【おさんぽの日々】H・・・ヤンチャ&コンポン続々
次期作品の提案をした時点で、構想はあったが具体的な内容は皆無。イメージだけで了承してもらったのは有難かった。レパ・パンフ作成のために慌ててタイトルを決め、出まかせのイラストを提出。…そんな風に始まり、早い時期にオムニバス形式かなぁと考える。(てか、それしかないだろ!?)各パートが〈箱から取り出して仕舞う〉形式にしたのは、〈おもちゃ箱を持って来て、中から取り出して遊び、片付けて帰る〉と云うイメージ。
〈ぶー〉これはCちゃん発信。知らずにブーブークッションを踏んだらどうなる?から構想が広がり…押すと鳴る(口で「ブー」)のが楽しくて、遊んでいると壊れる。二人では解決できず、お客さんの力を借りて復活!だけ。超単純な、極めて非人形劇(=人形的なモノの欠片もない)からの導入です。
〈ぴかぴか〉ハンドモップにピン球の眼を付けた人形が散歩する話。困難な道を進む兄、それを追う妹は挫折して泣き出す。無視したり、仕方なく助けたりの兄。兄弟(仲間も)って、そんな風に関わり合っているんだねぇ、ってこと。(タイトル=モップで拭くとピカピカ)
〈けーき〉カラフルな台所スポンジを積み上げるだけ。半即興的に積むのだが、スポンジの摩擦効果で斜めに乗せても大丈夫。そこには少し驚かいてもらえる。当初は指金遣い人形が積むプランであった。確かに人形にやらせると感心はするが、積みのバラエティに限界がある。最後に高く積むと倒れてしまうは、子ども誰しもが経験した感覚だろう。
〈うぃーん・がっしゃーん〉箱が変形してロボットになり、暴走した挙句、壊れてしまう。箱の救急車から妖精たちが飛び出し、苦労して修理、復活する。子ども達も持っている「破壊」の快感を表現したかった。最初は狂暴な犬(布団ばさみ製)が暴れまわる話だった。上手くまとまらず、これが一番難産。おそらくは、箱を見ていて思いついたんだろう。
〈じゅーす〉バネ人形とまん丸ウレタン人形の、まぁ普通の人形劇(?)。バネ氏のジュースとパスタを、まん丸ちゃんが食べてしまうだけ。このコーナーの肝は、幼児が言葉を獲得して行く時に起こるアクシデント。間違えて覚えた言葉を訂正したい大人と、そう簡単にはいかない子ども。(大人は躍起になるが、子どもはマイペース)…公演先で乳児室から聞こえてきた言葉が、アイディアの素となっている。
2026年04月04日
2026年04月03日
ウサジイの公演日記#1178
【おさんぽの日々】G・・・ヤンチャ&コンポン続
一方「ヤンチャメッチャブー」の構想は、作品検討に入る半年以上前からあった…んじゃないかな?・・おさんぽメンバーの若かりし頃、幼児作品は各班が毎年仕込んでいた。一本はストーリー物で、多分に丹下演出。もう一本は見立て遊び的な作品で、班員の集団創造。そんな経験が作用したのか?いわゆるアソビモノを創ろうと(…この辺り推測)なった。断っておくが、ジイはアソビモノと云う呼称が好きではない。演じる行為には、必ず遊びの要素があるじゃないか。遊び=オモシロオカシイではない!と考えている。それはさておき「人形ではないモノを何かに見立てる」式の作品=(モノにキャラを持たせる自体はOKだが)「これなぁに?」的なやり方に関して疑問を抱いていた。その辺りの考えでメンバーに一致点があり「モノを使っての表現ならナンデモアリ」をやってみよう!となった。人形劇の範疇かどうか?は考えずに創ってみることにした。
このような話をしたのは大抵、公演帰りの車の中。少しづつ具体化していったのも、同様。仕込み期間に入るまでの1年間ほど、思い出したように雑談を繰り返していた。集中した・真剣なミーティングに比べて、話の膨らみ方が違うのです。ひとつのアイディアを切っ掛けに、妄想がムクムクと湧いてくる。雑談だと責任感が希薄って云うのか、荒唐無稽な発想が口を突いて出る。無論ほとんどは、実際には使えないアイディアばかり。しかし、このようなやり取り=無駄の蓄積が、作品制作に入ってから役立つことになる。(そう云えば、ココはアレを使えるねぇ…などと)
それからもう一つ。公演先の園で出会う子ども達(の行動など)について、やはり車中であれこれ話した。これは以前からの習性なので、作品制作のためなのか?判らないが…結果、作品を創る上で不可欠な要素となった。創造活動はナンデモアリ!で始まったのだが、表現するジイ達の前にいるのは子ども達。そこに向けて発信する以上、彼ら側の理解・共感は必須。気が付けば、作品について「子どもの日常を切り取ったような内容だ」と言っていた。観た方のイメージはさて置き、作り手はそんな想いで演じていたのです。(もう少し…次回は内容に)
一方「ヤンチャメッチャブー」の構想は、作品検討に入る半年以上前からあった…んじゃないかな?・・おさんぽメンバーの若かりし頃、幼児作品は各班が毎年仕込んでいた。一本はストーリー物で、多分に丹下演出。もう一本は見立て遊び的な作品で、班員の集団創造。そんな経験が作用したのか?いわゆるアソビモノを創ろうと(…この辺り推測)なった。断っておくが、ジイはアソビモノと云う呼称が好きではない。演じる行為には、必ず遊びの要素があるじゃないか。遊び=オモシロオカシイではない!と考えている。それはさておき「人形ではないモノを何かに見立てる」式の作品=(モノにキャラを持たせる自体はOKだが)「これなぁに?」的なやり方に関して疑問を抱いていた。その辺りの考えでメンバーに一致点があり「モノを使っての表現ならナンデモアリ」をやってみよう!となった。人形劇の範疇かどうか?は考えずに創ってみることにした。
このような話をしたのは大抵、公演帰りの車の中。少しづつ具体化していったのも、同様。仕込み期間に入るまでの1年間ほど、思い出したように雑談を繰り返していた。集中した・真剣なミーティングに比べて、話の膨らみ方が違うのです。ひとつのアイディアを切っ掛けに、妄想がムクムクと湧いてくる。雑談だと責任感が希薄って云うのか、荒唐無稽な発想が口を突いて出る。無論ほとんどは、実際には使えないアイディアばかり。しかし、このようなやり取り=無駄の蓄積が、作品制作に入ってから役立つことになる。(そう云えば、ココはアレを使えるねぇ…などと)
それからもう一つ。公演先の園で出会う子ども達(の行動など)について、やはり車中であれこれ話した。これは以前からの習性なので、作品制作のためなのか?判らないが…結果、作品を創る上で不可欠な要素となった。創造活動はナンデモアリ!で始まったのだが、表現するジイ達の前にいるのは子ども達。そこに向けて発信する以上、彼ら側の理解・共感は必須。気が付けば、作品について「子どもの日常を切り取ったような内容だ」と言っていた。観た方のイメージはさて置き、作り手はそんな想いで演じていたのです。(もう少し…次回は内容に)
2026年04月02日
ウサジイの公演日記#1177
【おさんぽの日々】F・・・ヤンチャ&コンポン
実は「こぎつねコンとこだぬきポン」の方が後から決まったんです。またしても、6キャラ(=3人×2家族)作品にしたのは何故?「お城」で大丈夫だったから?いや多分、知られた絵本+主人公が動物だ、だったんだろう。狐も狸も子ども達が大好き=「ワンワン最強説」だから…。起承転結が盤石な原作に助けられ、比較的順調に作品はできた(はず)。脚本のクレジットが「あさんぽ」とあるのは、演出&美術のAちゃん+おさんぽ劇場の造語。記憶はほとんどないが、立ち稽古しながら脚本を創ったのだろうか?
観た方の口を突いて出る言葉=「親の顔には驚きました!」。最初から、あのようなプランではなかったんです。演出・美術を兼任のAちゃんは、立ち稽古と並行して人形製作。先ずコン&ポンを作り、工房の机上にはその親らしきデザイン画があった。ある日それとは別に、妙な顔立ちのいたずら描き(?)が出現し…気が付いた時には、実に味のある人形が出現した。役者的には、可愛いらしい子ども達とのギャップが有難かった。性格付けとか、設定とかを考え易くて。(唯一の弱点は、迫力ある顔に出会った子が、稀に泣き出すことかな?)
基本舞台は「ケンムン」のモノを流用して仕込んだ。箱がひとつ増え、箱の天場に変形部を加えるが、センターの蹴込みは同じモノ。この流れは次の「カミナリ」にも引き継がれる。作品に合わせて変化させるが、変えなくて良いモノは流用する。(現蹴込みは3作品13年以上お世話になっている)因みにジイ達は、パンチカーペットのバミリも、極めて少ない。複数(max3)作品ゆえ、沢山あると混乱もする。よって、センターライン・横へ3尺ポイントを基本とし、そこから前後左右の調整は勘に頼る。このやり方は、狭小会場に対応する場合に好都合なのです。
セットと云えば…上下に飾られた、椿山と杉の木山。当初は旗指物のようなプランだった。舞台図を見たジイ「立てるために鉄皿=ベースが必要だ。運搬・仕込みが面倒だぞ」と、タペストリーを提案〜採用された。ジイは、とにかく現場第一主義。三人班「さるかに」時にも、柿の木の構造で演出・Hちゃんと侃々諤々。「そんな大きな木は出せん!」「文句ばかり言わないで、対案出してよ!」…で、組立式の伸びる木&袖上からの柿の実投げとなった。「ネリノ」では「一部を影絵表現にしたい」Aちゃんの構想に対抗するため、影絵舞台を仮に組み…劇団員に観てもらって意見を聞き…何とか諦めてもらった。作品創造上あるまじき姿勢とも言えるが、毎日・様々な条件での上演を想定する以上、譲れないラインがあるのです、ジイには。・・演出は責任者でもあるが、まとめ役。役者はスタッフにどんどん意見すべし、だと考える。
実は「こぎつねコンとこだぬきポン」の方が後から決まったんです。またしても、6キャラ(=3人×2家族)作品にしたのは何故?「お城」で大丈夫だったから?いや多分、知られた絵本+主人公が動物だ、だったんだろう。狐も狸も子ども達が大好き=「ワンワン最強説」だから…。起承転結が盤石な原作に助けられ、比較的順調に作品はできた(はず)。脚本のクレジットが「あさんぽ」とあるのは、演出&美術のAちゃん+おさんぽ劇場の造語。記憶はほとんどないが、立ち稽古しながら脚本を創ったのだろうか?
観た方の口を突いて出る言葉=「親の顔には驚きました!」。最初から、あのようなプランではなかったんです。演出・美術を兼任のAちゃんは、立ち稽古と並行して人形製作。先ずコン&ポンを作り、工房の机上にはその親らしきデザイン画があった。ある日それとは別に、妙な顔立ちのいたずら描き(?)が出現し…気が付いた時には、実に味のある人形が出現した。役者的には、可愛いらしい子ども達とのギャップが有難かった。性格付けとか、設定とかを考え易くて。(唯一の弱点は、迫力ある顔に出会った子が、稀に泣き出すことかな?)
基本舞台は「ケンムン」のモノを流用して仕込んだ。箱がひとつ増え、箱の天場に変形部を加えるが、センターの蹴込みは同じモノ。この流れは次の「カミナリ」にも引き継がれる。作品に合わせて変化させるが、変えなくて良いモノは流用する。(現蹴込みは3作品13年以上お世話になっている)因みにジイ達は、パンチカーペットのバミリも、極めて少ない。複数(max3)作品ゆえ、沢山あると混乱もする。よって、センターライン・横へ3尺ポイントを基本とし、そこから前後左右の調整は勘に頼る。このやり方は、狭小会場に対応する場合に好都合なのです。
セットと云えば…上下に飾られた、椿山と杉の木山。当初は旗指物のようなプランだった。舞台図を見たジイ「立てるために鉄皿=ベースが必要だ。運搬・仕込みが面倒だぞ」と、タペストリーを提案〜採用された。ジイは、とにかく現場第一主義。三人班「さるかに」時にも、柿の木の構造で演出・Hちゃんと侃々諤々。「そんな大きな木は出せん!」「文句ばかり言わないで、対案出してよ!」…で、組立式の伸びる木&袖上からの柿の実投げとなった。「ネリノ」では「一部を影絵表現にしたい」Aちゃんの構想に対抗するため、影絵舞台を仮に組み…劇団員に観てもらって意見を聞き…何とか諦めてもらった。作品創造上あるまじき姿勢とも言えるが、毎日・様々な条件での上演を想定する以上、譲れないラインがあるのです、ジイには。・・演出は責任者でもあるが、まとめ役。役者はスタッフにどんどん意見すべし、だと考える。
2026年03月29日
ウサジイの公演日記#1176
【おさんぽの日々】E・・・お城&ケンムン続
「ケンムン」がオリジナルだったため、併演は知られた話が良かろうと考える。作品探しの指標は「二人で演じるからこそ、登場人物の多い話にしよう!」…で、たどり着いたのが「小さなお城」。最大6キャラが同時に登場するため、まずはそれに対応できる人形のスタイルを検討。比較的早い時期に、袋状の人形に決まった。両手にはめて遣える&置いておけるからだ。(+置きっぱなしの場合、写実的なデザインではなく、オモチャ的な方が合うだろうとも考える)仮人形を紙で作った後、布・石油製品なども試作したが、結局紙袋に戻った。誰でも作れそうな、そして乱暴に扱うと破れる危うさに、観る者は心を寄せるようだ。あんなチャチな奴が健気に頑張っている、と思うのです。(余談…キツネ=カップ麺に倣いオレンジ色に・オオカミ=チンギスハンから蒼き狼に作る)
人形の形式を決める際、〈お芝居スタイルも人形遊び〉が頭にあった。オープニングは「ぶんぶく」を継承して、演奏+歌〜漫才的なタイトル紹介。まだ50代だったジイ、テンションマックスでバカ爺を演じてました。お城の住人の登場もひねった。カエル・ニワトリは、ジイの体にくっ付けておく。ハリネズミは会場の何処か(=見付けられる所)に隠しておく。毎回違う会場条件を利用するのが楽しく、新鮮な気分で臨めた。(お芝居の進行に不確定要素を入れるのは、ジイ語で「筋斗雲効果」という)
音楽も団内スタッフとし、オープニング用にチームのテーマソングを依頼。劇中曲の録音はパート毎ではなく、賑やかな合奏を一気にとった。振り返ると、この雰囲気が作品のイメージに合っていたような気がする。そう云えば、演出も「小さなお城の仲間たち」表記した。出演者以外・客観的に見る者を依頼したことに加え、稽古場をオープンにして見学者の意見も取入れる。そんなスタンスで創ったのです。…制作中の観覧自由はその後も継続し、おさんぽ劇場ホームグラウンド=1階会議室(※)の引き戸開放しての仕込みが基本となる。
・・紙袋人形とした結果、上演+ワークショップの依頼も幾つか。中でも児童相談所(2ヶ所)が記憶に残っている。お芝居を観たからこそ制作意欲が湧く+単純だが自由な(講習会ではないという意味)作業。児相スタッフ曰く「心を開きにくい子たちが自由に表現していた」。思いがけないオマケでした。
※1階会議室:間口3間に足りない部屋。狭小会場に対応できるよう、ここで仕込み始めることが多かった。奥のトイレに行くため、多くの劇団員が前を通り、当然覗き見る。
「ケンムン」がオリジナルだったため、併演は知られた話が良かろうと考える。作品探しの指標は「二人で演じるからこそ、登場人物の多い話にしよう!」…で、たどり着いたのが「小さなお城」。最大6キャラが同時に登場するため、まずはそれに対応できる人形のスタイルを検討。比較的早い時期に、袋状の人形に決まった。両手にはめて遣える&置いておけるからだ。(+置きっぱなしの場合、写実的なデザインではなく、オモチャ的な方が合うだろうとも考える)仮人形を紙で作った後、布・石油製品なども試作したが、結局紙袋に戻った。誰でも作れそうな、そして乱暴に扱うと破れる危うさに、観る者は心を寄せるようだ。あんなチャチな奴が健気に頑張っている、と思うのです。(余談…キツネ=カップ麺に倣いオレンジ色に・オオカミ=チンギスハンから蒼き狼に作る)
人形の形式を決める際、〈お芝居スタイルも人形遊び〉が頭にあった。オープニングは「ぶんぶく」を継承して、演奏+歌〜漫才的なタイトル紹介。まだ50代だったジイ、テンションマックスでバカ爺を演じてました。お城の住人の登場もひねった。カエル・ニワトリは、ジイの体にくっ付けておく。ハリネズミは会場の何処か(=見付けられる所)に隠しておく。毎回違う会場条件を利用するのが楽しく、新鮮な気分で臨めた。(お芝居の進行に不確定要素を入れるのは、ジイ語で「筋斗雲効果」という)
音楽も団内スタッフとし、オープニング用にチームのテーマソングを依頼。劇中曲の録音はパート毎ではなく、賑やかな合奏を一気にとった。振り返ると、この雰囲気が作品のイメージに合っていたような気がする。そう云えば、演出も「小さなお城の仲間たち」表記した。出演者以外・客観的に見る者を依頼したことに加え、稽古場をオープンにして見学者の意見も取入れる。そんなスタンスで創ったのです。…制作中の観覧自由はその後も継続し、おさんぽ劇場ホームグラウンド=1階会議室(※)の引き戸開放しての仕込みが基本となる。
・・紙袋人形とした結果、上演+ワークショップの依頼も幾つか。中でも児童相談所(2ヶ所)が記憶に残っている。お芝居を観たからこそ制作意欲が湧く+単純だが自由な(講習会ではないという意味)作業。児相スタッフ曰く「心を開きにくい子たちが自由に表現していた」。思いがけないオマケでした。
※1階会議室:間口3間に足りない部屋。狭小会場に対応できるよう、ここで仕込み始めることが多かった。奥のトイレに行くため、多くの劇団員が前を通り、当然覗き見る。
2026年03月25日
ウサジイの公演日記#1175
【おさんぽの日々】D・・・お城&ケンムン
なぜ、この作品なのか?(ジイ側の記憶では)ジイがケンムンになりたかった、です。「ゆいとケンムン」は、何年か前に提出された候補作品。その企画説明書に妖怪のイラストが描かれていた。丸い奴・長い奴、どんな形にも自在に変化するケンムン。そんな奴になりたくて、そんな人形を遣いたくて…内容は二の次で、レパにと推した。メンバーCちゃん・作&演出Aちゃんが快諾してくれ、夏の終わりから作品創りが始まった。誰が言うともなく、「一日2時間以上は稽古をしない」が合言葉となる。人形・道具作りと稽古が並行しているため、自然とそうなったのだろうが…仕込みメンバーは奄美民謡を聴きながら〈南の島のお芝居やるなら、のんびり構えなきゃ〉と悦に入っていた。
かくして出来あがった作品。人形は、ゆい3体・ケンムン5体もいるのに、道具類が極めて少ない。初演では団扇+テープで雨を表現していた嵐の場面⇒効果音+セット揺らし+ゆいのリアクションでイメージしてください、とカット。舞台転換も、オバアが出れば家、端に去ればガジュマルの森となる。他に場を説明するモノはない。…後に「スカスカ理論」と名付けられる様式。観る側の想像力を信頼する(いや、に寄りかかる?)作品になった。制作している時は夢中で、客観的には考えられなかったのですが…。
唯一、芭蕉布の着物を縫うオバアの道具は精密に作られていた。それで作業するオバアは、左右どちらの手も使う必要がある。ということは胴串も、左右で持ち替えねばならない。そんな理由もあり、胴串を長めにする。ハメ殺しになりかねないツマカワは付けず、人形の腕〜手先様々な部分を持って作業させた。結果、モノを持つ際には難もあるが、多様な遣い方ができる利点が勝った。(伝わり辛い説明しかできず、ゴメンナサイ)…この時の人形構造・遣い方が、カミナリの爺さん・オオカミさんへと継承されることになる。
さてケンムンに惹かれて創ったお芝居ですが…出会い・嵐と起伏はあるものの、主人公の成長は特にない。南の島に住む少女・ゆいが描いた絵日記のような感じ。ラスト=祭りの踊りで盛り上がるけれど、演じていて〈想いを届けた感〉がない。これには、かなり長い間不安を感じていた。劇団内の合評会や観た方の感想を聞き、少しづつ除かれて行ったが、今思い出しても不思議なお話でした。
なぜ、この作品なのか?(ジイ側の記憶では)ジイがケンムンになりたかった、です。「ゆいとケンムン」は、何年か前に提出された候補作品。その企画説明書に妖怪のイラストが描かれていた。丸い奴・長い奴、どんな形にも自在に変化するケンムン。そんな奴になりたくて、そんな人形を遣いたくて…内容は二の次で、レパにと推した。メンバーCちゃん・作&演出Aちゃんが快諾してくれ、夏の終わりから作品創りが始まった。誰が言うともなく、「一日2時間以上は稽古をしない」が合言葉となる。人形・道具作りと稽古が並行しているため、自然とそうなったのだろうが…仕込みメンバーは奄美民謡を聴きながら〈南の島のお芝居やるなら、のんびり構えなきゃ〉と悦に入っていた。
かくして出来あがった作品。人形は、ゆい3体・ケンムン5体もいるのに、道具類が極めて少ない。初演では団扇+テープで雨を表現していた嵐の場面⇒効果音+セット揺らし+ゆいのリアクションでイメージしてください、とカット。舞台転換も、オバアが出れば家、端に去ればガジュマルの森となる。他に場を説明するモノはない。…後に「スカスカ理論」と名付けられる様式。観る側の想像力を信頼する(いや、に寄りかかる?)作品になった。制作している時は夢中で、客観的には考えられなかったのですが…。
唯一、芭蕉布の着物を縫うオバアの道具は精密に作られていた。それで作業するオバアは、左右どちらの手も使う必要がある。ということは胴串も、左右で持ち替えねばならない。そんな理由もあり、胴串を長めにする。ハメ殺しになりかねないツマカワは付けず、人形の腕〜手先様々な部分を持って作業させた。結果、モノを持つ際には難もあるが、多様な遣い方ができる利点が勝った。(伝わり辛い説明しかできず、ゴメンナサイ)…この時の人形構造・遣い方が、カミナリの爺さん・オオカミさんへと継承されることになる。
さてケンムンに惹かれて創ったお芝居ですが…出会い・嵐と起伏はあるものの、主人公の成長は特にない。南の島に住む少女・ゆいが描いた絵日記のような感じ。ラスト=祭りの踊りで盛り上がるけれど、演じていて〈想いを届けた感〉がない。これには、かなり長い間不安を感じていた。劇団内の合評会や観た方の感想を聞き、少しづつ除かれて行ったが、今思い出しても不思議なお話でした。
2026年03月22日
ウサジイの公演日記#1174
【おさんぽの日々】C・・・ぶんぶく&マリーちゃん続々
初期に多様な環境での上演を経験でき、それがお芝居のスタイル・演じ方に影響したと感じている。たとえば、各地のフェスティバルでの上演。客席に大人の割合が高かったり、人形劇団や観劇組織の関係者に囲まれたり…緊張もするし、場を掌握する工夫も求められる。そんなフェスでのお楽しみは、他劇団の作品に出会えること。人形劇にとどまらず様々なジャンルに触れると、やがてそれは自らの創造の糧になる。だからジイ達は、とにかく観まくった。ある時は、次に同じ会場を使用する劇団に「何時から仕込む?」と問い、時間に余裕があると分かると、舞台のバラシを中断して観劇、残りは昼食時間に片付けた。…観れば必ず合評。良き面は取り入れ、納得できない部分はかなり酷評したかな?他に対して文句を言えば、「じゃあアナタはどうなの?」と自分に返ってくる。それが大切。(自分を棚に上げて…も多々あったかもしれないが)
取分け深く印象が残っているモノ、そのひとつは韓国公演。招聘側の要請ではないが、韓国語で上演した。と云ってもジイ達はソコソコ歳なので、必要な語彙を極限まで減らした脚本に書き換えて…。結果、細やかな心情のやり取りにはならず、単純な言葉ばかり。加えて文化の異なる方々へ気持ちを伝える作業は、難しくも新鮮な感覚でした。…文化…そう、彼の地のケンチャナヨ(大丈夫)文化。良い意味でアバウトをヨシとする感覚が、チームカラーに加わったと思う。
もうひとつは(ジイ自身は経験済ではあるものの…)鹿児島県子ども芸術祭典。まず、南九州特有の鷹揚な感覚:これは上記=韓国にも通じ、次作・ケンムン制作に際しても良い効果をもたらしたように思う。そして児童文化に対して真摯に向かう姿勢:人形劇の活動を「運動」ととらえていた時代を生きてきたジイ達。理想高く、無駄を厭わない活動に共感した。祭典の組織スタイル(=上演劇団も実行委員会に加わる)も相まって、招聘された側ではなく、主体者として楽しんで取り組めた。…創立50周年に際して「チャレンジ50」を取り組む切っ掛けのひとつだともいえる。
初期に多様な環境での上演を経験でき、それがお芝居のスタイル・演じ方に影響したと感じている。たとえば、各地のフェスティバルでの上演。客席に大人の割合が高かったり、人形劇団や観劇組織の関係者に囲まれたり…緊張もするし、場を掌握する工夫も求められる。そんなフェスでのお楽しみは、他劇団の作品に出会えること。人形劇にとどまらず様々なジャンルに触れると、やがてそれは自らの創造の糧になる。だからジイ達は、とにかく観まくった。ある時は、次に同じ会場を使用する劇団に「何時から仕込む?」と問い、時間に余裕があると分かると、舞台のバラシを中断して観劇、残りは昼食時間に片付けた。…観れば必ず合評。良き面は取り入れ、納得できない部分はかなり酷評したかな?他に対して文句を言えば、「じゃあアナタはどうなの?」と自分に返ってくる。それが大切。(自分を棚に上げて…も多々あったかもしれないが)
取分け深く印象が残っているモノ、そのひとつは韓国公演。招聘側の要請ではないが、韓国語で上演した。と云ってもジイ達はソコソコ歳なので、必要な語彙を極限まで減らした脚本に書き換えて…。結果、細やかな心情のやり取りにはならず、単純な言葉ばかり。加えて文化の異なる方々へ気持ちを伝える作業は、難しくも新鮮な感覚でした。…文化…そう、彼の地のケンチャナヨ(大丈夫)文化。良い意味でアバウトをヨシとする感覚が、チームカラーに加わったと思う。
もうひとつは(ジイ自身は経験済ではあるものの…)鹿児島県子ども芸術祭典。まず、南九州特有の鷹揚な感覚:これは上記=韓国にも通じ、次作・ケンムン制作に際しても良い効果をもたらしたように思う。そして児童文化に対して真摯に向かう姿勢:人形劇の活動を「運動」ととらえていた時代を生きてきたジイ達。理想高く、無駄を厭わない活動に共感した。祭典の組織スタイル(=上演劇団も実行委員会に加わる)も相まって、招聘された側ではなく、主体者として楽しんで取り組めた。…創立50周年に際して「チャレンジ50」を取り組む切っ掛けのひとつだともいえる。
2026年03月20日
ウサジイの公演日記#1173
【おさんぽの日々】B・・・ぶんぶく&マリーちゃん続
とにかく最初の作品は何事もハジメテ、試行錯誤の連続だったような。次の作品を創ってからも続演し、結局6年ほど続く。(はっきりとした終演宣言してはいないが…)その間、650stを超える公演があった。(ジイ達以前の三人班+以後の三人班の上演分を加えると、800stは超えるんじゃないかな?)で…初演間もなく感じ始め、やがてチームの合言葉になったのは、我々の舞台は「芸術というより芸能」・・いやいや、質の優劣を云々している訳ではありません。舞台と客席をひっくるめた空間・人間の在り様にそんなモノを感じた。(…その15年後の現在、メンバー各自が演出として二人班作品に関わっている。その中で二人ともに感じている点=小学校5〜8人編成と幼保三人班とが違うと同様、幼保の三人編成と二人とは違う。一人少ないだけではなく、作品の質・役者の在り様が違う。人形⇔役者⇔観客の各関係が、集団で演じる場合と違ってしまう。同じような創り方では、無理をしている感が出るような気がする)
ゲイノーという言い回しが出たのは、「ぶんぶく」のスタイルとも関係?そう、漫才師がお芝居する形だったんです。導入のやり取りでお客さんを掴まなきゃならない。当然テンション上がるし、アドリブも増えてしまったり。そんなノリで始まると、お芝居本編も良い加減に脱力する。そして綱渡りの景で観客参加となると、客席と舞台の境目があやふやになる。・・この時の観客チョイスbyCちゃんが見事だった!聞くと、入場時から複数にアタリを付けていたらしい。記憶に残るはフェスでのチョイス…喜多方で劇団TAのOさん・熊本で劇団NのTさん。どちらも劇団員だとは知らず、しかしやってくれそうな眼をしていたそうだ。
ところで、初年度から特殊な公演が多かった。何しろ初演が楽寿園=公園の野外ステージで、カンカン照り・蹴込みが動くほどの強風・袖幕なし…等々。だからか?早い時期に「遊撃的な班」を意識し、様々な会場条件・観客層への対応を考えた。*パンチカーペットを1枚&短くし、演技空間を抑えられるようにする。広い所では、パンチから出て演じれば良いのだから。*蹴込みの高さを高めに作る。大人数の時の〈見えないコール〉に対処したかったから。*幼保以外の公演=小学生・大人が多い場合も意識した。作品的にも、演じ方で対応できるという感覚はあった。(もう少し…つづく)
とにかく最初の作品は何事もハジメテ、試行錯誤の連続だったような。次の作品を創ってからも続演し、結局6年ほど続く。(はっきりとした終演宣言してはいないが…)その間、650stを超える公演があった。(ジイ達以前の三人班+以後の三人班の上演分を加えると、800stは超えるんじゃないかな?)で…初演間もなく感じ始め、やがてチームの合言葉になったのは、我々の舞台は「芸術というより芸能」・・いやいや、質の優劣を云々している訳ではありません。舞台と客席をひっくるめた空間・人間の在り様にそんなモノを感じた。(…その15年後の現在、メンバー各自が演出として二人班作品に関わっている。その中で二人ともに感じている点=小学校5〜8人編成と幼保三人班とが違うと同様、幼保の三人編成と二人とは違う。一人少ないだけではなく、作品の質・役者の在り様が違う。人形⇔役者⇔観客の各関係が、集団で演じる場合と違ってしまう。同じような創り方では、無理をしている感が出るような気がする)
ゲイノーという言い回しが出たのは、「ぶんぶく」のスタイルとも関係?そう、漫才師がお芝居する形だったんです。導入のやり取りでお客さんを掴まなきゃならない。当然テンション上がるし、アドリブも増えてしまったり。そんなノリで始まると、お芝居本編も良い加減に脱力する。そして綱渡りの景で観客参加となると、客席と舞台の境目があやふやになる。・・この時の観客チョイスbyCちゃんが見事だった!聞くと、入場時から複数にアタリを付けていたらしい。記憶に残るはフェスでのチョイス…喜多方で劇団TAのOさん・熊本で劇団NのTさん。どちらも劇団員だとは知らず、しかしやってくれそうな眼をしていたそうだ。
ところで、初年度から特殊な公演が多かった。何しろ初演が楽寿園=公園の野外ステージで、カンカン照り・蹴込みが動くほどの強風・袖幕なし…等々。だからか?早い時期に「遊撃的な班」を意識し、様々な会場条件・観客層への対応を考えた。*パンチカーペットを1枚&短くし、演技空間を抑えられるようにする。広い所では、パンチから出て演じれば良いのだから。*蹴込みの高さを高めに作る。大人数の時の〈見えないコール〉に対処したかったから。*幼保以外の公演=小学生・大人が多い場合も意識した。作品的にも、演じ方で対応できるという感覚はあった。(もう少し…つづく)
2026年03月14日
ウサジイの公演日記#1172
【おさんぽの日々】A・・・ぶんぶく&マリーちゃん
最初のレパは、2011年春仕込みの「ぶんぶく茶がま」と「おばあさんとマリーちゃん」。何故この作品になったのか?理由は「ピノキオ」と仕込みが丸被りだった!です。それまでの関矢演出を離れ、団内演出で取組む小学校作品。当然、劇団を挙げての仕込みになるはず。つまりジイ達の仕込みを手伝ってくれる者は、ほぼいないと考えるべきだ。となると、以前上演した作品で人形・道具が残っているモノしかないだろう…という所から、作品選びが始まった。で、以前Cちゃんが臨時班で上演していた作品はどうだろう?「ぶんぶく」なら、ジイが初演で演じているから好都合…という訳で決定!
決まったからと言って、直ぐに立ち稽古とはならない。3人で演じていたモノが2人になる訳だから、脚本・舞台構造などを考えなおす必要があった。「ぶんぶく」は、和尚と小坊主の二役をジイが兼ねることでほぼ解決。半蹴込み芝居だったこと・二役共に手遣いだったことがラッキーでした。(=脱着は隠れて見えない・両手にはめて遣える)どうしても3人必要な綱渡りの場面は、観客参加形式で乗り切った。一方、箱状のテーブル舞台だった「マリーちゃん」は、演技の動線が変わるが「ぶんぶく」の蹴込みを流用した。出し入れ・操作を考えると、遣っている人形のすぐそばに道具がないと都合が悪い。人形・道具は、極力舞台中央に集めて配置する…これはその後、新作の舞台構造の基本となった。
こうして始まったおさんぽ劇場、最初は公演がなかなか入らなかった。一学期など空いている日の方が多かったはず。少しだけ上演料が低くても、当時は「二人で?…やっぱり三人でなくちゃ」だったんじゃないかな?この地で何十年も積み重ねてきたモノは、侮れないのでした。
最初のレパは、2011年春仕込みの「ぶんぶく茶がま」と「おばあさんとマリーちゃん」。何故この作品になったのか?理由は「ピノキオ」と仕込みが丸被りだった!です。それまでの関矢演出を離れ、団内演出で取組む小学校作品。当然、劇団を挙げての仕込みになるはず。つまりジイ達の仕込みを手伝ってくれる者は、ほぼいないと考えるべきだ。となると、以前上演した作品で人形・道具が残っているモノしかないだろう…という所から、作品選びが始まった。で、以前Cちゃんが臨時班で上演していた作品はどうだろう?「ぶんぶく」なら、ジイが初演で演じているから好都合…という訳で決定!
決まったからと言って、直ぐに立ち稽古とはならない。3人で演じていたモノが2人になる訳だから、脚本・舞台構造などを考えなおす必要があった。「ぶんぶく」は、和尚と小坊主の二役をジイが兼ねることでほぼ解決。半蹴込み芝居だったこと・二役共に手遣いだったことがラッキーでした。(=脱着は隠れて見えない・両手にはめて遣える)どうしても3人必要な綱渡りの場面は、観客参加形式で乗り切った。一方、箱状のテーブル舞台だった「マリーちゃん」は、演技の動線が変わるが「ぶんぶく」の蹴込みを流用した。出し入れ・操作を考えると、遣っている人形のすぐそばに道具がないと都合が悪い。人形・道具は、極力舞台中央に集めて配置する…これはその後、新作の舞台構造の基本となった。
こうして始まったおさんぽ劇場、最初は公演がなかなか入らなかった。一学期など空いている日の方が多かったはず。少しだけ上演料が低くても、当時は「二人で?…やっぱり三人でなくちゃ」だったんじゃないかな?この地で何十年も積み重ねてきたモノは、侮れないのでした。
2026年03月13日
ウサジイの公演日記#1171
【おさんぽの日々】@・・・最初の一歩
45年ほど前に劇団に足を踏み入れ、以来役者として活動してきたジイの最後の15年間は、二人班「おさんぽ劇場」。そもそも当劇団の小編成は、(少なくとも2026,3現在迄は)三人班が基本です。劇団創立者は「集団は三人から」が口癖で、アンサンブルの最低人数を三人としたようです。それゆえ劇団創立の数年後以降、幼児作品は何十年も三人編成で演じられてきました。そんな中、1990年代後半に二人班「にこにこ劇場」が誕生。これは、実は窮余の策だったんです。当時、子育てのため舞台を下りている女性が何人かいたんですが、彼女たちが「演じたい!」と声をあげた。けれど保育園への送迎がある、子ども疾病の心配もある。そこで考えたのがローテーション班。3人グループで2人編成作品を上演する。これならば何とか続けられるだろうという訳です。この形で何作品か公演が続きました。その後、人事上の事情によるベテラン二人班が数年間あった。このチームの手打ち公演では「二人合わせて100歳!」がキャッチフレーズでした。(今の〈おさんぽ〉からすると、若い)
そして、その班が解散するという年の人事会議。二人は別の班に異動。ジイが属していた三人班から、一名異動・一名退団の予定。という訳で、ジイは人事の表に一人ぼっちとなる。(実際には多様な案が錯綜していたのだが…)とにかく絶対数が足りない!で、ジイ「Cちゃんは?」、以前にこにこ劇場(上記)所属の女性について訊ねる。〈部署希望アンケート〉をチェックすると「子育ても一段落しそうだから、舞台へ戻ろうかな」的な記載があった(と思う)。・・てな経過で、(端から二人班ありきではなかったが)おさんぽ劇場が誕生するのです。チーム結成の由来を問われ、「余った二人だったんです」と答えていたのは、当たらずとは言えずとも遠からず。活動を始めたのは2011年3月末、東日本大震災の直後からでした。因みにグループ名は、最初の手打ち公演時に「親しみを感じるよう・役者の名前を知ってもらうよう」にと決めたモノ。…以後、各作品等についてお話してゆきますが、ジイの記憶違いがあるやも知れず…ご容赦を。
45年ほど前に劇団に足を踏み入れ、以来役者として活動してきたジイの最後の15年間は、二人班「おさんぽ劇場」。そもそも当劇団の小編成は、(少なくとも2026,3現在迄は)三人班が基本です。劇団創立者は「集団は三人から」が口癖で、アンサンブルの最低人数を三人としたようです。それゆえ劇団創立の数年後以降、幼児作品は何十年も三人編成で演じられてきました。そんな中、1990年代後半に二人班「にこにこ劇場」が誕生。これは、実は窮余の策だったんです。当時、子育てのため舞台を下りている女性が何人かいたんですが、彼女たちが「演じたい!」と声をあげた。けれど保育園への送迎がある、子ども疾病の心配もある。そこで考えたのがローテーション班。3人グループで2人編成作品を上演する。これならば何とか続けられるだろうという訳です。この形で何作品か公演が続きました。その後、人事上の事情によるベテラン二人班が数年間あった。このチームの手打ち公演では「二人合わせて100歳!」がキャッチフレーズでした。(今の〈おさんぽ〉からすると、若い)
