2025年05月30日

ウサジイの公演日記#1138

【ウサジイ昔ばなし】〈142〉・・・シゲさん
木村繁氏。当劇団にとどまらず、広く演劇界で活躍された方です。その辺りに関しては知りえないことも多く、ここでは主に劇団員としての活躍に限り話すとします。ジイが初めて出会ったのは、入団まもない頃、何かの稽古を南区役所講堂でしていた時のこと。丹下進氏が連れて来たのか?片隅に座り、こちらを眺めている方がいた。上着はカーキ色・厚手のジャケット、髪はかなり長くボサボサ、いかにも演劇界のヒトった感じでした。(実を言うと、原人的な風貌だと思った)その後「雪をんな」の脚本家として会い…事情は不明だが、入団することになる。その頃、本人からか?入団までの略歴を聞いた。長野県飯山市生まれ・日本福祉大に入るも直ぐに退学・上京して演劇の勉強・前進座に籍を置いたことも・鶴舞座創設に際し協力を請われ名古屋へ…記憶はあいまいですが、こんな感じ。丹下氏の実家が鶴舞にあったので知り合ったのかな?
入団後は脚本・演出の仕事を請け負った。伝統芸能にも造詣が深く、初期は尾張漫才や花祭りの踊りを取り入れたモノを創作。当時計画していた土日稼働班や小学校向け五人班にピッタリだった。大人向け作品や、客員・譚志遠氏演じる作品も思い出される。ジイとは「せんたくねずみ」。幼児作品だったためか「俺よぅ、チッチャイ子のことは良く判らねぇんだ。芝居は創るから、変だと思ったら言ってくれよな」…創造に対して厳しい反面、人としては優しい方だった。(一部からは「極度の恐がり」だとも言われる)
劇団にいる頃から外部との協同も多く…「まちんなか演劇祭」では何作か上演しているが、ジイは「セメン樽の中の手紙」に出演。人形無しの冷や汗ステージでした。その他、パペットアーク校長(=人形劇界が作った人形劇養成施設)・愛知人形劇センター理事長などでも活躍。能力と人柄あってのことだと思う。個人の力量で活動できたのに、65歳まで在籍し定年退団。律儀な性格ゆえなのか?この劇団が好きだったのか?…退団後、一層活躍されていたが、70代半ばで逝去された。
posted by むすび座メンバー at 18:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする