。が、1980年頃「西遊記シリーズ」時代に南部・田辺と紀伊半島南端・古座川の劇場には来たが、市の思い出が残ってない。ん〜、どういう事だろう?
前ノリは、名阪道を西進〜阪和道南下で4時間ほどの行程。そして翌日、小雨の中搬入〜仕込み終わり、上演の打合せ。大人に混じって6歳・女の子が一人。いきなり彼女「ねぇ、オジサン。遊ぼ!」…いやいや、これから打合せなんです。その子はその後も自由奔放。モギリの係だと云うのに、会場に入ったり出たり。すっかり「知合い」感でジイ達に接してくる。嬉しさ半分、危うさ半分でした。
開演すると、最前列の2歳前位の女の子がトコトコ…。客席と舞台の間を歩いたり、寝転んだり、お芝居を観たり。彼女なりに楽しんでいるようでした。が、お母さんはアタフタ。彼女を捕まえ客席に戻すのだが、しばらくするとまたトコトコ。ジイ達のとっては邪魔にならないのだから問題なしなのですが、お母さんは冷や汗で、最後には捕まえて客席横に避難しました。う〜ん、もう少し自由でも良かったんですけどねぇ。
「カミナリ」後半・爺さんの蓄音機が壊れてしまうと、会場はシーンとなる。子ども達が「ヤバッ!」っと思うからです。でもこの日は、しばらくすると泣き声が!客席を眺めると、小学校中学年程の男の子、何かしらの障害を持っているらしい。その子が大泣きしている。お母さんになだめられ、泣き止むこともあるが、しばらくするとまた泣き始める。…爺さんと雷ゴロちゃんが再会すると、さすがに泣き止んでくれた。終演後、お母さんに聞くと、蓄音機が壊れてパニックになったとのこと。しかし彼の泣き声は悲しみに満ちていて、爺さんに寄り添ってくれていたように思えた。…ありがとね。そして、今日のお芝居を忘れないでね。
前ノリは、名阪道を西進〜阪和道南下で4時間ほどの行程。そして翌日、小雨の中搬入〜仕込み終わり、上演の打合せ。大人に混じって6歳・女の子が一人。いきなり彼女「ねぇ、オジサン。遊ぼ!」…いやいや、これから打合せなんです。その子はその後も自由奔放。モギリの係だと云うのに、会場に入ったり出たり。すっかり「知合い」感でジイ達に接してくる。嬉しさ半分、危うさ半分でした。
開演すると、最前列の2歳前位の女の子がトコトコ…。客席と舞台の間を歩いたり、寝転んだり、お芝居を観たり。彼女なりに楽しんでいるようでした。が、お母さんはアタフタ。彼女を捕まえ客席に戻すのだが、しばらくするとまたトコトコ。ジイ達のとっては邪魔にならないのだから問題なしなのですが、お母さんは冷や汗で、最後には捕まえて客席横に避難しました。う〜ん、もう少し自由でも良かったんですけどねぇ。
「カミナリ」後半・爺さんの蓄音機が壊れてしまうと、会場はシーンとなる。子ども達が「ヤバッ!」っと思うからです。でもこの日は、しばらくすると泣き声が!客席を眺めると、小学校中学年程の男の子、何かしらの障害を持っているらしい。その子が大泣きしている。お母さんになだめられ、泣き止むこともあるが、しばらくするとまた泣き始める。…爺さんと雷ゴロちゃんが再会すると、さすがに泣き止んでくれた。終演後、お母さんに聞くと、蓄音機が壊れてパニックになったとのこと。しかし彼の泣き声は悲しみに満ちていて、爺さんに寄り添ってくれていたように思えた。…ありがとね。そして、今日のお芝居を忘れないでね。
2025年02月26日
ウサジイの公演日記#1120
【ウサジイ昔ばなし】〈131〉・・・市井の劇団員
劇団は、かつて大根山にあった。付近には数軒の民家があり、かなり濃密な近所付き合いがあった。道路(名二環)新設の影響で「集落・大根山」は離散し、劇団は川添に来た。周囲は工場が多く、民家は遠く、近所付き合いは少ない。ジイ達は変わらず緑区に暮らしているが、「劇団がある」といった認識は薄い。関心のある方は知ってるが、そうでもない方には「どうでも良い事」なんです。…そんな劇団員の旅先での話。
鹿児島県子ども芸術祭典の「コンポン」奄美コース・2010年代中盤:喜界島からフェリーに乗り鹿児島港へ帰って来た。タラップを降りる頃に、同乗のご婦人に問いかけられる。「あのぅ、一週間ほど前に徳之島に居ませんでしたか?」「はい、居ましたが…」話を聞くと、徳之島二日目・亀津のスーパーで昼食をゲットしたあと歩いている姿を目撃されたらしい。島にしては奇抜な服装をしていた為、覚えていたとのこと。(そのシーズンは、アシンメトリーな色と形のトレーナーを着ていました)…しかも、その方は名古屋からの観光中で、少し前にジイが入った日進市の和食処のオーナー夫人だったんです!
ジイ30歳代の子ども劇場「悟空」北海道コース・1980年代後半:その頃は、北海道だけでも2〜3週間のツアーがあった。(東北から青函フェリーで函館も)…で、オホーツク側を南下し網走での公演に向かう途中。多分道の駅的なところだったと思う、突然話しかけられた。「すみません。昨日、稚内でたい焼きを食べていませんでしたか?」「あ、はい。食べてました、歩きながら」稚内南東の猿払村だけでも100qほどあるから、恐らく稚内からは200〜300q離れた場所での会話です。「北海道は広いなぁ」と思うとともに、「北海道、人が少ないから目立つなぁ」と思うヒトコマでした。
あと…「石の馬」の頃、島原市のホールに車を置いて昼食に向かうメンバー。交差点に差し掛かり信号待ち。すると道行く方から「少々道を尋ねたいんですが…」ジイ達は少々貧相な格好だったと思いますが、普段着らしさが地元民と思われたのでしょうか?たまたま知っている場所だったので、教えて差し上げました。
劇団は、かつて大根山にあった。付近には数軒の民家があり、かなり濃密な近所付き合いがあった。道路(名二環)新設の影響で「集落・大根山」は離散し、劇団は川添に来た。周囲は工場が多く、民家は遠く、近所付き合いは少ない。ジイ達は変わらず緑区に暮らしているが、「劇団がある」といった認識は薄い。関心のある方は知ってるが、そうでもない方には「どうでも良い事」なんです。…そんな劇団員の旅先での話。
鹿児島県子ども芸術祭典の「コンポン」奄美コース・2010年代中盤:喜界島からフェリーに乗り鹿児島港へ帰って来た。タラップを降りる頃に、同乗のご婦人に問いかけられる。「あのぅ、一週間ほど前に徳之島に居ませんでしたか?」「はい、居ましたが…」話を聞くと、徳之島二日目・亀津のスーパーで昼食をゲットしたあと歩いている姿を目撃されたらしい。島にしては奇抜な服装をしていた為、覚えていたとのこと。(そのシーズンは、アシンメトリーな色と形のトレーナーを着ていました)…しかも、その方は名古屋からの観光中で、少し前にジイが入った日進市の和食処のオーナー夫人だったんです!
ジイ30歳代の子ども劇場「悟空」北海道コース・1980年代後半:その頃は、北海道だけでも2〜3週間のツアーがあった。(東北から青函フェリーで函館も)…で、オホーツク側を南下し網走での公演に向かう途中。多分道の駅的なところだったと思う、突然話しかけられた。「すみません。昨日、稚内でたい焼きを食べていませんでしたか?」「あ、はい。食べてました、歩きながら」稚内南東の猿払村だけでも100qほどあるから、恐らく稚内からは200〜300q離れた場所での会話です。「北海道は広いなぁ」と思うとともに、「北海道、人が少ないから目立つなぁ」と思うヒトコマでした。
あと…「石の馬」の頃、島原市のホールに車を置いて昼食に向かうメンバー。交差点に差し掛かり信号待ち。すると道行く方から「少々道を尋ねたいんですが…」ジイ達は少々貧相な格好だったと思いますが、普段着らしさが地元民と思われたのでしょうか?たまたま知っている場所だったので、教えて差し上げました。
2025年02月18日
ウサジイの公演日記#1119
【ウサジイ昔ばなし】〈130〉・・・初の初演
最近ジイは、在団45年目に入った。入団した時分には、その後どの様な劇団活動をするか?など考えるべくもなかった。有難いことに、ジイの立ち位置や劇団の状況により、65歳定年後も4年間舞台に立てている。(定年はジイが運営委員長時代に、2代目代表の寛ちゃんの要望で決定した)さて、入団前後の話はしたが、直後の話をしましょう。
1月末に入団した直後は、「こぎつねコンとこだぬきポン」の舞台(テーブルケコミ)づくり。当時の幼保2班が合同で、「名古屋市子どものための巡回劇場」のために仕込んだ作品。テンヤワンヤで創ったため、オフィス用の長机代用で上演していた。それを上面を傾斜させた(専門用語では「八百屋」)組み立て式にせよ!との命が下る。何の指導もなく「作れ!」と言われる。…とにかく考え考え、ノミでホゾを穿ち…何とか一週間で作り上げた。今考えると、かなり稚拙な作りであった。