そして、その班が解散するという年の人事会議。二人は別の班に異動。ジイが属していた三人班から、一名異動・一名退団の予定。という訳で、ジイは人事の表に一人ぼっちとなる。(実際には多様な案が錯綜していたのだが…)とにかく絶対数が足りない!で、ジイ「Cちゃんは?」、以前にこにこ劇場(上記)所属の女性について訊ねる。〈部署希望アンケート〉をチェックすると「子育ても一段落しそうだから、舞台へ戻ろうかな」的な記載があった(と思う)。・・てな経過で、(端から二人班ありきではなかったが)おさんぽ劇場が誕生するのです。チーム結成の由来を問われ、「余った二人だったんです」と答えていたのは、当たらずとは言えずとも遠からず。活動を始めたのは2011年3月末、東日本大震災の直後からでした。因みにグループ名は、最初の手打ち公演時に「親しみを感じるよう・役者の名前を知ってもらうよう」にと決めたモノ。…以後、各作品等についてお話してゆきますが、ジイの記憶違いがあるやも知れず…ご容赦を。
2026年03月11日
ウサジイの公演日記#1170
【ウサジイむかし話】〈156〉・・・稽古場…など
作品の制作等に使う稽古スペース。現劇団には大小2つと、やや狭いが会議室の3ヶ所。が、これでは足りず外部の施設を借りることもある。幼保班なら地元・緑区のコミュニティーセンター、小学校班は東海市の会館など。東海市の市民館のお世話になったこともあったか。…30年ほど前までの旧稽古場には小稽古場はなく、今以上借りていたと記憶している。
緑区内なら、宿泊青年の家・生涯学習センター・大高公民館・有松公民館など。宿青は大根山稽古場から徒歩10分、稽古以外にレッスン、「西遊記」の大きな幕に絵を縫付ける作業にも使用した。大高公民館もお馴染みで、会議室とホール。このホールは、古いものの1&2階に固定席がある中ホール。さすがに照明機材等は限られていたが、ジイ入団前には「悟空誕生」(第1回目)を上演したらしい。公民館は名古屋市内では緑区のみで、これは合併前の旧自治体の名残だった。(大高公の近くには銭湯もあったなぁ…)・・それから、大根山から近い大府市の各公民館。北山に行く時は、必ず近くのパン屋・アンに寄った。共長では職員に声を掛けられ、同施設で子ども達に太鼓を教えた。共和で和楽器のメンバーが揃っての「名古屋心中」稽古、来館の皆さんが聞き入っていた。あと大府では、市体育館や文化会館も。
最近、劇団うりんこさんが当劇団の稽古場を借りることがあるが…以前、反対にお借りしたことも。それは現劇場ではなく、同じ所にあった木造の旧い建物かも知れない。他に、(ジイではないが)フォークグループ鬼剣舞さんの所、高蔵寺の奥まで行ったとか。ジイは劇団名芸さんの稽古場で「石の馬」の入替えをしたことがある。天井が低く、肩乗せができなかったような…。いずれも朧げな記憶です。
(オマケ)大高からの流れで…「大高動物園」いわゆる動物園ではなく、保護犬などを飼っていた施設。ヤギもいたかな。大高緑地公園に隣接していて、個人の活動だったのか?それから公民館近くの「大高水族館」こちらは鑑賞魚販売店。(オマケ2)動物園と云えば、R23飛島村にエルザという喫茶店があった。店内にライオン(もちろん檻内)がいるのです。コーヒーが¥500と、当時としては超高価。一度だけ入った。他に岐阜城の下・岐阜公園のペンギン水槽、松阪城内には確かトラの檻があった。いずれも無料!公演帰りのお楽しみでした。
作品の制作等に使う稽古スペース。現劇団には大小2つと、やや狭いが会議室の3ヶ所。が、これでは足りず外部の施設を借りることもある。幼保班なら地元・緑区のコミュニティーセンター、小学校班は東海市の会館など。東海市の市民館のお世話になったこともあったか。…30年ほど前までの旧稽古場には小稽古場はなく、今以上借りていたと記憶している。
緑区内なら、宿泊青年の家・生涯学習センター・大高公民館・有松公民館など。宿青は大根山稽古場から徒歩10分、稽古以外にレッスン、「西遊記」の大きな幕に絵を縫付ける作業にも使用した。大高公民館もお馴染みで、会議室とホール。このホールは、古いものの1&2階に固定席がある中ホール。さすがに照明機材等は限られていたが、ジイ入団前には「悟空誕生」(第1回目)を上演したらしい。公民館は名古屋市内では緑区のみで、これは合併前の旧自治体の名残だった。(大高公の近くには銭湯もあったなぁ…)・・それから、大根山から近い大府市の各公民館。北山に行く時は、必ず近くのパン屋・アンに寄った。共長では職員に声を掛けられ、同施設で子ども達に太鼓を教えた。共和で和楽器のメンバーが揃っての「名古屋心中」稽古、来館の皆さんが聞き入っていた。あと大府では、市体育館や文化会館も。
最近、劇団うりんこさんが当劇団の稽古場を借りることがあるが…以前、反対にお借りしたことも。それは現劇場ではなく、同じ所にあった木造の旧い建物かも知れない。他に、(ジイではないが)フォークグループ鬼剣舞さんの所、高蔵寺の奥まで行ったとか。ジイは劇団名芸さんの稽古場で「石の馬」の入替えをしたことがある。天井が低く、肩乗せができなかったような…。いずれも朧げな記憶です。
(オマケ)大高からの流れで…「大高動物園」いわゆる動物園ではなく、保護犬などを飼っていた施設。ヤギもいたかな。大高緑地公園に隣接していて、個人の活動だったのか?それから公民館近くの「大高水族館」こちらは鑑賞魚販売店。(オマケ2)動物園と云えば、R23飛島村にエルザという喫茶店があった。店内にライオン(もちろん檻内)がいるのです。コーヒーが¥500と、当時としては超高価。一度だけ入った。他に岐阜城の下・岐阜公園のペンギン水槽、松阪城内には確かトラの檻があった。いずれも無料!公演帰りのお楽しみでした。
2026年03月06日
ウサジイの公演日記#1169
「ももん」の幼保公演で、150人ほどの園が続いた。四日市市近郊と名古屋市内。園の雰囲気は違うが、それぞれに良き公演ができた。一方は反応のメリハリがバッチリ、もう一方は笑いが長引くがそれはそれで楽しい。しかし100名を大きく超えると、舞台から客席全部を把握するのは難しい。・・・で、その翌日、岐阜県の山あいにある園に伺った。50人に満たない小規模園です。一人ひとりを見ながら演じられる環境だと、子ども達の面白い行動も詳細に見届けられる。(公演後、先生との歓談で、小規模園の良い所&弱点が話題となる)
「カミナリ」前半・ゴロちゃんが雨を降らせる場面。呪文を唱えると、団扇に多数のテープが付いたアメが登場する。爺さんは、セルフ=ジイが雨+人形操作で雨に降られて右往左往「冷たい、冷たい!」すると客席下手前方の2歳さん・男の子が、自分も頭を抱えて逃げ惑う姿。それに同調する子も何人か。同じく雨は後半にも出るが、やっぱり彼らは大騒ぎ。夏にシャワーを浴びた記憶が残っているのだろうか?「カミナリ」も9年やってるが、初めての反応です。
そんな園の終演後、年中・長クラスとの質問コーナーが自然と始まった。中でも男の子・5歳さんが、道具の作り方を何度も問うてくる。後で先生から聞いた話…彼は爺ちゃん子で、その爺ちゃんは畑を作っている。お芝居の中の爺さんと重なったのか、自分もクワを作り畑作業に参加したいらしい。手作りのクワが果たして機能するか疑問だが、頑張ってほしいものです。
・・・と、ブログ前回=横浜で出会った男の子を思い出した。小学校5年生だと云う劇場役員さんの子。搬入時から居て、仕込みを熱心に見ていた。余りに熱心なので問うと、ひとみ座さんの近くに住み親交があるらしい。人形劇に興味があり、昨年の飯田フェスタでは27stも観劇した。将来は人形劇に関わる仕事に就きたい、等々。そんな彼、上演中は傍に構えて客席も見ているような…。しかも、二本立ての幕あいをどうするか?が一番の興味だと云う。果たして将来の目標が揺らぐことないか?それは分からないが、楽しみな子でした。
「カミナリ」前半・ゴロちゃんが雨を降らせる場面。呪文を唱えると、団扇に多数のテープが付いたアメが登場する。爺さんは、セルフ=ジイが雨+人形操作で雨に降られて右往左往「冷たい、冷たい!」すると客席下手前方の2歳さん・男の子が、自分も頭を抱えて逃げ惑う姿。それに同調する子も何人か。同じく雨は後半にも出るが、やっぱり彼らは大騒ぎ。夏にシャワーを浴びた記憶が残っているのだろうか?「カミナリ」も9年やってるが、初めての反応です。
そんな園の終演後、年中・長クラスとの質問コーナーが自然と始まった。中でも男の子・5歳さんが、道具の作り方を何度も問うてくる。後で先生から聞いた話…彼は爺ちゃん子で、その爺ちゃんは畑を作っている。お芝居の中の爺さんと重なったのか、自分もクワを作り畑作業に参加したいらしい。手作りのクワが果たして機能するか疑問だが、頑張ってほしいものです。
・・・と、ブログ前回=横浜で出会った男の子を思い出した。小学校5年生だと云う劇場役員さんの子。搬入時から居て、仕込みを熱心に見ていた。余りに熱心なので問うと、ひとみ座さんの近くに住み親交があるらしい。人形劇に興味があり、昨年の飯田フェスタでは27stも観劇した。将来は人形劇に関わる仕事に就きたい、等々。そんな彼、上演中は傍に構えて客席も見ているような…。しかも、二本立ての幕あいをどうするか?が一番の興味だと云う。果たして将来の目標が揺らぐことないか?それは分からないが、楽しみな子でした。
2026年03月05日
ウサジイの公演日記#1168
横浜市の劇場で「ももん&カミナリ」…ホントは秋に予定されていたのだが、ジイの病のため大幅に延期(申し訳ない)。前日は小牧市の保育園で「ともだちや」を上演。速攻劇団へ帰り、荷物を積み替えて東へと走る。東京の手前とはいえ厚木手前から渋滞が始まり、宿到着は暗くなってから。…が、東名の下りが大渋滞(殆ど動かず)だった。ネットチェックでは交通止!の表示。明日の回復を祈って寝る。翌朝、土曜の朝は道も空いて順調に会場入り。複合施設の多目的ホール。新しくはないが、工夫された良い空間。ただ、シーリングライトの設置にミスがあり、可動舞台に当てることができない…と、ホールスタッフもこぼしていた。
さて上演。午前は小さい子がほとんど、午後は小学生も多いステージ。同一会場2stの2回目は、余計なことを考えてしまう場合もある。が、客層が違うとその反応に助けられて、新鮮な演技ができる。有り難いし、何より演じていて楽しい。。ヨコハマと聞くと、ジイなどはハイソなイメージが強い。「カミナリカレー」の爺ちゃん・カミナリ母子の粗暴さがどう映るか?やや心配したが、杞憂。雷ゴロちゃんを摘まみ上げる肝っ玉母ちゃんに大笑いの会場でした。
ところで横浜には、翌週「ニルス」もやって来る。その会場飾り付けを階下で製作中と聞き、ニルス記事が詰まった劇団ニュースを届ける。するといきなり「あ、Kさんですよね」「え?どこかで?」「千葉で『ともだちや』を観て…ファンになりました」思いがけない再会(?)で、嬉しいお言葉!…再会(?)と云えば、ロビーで待機中の劇場さん「昔観た最遊記、忘れられないわ〜」で、「出てました?」最近は2000年前後・第3クールを観た方が多いが、話してゆくと90年前後のジイ達の時代。話が盛り上がり「悟空が水中を泳ぐ時、ロープのアワを出す役がいるのよ!」実にマニアックな方、嬉しいなぁ。その後も、今の会員パパにはその頃の子が多い、東北から来たパパも観ていた、等々。…午後の終演後には、そんなパパがやって来て「小さい頃、最遊記を大牟田で観ました」その方のお母さんは、今も彼の地で活動されていて、「ももん」も観たとのこと。…長いことやってると、嬉しい繋がりを知ります。
さて上演。午前は小さい子がほとんど、午後は小学生も多いステージ。同一会場2stの2回目は、余計なことを考えてしまう場合もある。が、客層が違うとその反応に助けられて、新鮮な演技ができる。有り難いし、何より演じていて楽しい。。ヨコハマと聞くと、ジイなどはハイソなイメージが強い。「カミナリカレー」の爺ちゃん・カミナリ母子の粗暴さがどう映るか?やや心配したが、杞憂。雷ゴロちゃんを摘まみ上げる肝っ玉母ちゃんに大笑いの会場でした。
ところで横浜には、翌週「ニルス」もやって来る。その会場飾り付けを階下で製作中と聞き、ニルス記事が詰まった劇団ニュースを届ける。するといきなり「あ、Kさんですよね」「え?どこかで?」「千葉で『ともだちや』を観て…ファンになりました」思いがけない再会(?)で、嬉しいお言葉!…再会(?)と云えば、ロビーで待機中の劇場さん「昔観た最遊記、忘れられないわ〜」で、「出てました?」最近は2000年前後・第3クールを観た方が多いが、話してゆくと90年前後のジイ達の時代。話が盛り上がり「悟空が水中を泳ぐ時、ロープのアワを出す役がいるのよ!」実にマニアックな方、嬉しいなぁ。その後も、今の会員パパにはその頃の子が多い、東北から来たパパも観ていた、等々。…午後の終演後には、そんなパパがやって来て「小さい頃、最遊記を大牟田で観ました」その方のお母さんは、今も彼の地で活動されていて、「ももん」も観たとのこと。…長いことやってると、嬉しい繋がりを知ります。
2026年02月23日
ウサジイの公演日記#1167
【ウサジイ昔ばなし】〈155〉・・・仕込みバラシ
先日のこと…時間通りに公演地到着。さて搬入!と思ったら、園の事情で30分待つことになる。事前に電話で確認しているのだが、先方に勘違いがあったらしい。…という訳で搬入〜仕込み完了までは60分間となるが、ジイ達の作品は仕込みが簡便で40分程で完了。ま、搬入経路に恵まれ会場条件も良かったからなのだが。そんなことから、その昔の状況を思い出してみた。
ジイ入団の頃=1980年代の幼保公演は、開演の60分前が入り時間。そもそも午前・午後移動2stが通常だったので、そうでなければ回らなかった。10時・13時なんてのもあり、衣装のままでパンを食べながらの移動でした。当然、現在のようにウォーミングアップする余裕はなかった。(ていうか、そういう習慣がなかったかな?)それどころか衣装への着替え時間もままならない場合、子ども達が入場・着席〜「もういいかい」〜靴下を履きながら「まぁだだよ」…を繰り返した挙句の開演だったりも。
1980年代後半〜90年代前半、ジイは小学校公演班…小学校公演での仕込み時間はハッキリ覚えていないが、今よりは短かった。人形・道具の量はさほど違わないが、照明の数が極めて少なかったせいか?「かダオの子」の小学校公演の日、ジイはトラックで単独入りだったんだが…寝坊した!起きたのは、ほぼ入り時刻。慌てて走り、会場到着は開演一時間前。後半に登場するモノは、途中休憩での準備にまわして、何とかなったと記憶している。
ホール公演は、夕方開演ならば13時入りだから、今と同じかな?バラシの最短記録は「悟空誕生」の30分弱。当時の劇場公演は19時開演の場合もあり、会館の閉館が21時だと、そうせざるを得ない。(公演の事務打ち合わせがアバウトだった時代だからなのでしょう)そのステージでは、途中休憩時に前半の道具等を梱包。お芝居終盤・二人の悟空の場面は、舞台上には悟空役一人…なので他のメンバーはバラシを始める…音を立てないように気をつけて。最終的には舞台に貼ったパンチカーペット周囲のガムテープ、終わっていないのに剥がし始めた。
・・・そんな時代を過ごしたジイ、時間がない仕込み・バラシも、時々であれば楽しかったりするのです。お
先日のこと…時間通りに公演地到着。さて搬入!と思ったら、園の事情で30分待つことになる。事前に電話で確認しているのだが、先方に勘違いがあったらしい。…という訳で搬入〜仕込み完了までは60分間となるが、ジイ達の作品は仕込みが簡便で40分程で完了。ま、搬入経路に恵まれ会場条件も良かったからなのだが。そんなことから、その昔の状況を思い出してみた。
ジイ入団の頃=1980年代の幼保公演は、開演の60分前が入り時間。そもそも午前・午後移動2stが通常だったので、そうでなければ回らなかった。10時・13時なんてのもあり、衣装のままでパンを食べながらの移動でした。当然、現在のようにウォーミングアップする余裕はなかった。(ていうか、そういう習慣がなかったかな?)それどころか衣装への着替え時間もままならない場合、子ども達が入場・着席〜「もういいかい」〜靴下を履きながら「まぁだだよ」…を繰り返した挙句の開演だったりも。
1980年代後半〜90年代前半、ジイは小学校公演班…小学校公演での仕込み時間はハッキリ覚えていないが、今よりは短かった。人形・道具の量はさほど違わないが、照明の数が極めて少なかったせいか?「かダオの子」の小学校公演の日、ジイはトラックで単独入りだったんだが…寝坊した!起きたのは、ほぼ入り時刻。慌てて走り、会場到着は開演一時間前。後半に登場するモノは、途中休憩での準備にまわして、何とかなったと記憶している。
ホール公演は、夕方開演ならば13時入りだから、今と同じかな?バラシの最短記録は「悟空誕生」の30分弱。当時の劇場公演は19時開演の場合もあり、会館の閉館が21時だと、そうせざるを得ない。(公演の事務打ち合わせがアバウトだった時代だからなのでしょう)そのステージでは、途中休憩時に前半の道具等を梱包。お芝居終盤・二人の悟空の場面は、舞台上には悟空役一人…なので他のメンバーはバラシを始める…音を立てないように気をつけて。最終的には舞台に貼ったパンチカーペット周囲のガムテープ、終わっていないのに剥がし始めた。
・・・そんな時代を過ごしたジイ、時間がない仕込み・バラシも、時々であれば楽しかったりするのです。お
2026年02月15日
ウサジイの公演日記#1166
東濃の保育園で「ともだちや」の公演。久しぶりに走る中央道は、何ヶ月も続いた多治見付近の工事が終わって快適。予定より10分以上早く着く。保育園の隣には発達障害を持つ子の通所施設もあり、地域の総合的な子育てセンターを形成している。そんなわけで、園にも加配の先生に付き添われる子が少なくないようだ。仕込み終わり、先生との打合せで会場に不安な子のシタミを伝えると、2〜3人やって来る。