そんな日々、公演班が帰ってくると「むすび座ミュージカル」の稽古が始まる。2ヶ月後に上演する企画なのだ。ギリセーフの入団タイミングで「お前も舞台に立て」と言われる。夕食後、7時頃からイレギュラーな公演を目指しての稽古が始まるのでした。この企画、劇団の作品音楽を一手に引き受けてくださっていたK氏の発案。当時のスタッフ陣は、どの方も自分の劇団の様に思っていたようです。…で3月下旬、今はなき名演小劇場において「むすび座ミュージカル・まずはパートワン」の上演と相成りました。(パート2はありませんでした)因みにこの公演の当日パンフレット、半分はジイが作りました。ま、みんな数歳しか違わない仲間だったから。
そして劇団レパ作品の初演は・・・「友達になれるかな」作・演出/イレーシュ・アティラと、「三匹のこぶた」作・演出/丹下進、音楽/熊谷賢一。「友達」は動物たちが登場するオムニバス作品。ハンガリーの演劇大学卒であるアティラ氏の理論は、揺るぎないモノがあった。「雄鶏は茶色のマダラです。白はレグホンですから」…これは納得。「ウサギの目は青です。赤い目はありません」…そう?「ピンクは使いません。その色は、アメリカの色です」…これは、東ヨーロッパならではの考えでしょ。さて「三ぶた」は、脚本ナシ・丹下氏の口立てで稽古が始まる。立ち稽古が始まると「はい、そこで君は何て言うの?」「う〜ん、ちょっと違う。こんな風かなぁ」と筋が出来あがってゆく。なかなかにスリリングな仕込みでした。衣装もオーバーオールにバスケットシューズ。(オーバーオールはさすがに暑く、夏には普通のジーンズに変更)…そうそう、わらの家は初演直前まで決まらず、前日になって劇団玄関で「傘」を見た時に「これだ」と思った丹下氏。その傘に布を張り、わら模様を描きました。それから、例によっての徹夜稽古があってからの初演でした。
最近ジイは、在団45年目に入った。入団した時分には、その後どの様な劇団活動をするか?など考えるべくもなかった。有難いことに、ジイの立ち位置や劇団の状況により、65歳定年後も4年間舞台に立てている。(定年はジイが運営委員長時代に、2代目代表の寛ちゃんの要望で決定した)さて、入団前後の話はしたが、直後の話をしましょう。
1月末に入団した直後は、「こぎつねコンとこだぬきポン」の舞台(テーブルケコミ)づくり。当時の幼保2班が合同で、「名古屋市子どものための巡回劇場」のために仕込んだ作品。テンヤワンヤで創ったため、オフィス用の長机代用で上演していた。それを上面を傾斜させた(専門用語では「八百屋」)組み立て式にせよ!との命が下る。何の指導もなく「作れ!」と言われる。…とにかく考え考え、ノミでホゾを穿ち…何とか一週間で作り上げた。今考えると、かなり稚拙な作りであった。
そんな日々、公演班が帰ってくると「むすび座ミュージカル」の稽古が始まる。2ヶ月後に上演する企画なのだ。ギリセーフの入団タイミングで「お前も舞台に立て」と言われる。夕食後、7時頃からイレギュラーな公演を目指しての稽古が始まるのでした。この企画、劇団の作品音楽を一手に引き受けてくださっていたK氏の発案。当時のスタッフ陣は、どの方も自分の劇団の様に思っていたようです。…で3月下旬、今はなき名演小劇場において「むすび座ミュージカル・まずはパートワン」の上演と相成りました。(パート2はありませんでした)因みにこの公演の当日パンフレット、半分はジイが作りました。ま、みんな数歳しか違わない仲間だったから。
そして劇団レパ作品の初演は・・・「友達になれるかな」作・演出/イレーシュ・アティラと、「三匹のこぶた」作・演出/丹下進、音楽/熊谷賢一。「友達」は動物たちが登場するオムニバス作品。ハンガリーの演劇大学卒であるアティラ氏の理論は、揺るぎないモノがあった。「雄鶏は茶色のマダラです。白はレグホンですから」…これは納得。「ウサギの目は青です。赤い目はありません」…そう?「ピンクは使いません。その色は、アメリカの色です」…これは、東ヨーロッパならではの考えでしょ。さて「三ぶた」は、脚本ナシ・丹下氏の口立てで稽古が始まる。立ち稽古が始まると「はい、そこで君は何て言うの?」「う〜ん、ちょっと違う。こんな風かなぁ」と筋が出来あがってゆく。なかなかにスリリングな仕込みでした。衣装もオーバーオールにバスケットシューズ。(オーバーオールはさすがに暑く、夏には普通のジーンズに変更)…そうそう、わらの家は初演直前まで決まらず、前日になって劇団玄関で「傘」を見た時に「これだ」と思った丹下氏。その傘に布を張り、わら模様を描きました。それから、例によっての徹夜稽古があってからの初演でした。