Sくんは不安な素振りはないが、なかなか舞台に関心を持ってくれない。素知らぬような風情だが、先生は「結構見ているんですよ」逆にKくんは、興味津々。カエルの人形を渡すと、それを遣ってかくれんぼを始める。舞台上のパネルに隠すようにして、「い〜ち、に〜い、…」と数え始める。ジイ達が「どこにいった?」と探し始めると嬉しそうに人形の場所を移動させる。しばらく遊ぶと、執着せずカエルを返してくれる。…が、上演中。オオカミがトランプで遊び始めると、「遊びた〜い!」オオカミが遊んでいるのが、相当羨ましかったのだろう。場面が変わるまで続いた。
会場に入れない子もいた。入口引戸の向う側で先生と二人、こっちを見たり見なかったり。…で、幕あいの遊びの間、ジイが出向く。数分の余裕があるので、次に使うバードコールを持って。それを使い「キュキュ…♫」と鳴らすとジーッと見る。先生も「何の声かな?」と盛り上げてくれる。その後、少しだけ会場に入ってくれた。…終演まで来られなかった子も。開演前に大泣きしていたDくんは、終わってから覗きに来た。まだ半分涙顔だったが、クマが出迎えると笑顔を見せてくれた。・・・観るやり方は、色々あってみんな良い。のです。
Sくんは不安な素振りはないが、なかなか舞台に関心を持ってくれない。素知らぬような風情だが、先生は「結構見ているんですよ」逆にKくんは、興味津々。カエルの人形を渡すと、それを遣ってかくれんぼを始める。舞台上のパネルに隠すようにして、「い〜ち、に〜い、…」と数え始める。ジイ達が「どこにいった?」と探し始めると嬉しそうに人形の場所を移動させる。しばらく遊ぶと、執着せずカエルを返してくれる。…が、上演中。オオカミがトランプで遊び始めると、「遊びた〜い!」オオカミが遊んでいるのが、相当羨ましかったのだろう。場面が変わるまで続いた。
会場に入れない子もいた。入口引戸の向う側で先生と二人、こっちを見たり見なかったり。…で、幕あいの遊びの間、ジイが出向く。数分の余裕があるので、次に使うバードコールを持って。それを使い「キュキュ…♫」と鳴らすとジーッと見る。先生も「何の声かな?」と盛り上げてくれる。その後、少しだけ会場に入ってくれた。…終演まで来られなかった子も。開演前に大泣きしていたDくんは、終わってから覗きに来た。まだ半分涙顔だったが、クマが出迎えると笑顔を見せてくれた。・・・観るやり方は、色々あってみんな良い。のです。
2026年02月11日
ウサジイの公演日記#1165
珍しく二週続けての伊勢市は、子育て支援センターでの公演です。前週より寒気襲来の報があったので、前日も天気予報・道路情報をチェックしていた。その時点で、東名阪道〜伊勢道は問題なし。…一夜明け、早朝の名古屋に降雪なし。一安心して、車中での朝食を準備するジイ…と、電話が!おさんぽ劇場メンバー・Cちゃん「止まってるよ、鈴鹿から久居が」ビックリ「5分後に出ます!」と答え、とにかく大急ぎで家を出る。・・で始まる 雪の一日。
出発は6時をまわった頃、とにかく伊勢湾岸道に乗る。走りながら情報をあつめ、通行止め始点・鈴鹿手前から渋滞アリ(当然か)のため川越ICからR23を選択する。が、下りると眼前の国道は大渋滞で、ほとんど動いていない。ならばとR1バイパスへ抜ける。そのまま終点まで行っても、四日市の中程で終点になる。渋滞覚悟で四日市東ICから東名阪道に乗る。この時のR1〜ICが、かなり雪国だった。周囲は真っ白、路面は圧雪がやや凍りかけていて、停車→始動時に後輪=駆動輪が横滑りしがち。高速部分の路面は問題なしだが、鈴鹿ICを下りるために30分かかった。その後R306を亀山方面へ走る道路もかなりの積雪で、取り分け下り坂は危険なため渋滞がひどい。津市に抜ける山道には、スリップしたのか山腹に突っ込んだままの車両もあった。(本格的雪道を走るのは久しぶりだが、昔はノーマルで走っていたジイ、これっくらいはまぁ余裕…?)
鈴鹿ICを下りる頃には、予定時刻での開演は難しいことが分かっていた。7時半頃から電話をかけるが、なかなか繋がらない。幼保の園ではなく支援センターなので、開館は早くないのだろう。県道を走り津市に入ったのが9時。漸く電話がつながる。遠く伊勢市は雪の気配があるはずもなく、通行止めもピンとこないようだ。現状では、仕込みを急いでも開演は11:30になりそうだと伝えると、ありがたいことに午後公演に変更してくださる。30組程の親子に連絡を取ってくれるわけで、申し訳ないやら嬉しいやら。という訳で、残りの往路はノンビリと下道を…23号・南勢バイパス脇のイオンモールで早めの昼食をとり、昼過ぎに到着。無事(?)上演となりました。ちなみに通行止めは昼過ぎまで続いていたが、14時には解除され、帰りは快適な走行。明るいうちに帰れました。
出発は6時をまわった頃、とにかく伊勢湾岸道に乗る。走りながら情報をあつめ、通行止め始点・鈴鹿手前から渋滞アリ(当然か)のため川越ICからR23を選択する。が、下りると眼前の国道は大渋滞で、ほとんど動いていない。ならばとR1バイパスへ抜ける。そのまま終点まで行っても、四日市の中程で終点になる。渋滞覚悟で四日市東ICから東名阪道に乗る。この時のR1〜ICが、かなり雪国だった。周囲は真っ白、路面は圧雪がやや凍りかけていて、停車→始動時に後輪=駆動輪が横滑りしがち。高速部分の路面は問題なしだが、鈴鹿ICを下りるために30分かかった。その後R306を亀山方面へ走る道路もかなりの積雪で、取り分け下り坂は危険なため渋滞がひどい。津市に抜ける山道には、スリップしたのか山腹に突っ込んだままの車両もあった。(本格的雪道を走るのは久しぶりだが、昔はノーマルで走っていたジイ、これっくらいはまぁ余裕…?)
鈴鹿ICを下りる頃には、予定時刻での開演は難しいことが分かっていた。7時半頃から電話をかけるが、なかなか繋がらない。幼保の園ではなく支援センターなので、開館は早くないのだろう。県道を走り津市に入ったのが9時。漸く電話がつながる。遠く伊勢市は雪の気配があるはずもなく、通行止めもピンとこないようだ。現状では、仕込みを急いでも開演は11:30になりそうだと伝えると、ありがたいことに午後公演に変更してくださる。30組程の親子に連絡を取ってくれるわけで、申し訳ないやら嬉しいやら。という訳で、残りの往路はノンビリと下道を…23号・南勢バイパス脇のイオンモールで早めの昼食をとり、昼過ぎに到着。無事(?)上演となりました。ちなみに通行止めは昼過ぎまで続いていたが、14時には解除され、帰りは快適な走行。明るいうちに帰れました。
2026年02月08日
ウサジイの公演日記#1164
【ウサジイ昔ばなし】〈154〉・・・高速まで
久しぶりに伊勢市での公演があった。会場が比較的海側だったので、帰りはR23南勢バイパスで津ICまで戻ることにした。ちゃんと走るのは何十年ぶりか?…だが、道路のイメージは変わっていなかった…当たり前か。走りながら「伊勢や鳥羽へは、久居からこの道を走ったなぁ」などと思いを馳せる。ジイが入団した頃、伊勢道は久居まで、名古屋高速は大高・高辻間のみ。よって三重県方面へは、名古屋西ICには向かわず、まず名四国道を走り、R 258で右折し桑名ICから東名阪道。鈴鹿本線料金所を通過、伊勢道終点・久居からはバイパスだが、片側一車線のためフルスピードとは行かなかった。後年三重方面へは、名高の全線開通すると大高〜名古屋西〜東名阪道、更に湾岸開通後に名港トリトンルートとなる。
さて他の方面はどうだったんだろう?と考えると・・・劇団員の多くが瑞穂区に暮らしていた時代は、ほぼ名古屋ICを利用していた。(場合によっては、静岡方面は豊田IC)しばらく後、居住の中心が緑区になると劇団からの出発となり、加えて名古屋高速の延伸・湾岸道が一部開通、様々なルートが考えられるようになる。ただし名高は一宮と小牧線未開通で…劇団〜豊明ICで湾岸道〜始点・豊田東IC〜R155で豊田ICが主流。東濃など北方面は下道を通っての三好ICもあり、抜け道を探すのが楽しかった。因みに、名高・一宮線開通後に大垣方面へ急ぐ場合、名古屋高速で大高〜名古屋西〜東名阪・清州〜一宮線で名神一宮IC…清須線がなかったのです。・・とまぁ、道路不案内な方には訳の分からない話になりましたが、高速道路未整備な時代は選択肢が多く、ジイの様な者にとっては楽しかったのです。
久しぶりに伊勢市での公演があった。会場が比較的海側だったので、帰りはR23南勢バイパスで津ICまで戻ることにした。ちゃんと走るのは何十年ぶりか?…だが、道路のイメージは変わっていなかった…当たり前か。走りながら「伊勢や鳥羽へは、久居からこの道を走ったなぁ」などと思いを馳せる。ジイが入団した頃、伊勢道は久居まで、名古屋高速は大高・高辻間のみ。よって三重県方面へは、名古屋西ICには向かわず、まず名四国道を走り、R 258で右折し桑名ICから東名阪道。鈴鹿本線料金所を通過、伊勢道終点・久居からはバイパスだが、片側一車線のためフルスピードとは行かなかった。後年三重方面へは、名高の全線開通すると大高〜名古屋西〜東名阪道、更に湾岸開通後に名港トリトンルートとなる。
さて他の方面はどうだったんだろう?と考えると・・・劇団員の多くが瑞穂区に暮らしていた時代は、ほぼ名古屋ICを利用していた。(場合によっては、静岡方面は豊田IC)しばらく後、居住の中心が緑区になると劇団からの出発となり、加えて名古屋高速の延伸・湾岸道が一部開通、様々なルートが考えられるようになる。ただし名高は一宮と小牧線未開通で…劇団〜豊明ICで湾岸道〜始点・豊田東IC〜R155で豊田ICが主流。東濃など北方面は下道を通っての三好ICもあり、抜け道を探すのが楽しかった。因みに、名高・一宮線開通後に大垣方面へ急ぐ場合、名古屋高速で大高〜名古屋西〜東名阪・清州〜一宮線で名神一宮IC…清須線がなかったのです。・・とまぁ、道路不案内な方には訳の分からない話になりましたが、高速道路未整備な時代は選択肢が多く、ジイの様な者にとっては楽しかったのです。
2026年02月02日
ウサジイの公演日記#1163
ジイ自身の公演ではなく、他劇団の公演を観に行った話・・敬愛する先輩人形劇人の劇団が、この地方に来るという。しかも、以前当劇団に在籍していた者も出演するらしい。ならばと、チョット遠いが四日市市まで出かけることにした。日々の公演では高速道路を利用するが、土曜日の昼なのでR23を利用。川越IC付近からはR1・北勢バイパスを使って約90分。少々時間はかかるが、大学時代を三重県で過ごしたジイにとっては第2の故郷的な地域…さほど気にならない。会場のメリーゴーランドさんも、お馴染みの書店です。(劇団の自主公演時には、チラシを置いてもらっている)
書店のレジで前売り券を購入、開場までは書棚を眺めて待つ。10分程前に開場、3階ホールへ案内されると、赤色系の美しい人形劇舞台が待ち構えていた。客席には大人が50名余りと、その半分ほどの子ども達。穏やかな雰囲気でステージは進行した。観劇の後はワークショップ。紙袋+色画用紙+紙テープなどで、誰も見たことがない生き物を作ろう!と云うものです。チョット照れ臭い気分で参加するが、1時間がアッという間に過ぎてしまった。(いつもは指導する側だが、自由に作るのは良いなぁ)
ところで観たお芝居の感想、これが不思議な感じ。人形劇をやっている者は素直に観られない…と云うか、自分の人形劇観との比較で観てしまうことが多い。そのせいか、楽しんで観た・拍手を送りたい作品であっても、観ている時はムズカシイ顔をしがちなのです。(料理人が他店で食事をする時のようなイメージでしょうか)なのに、この日は違っていた。素直に…と云うか、ボーッと観ていたら終わってしまった…てな感じ。それについて、後から考えてみた。・・舞台表現では、表現者は客席に向かって感情・メッセージを送ろうとする。基本、舞台側が投げ、客席が受取る。この日は、それが少し違っていた。舞台上の世界は淡々と進む・客席側がそれを覗きアレコレ感じる…そんな風だったんじゃないだろうか?・・・何だか理屈っぽい話になってしまったが、ジイにとっては最上級の賛辞を贈りたい舞台だったのです。人形劇団ひぽぽたあむ さんの「チップとチョコ」
書店のレジで前売り券を購入、開場までは書棚を眺めて待つ。10分程前に開場、3階ホールへ案内されると、赤色系の美しい人形劇舞台が待ち構えていた。客席には大人が50名余りと、その半分ほどの子ども達。穏やかな雰囲気でステージは進行した。観劇の後はワークショップ。紙袋+色画用紙+紙テープなどで、誰も見たことがない生き物を作ろう!と云うものです。チョット照れ臭い気分で参加するが、1時間がアッという間に過ぎてしまった。(いつもは指導する側だが、自由に作るのは良いなぁ)
ところで観たお芝居の感想、これが不思議な感じ。人形劇をやっている者は素直に観られない…と云うか、自分の人形劇観との比較で観てしまうことが多い。そのせいか、楽しんで観た・拍手を送りたい作品であっても、観ている時はムズカシイ顔をしがちなのです。(料理人が他店で食事をする時のようなイメージでしょうか)なのに、この日は違っていた。素直に…と云うか、ボーッと観ていたら終わってしまった…てな感じ。それについて、後から考えてみた。・・舞台表現では、表現者は客席に向かって感情・メッセージを送ろうとする。基本、舞台側が投げ、客席が受取る。この日は、それが少し違っていた。舞台上の世界は淡々と進む・客席側がそれを覗きアレコレ感じる…そんな風だったんじゃないだろうか?・・・何だか理屈っぽい話になってしまったが、ジイにとっては最上級の賛辞を贈りたい舞台だったのです。人形劇団ひぽぽたあむ さんの「チップとチョコ」
2026年01月24日
ウサジイの公演日記#1162
岡崎市の保育園で「ももん&カミナリ」…名古屋市東南部に位置する劇団から近いのだが、三河地方はトヨタとその関連会社が多いため、朝の移動は時間が読みにくい。帰りは小一時間なのに、行きは5割り増しで出発する。1号線を東進、約1時間で矢作川を渡り、予定前に到着。公演会場は独立の部屋ではなく、周囲に保育室のある空間。当然子どもたちは興味津々、先生方は見物を制止する。でも、ジイ達としては見てもらっても構わない。と云うか、お芝居より設営に興味ある子もいるので、「せっかくの機会ですから、見ていてください」すると先生、客席後方にマットを敷いて見物席とした。(園により事情は異なるから一概に言えないが、良い経験だと思うんです)
仕込みが一段落して見物席に行くと、いきなりハグしてくる男の子・4歳さんのRくん。「ヒゲ爺さん、だ〜い好き!」と言いながら髭を触る。そして膝に乗って「デートしてあげる」すると周囲の子たちも口々に「デートしてあげる」…悪い気はしない。てな事をしてると、通りかかった園長先生「ちょっとグレーゾーンなんですよ」ニコニコしながら普通に告げてくれる。そのR君、お芝居を観た後もハグしてくれ、退出して行った。
終演後、舞台をバラシていると、年長クラスのD君が来る。やや離れた所から「それはどうやって作るの?」説明しながら作業を続ける。彼の質問は続き、パンチカーペットや音響機材の作り方まで!(それらは買ってきました、と答える)どうやら彼は、今日観たような舞台を再現したいようだ。途中やって来た先生が「それは園長先生が持ってるから大丈夫」などとフォローしてくれる。…給食の時間だと云うのに、彼の好奇心を大切に対応していた先生に拍手。・・そもそも先生集団が楽しい園だった。仕込み時・バラシ時に複数の先生が舞台・道具を見学。写真を撮ったりでワイワイガヤガヤ。そんな園だから、D君のような子がいるのかな?
仕込みが一段落して見物席に行くと、いきなりハグしてくる男の子・4歳さんのRくん。「ヒゲ爺さん、だ〜い好き!」と言いながら髭を触る。そして膝に乗って「デートしてあげる」すると周囲の子たちも口々に「デートしてあげる」…悪い気はしない。てな事をしてると、通りかかった園長先生「ちょっとグレーゾーンなんですよ」ニコニコしながら普通に告げてくれる。そのR君、お芝居を観た後もハグしてくれ、退出して行った。
終演後、舞台をバラシていると、年長クラスのD君が来る。やや離れた所から「それはどうやって作るの?」説明しながら作業を続ける。彼の質問は続き、パンチカーペットや音響機材の作り方まで!(それらは買ってきました、と答える)どうやら彼は、今日観たような舞台を再現したいようだ。途中やって来た先生が「それは園長先生が持ってるから大丈夫」などとフォローしてくれる。…給食の時間だと云うのに、彼の好奇心を大切に対応していた先生に拍手。・・そもそも先生集団が楽しい園だった。仕込み時・バラシ時に複数の先生が舞台・道具を見学。写真を撮ったりでワイワイガヤガヤ。そんな園だから、D君のような子がいるのかな?
2026年01月20日
ウサジイの公演日記#1161
名古屋市内の保育園で「ともだちや」の公演。おさんぽ劇場の大得意さんで、この作品も2回目。(「ももん」も!)という訳で園の雰囲気は把握しているつもりだったが、年度によって園児さんのカラーも変わるようで…思いのほか元気マックスな反応にタジタジ。・・・クラス毎に入場してくるのだが、決まっているのは座席エリアのみ。我先にと前列を争うため、座席からこぼれる子たち。2歳さんは、そのまま客席前をウロウロしている。お芝居が始まっても、そのまま立ち尽くす女の子。舞台というより、客席の仲間を眺めている。彼女にとっては、そちらの方に興味があったのでしょう。
さて、開演前からテンションマックスな男の子・4歳さん。人形の一挙一動に、大声でコメントを入れてくる。そしてこれが(来日間もないのか?)どうやらポルトガルかスペイン語。こちらとしては彼の意に応えることもできず、お芝居を粛々と進めるしかない。それにしても実にパワフルな子で、小一時間ズーッと声をあげていた。…かと言って、散漫な客席だったわけでもない。彼のすぐ横の女の子・5歳さんグループは、的確な反応。オオカミさんの心情に寄り添った声をかけてくれました。
さて、開演前からテンションマックスな男の子・4歳さん。人形の一挙一動に、大声でコメントを入れてくる。そしてこれが(来日間もないのか?)どうやらポルトガルかスペイン語。こちらとしては彼の意に応えることもできず、お芝居を粛々と進めるしかない。それにしても実にパワフルな子で、小一時間ズーッと声をあげていた。…かと言って、散漫な客席だったわけでもない。彼のすぐ横の女の子・5歳さんグループは、的確な反応。オオカミさんの心情に寄り添った声をかけてくれました。