2025年02月17日
ウサジイの公演日記#1118
「ももん&カミナリ」は埼玉県志木おやこ劇場さんへ。新東名〜東名を走り、3時間ほどで海老名SAと順調。が、やはり首都高渋谷線は車が多く、止まったり動いたり…。大橋JCTで中央環状線に乗り換え北上。これまたかなりの混雑。板橋JCTで池袋線に乗り換え、ホッと一息の行程でした。外環状線・和光北で下り、〈昔からあるんだろうなぁ〉と思える曲がりくねった道を走る。で、予想通り5時間ほどで宿に到着。その日の夕食は、元劇団員のTさんとご一緒。隣町に住んでいて今回の劇場さんの会員なのだが、明日は本人に公演が入っており観られない…って訳で食事会。(そう、退団後も演劇活動に関わっているのです)
さて翌日、出会った劇場の皆さんはとっても元気。仕込み終わり〜打合せにも20人ほどが集まり、賑やかに進む。会員さんは60〜70人らしいが一般の方に呼びかけ、どうやら100人ほどの集客らしい。すると初めての方が多いわけで、どんな風に観て頂けるか?心配でもある。でなくとも、ホームグラウンド=幼保公演に比べて、劇場公演は緊張感がある。でも、緊張していては客席に伝わってしまう。「フツウ」であるようコントロール!ベルを鳴らしながらの開演…「何?」って顔と、笑いそうな顔が半々という所だろうか。ももんが登場すると会場はすっかり温まる。人形の力はスゴイ!
公演後には昼食交流会。絵本「ももん」人気で選んだが、「カミナリ」に心を揺らしてくださった方が多い…嬉しい。中には「2歳なんですが、カミナリカレーの方に集中していました」といった声も。(最近、保育士さんからも同じような話があり、解明したい件である)それから「この作品は3回目なんですが、子どもの成長によって観方が変化してるような気がする」…最初は5年前らしいから、確かに変わるんでしょうね。
ところで、開演直前に会場内でジイの名を呼ぶ者がいた、しかも愛称で。え?知合い?…記憶をたどると…あぁ知ってる。何度か会ったことのある方でした。最初は30年以上も前の西遊記シリーズだったんじゃないだろうか。その後もこの地域で何度か見て頂いたはず。嬉しい再会でした。
さて翌日、出会った劇場の皆さんはとっても元気。仕込み終わり〜打合せにも20人ほどが集まり、賑やかに進む。会員さんは60〜70人らしいが一般の方に呼びかけ、どうやら100人ほどの集客らしい。すると初めての方が多いわけで、どんな風に観て頂けるか?心配でもある。でなくとも、ホームグラウンド=幼保公演に比べて、劇場公演は緊張感がある。でも、緊張していては客席に伝わってしまう。「フツウ」であるようコントロール!ベルを鳴らしながらの開演…「何?」って顔と、笑いそうな顔が半々という所だろうか。ももんが登場すると会場はすっかり温まる。人形の力はスゴイ!
公演後には昼食交流会。絵本「ももん」人気で選んだが、「カミナリ」に心を揺らしてくださった方が多い…嬉しい。中には「2歳なんですが、カミナリカレーの方に集中していました」といった声も。(最近、保育士さんからも同じような話があり、解明したい件である)それから「この作品は3回目なんですが、子どもの成長によって観方が変化してるような気がする」…最初は5年前らしいから、確かに変わるんでしょうね。
ところで、開演直前に会場内でジイの名を呼ぶ者がいた、しかも愛称で。え?知合い?…記憶をたどると…あぁ知ってる。何度か会ったことのある方でした。最初は30年以上も前の西遊記シリーズだったんじゃないだろうか。その後もこの地域で何度か見て頂いたはず。嬉しい再会でした。

