【おさんぽの日々】H・・・ヤンチャ&コンポン続々
次期作品の提案をした時点で、構想はあったが具体的な内容は皆無。イメージだけで了承してもらったのは有難かった。レパ・パンフ作成のために慌ててタイトルを決め、出まかせのイラストを提出。…そんな風に始まり、早い時期にオムニバス形式かなぁと考える。(てか、それしかないだろ!?)各パートが〈箱から取り出して仕舞う〉形式にしたのは、〈おもちゃ箱を持って来て、中から取り出して遊び、片付けて帰る〉と云うイメージ。
〈ぶー〉これはCちゃん発信。知らずにブーブークッションを踏んだらどうなる?から構想が広がり…押すと鳴る(口で「ブー」)のが楽しくて、遊んでいると壊れる。二人では解決できず、お客さんの力を借りて復活!だけ。超単純な、極めて非人形劇(=人形的なモノの欠片もない)からの導入です。
〈ぴかぴか〉ハンドモップにピン球の眼を付けた人形が散歩する話。困難な道を進む兄、それを追う妹は挫折して泣き出す。無視したり、仕方なく助けたりの兄。兄弟(仲間も)って、そんな風に関わり合っているんだねぇ、ってこと。(タイトル=モップで拭くとピカピカ)
〈けーき〉カラフルな台所スポンジを積み上げるだけ。半即興的に積むのだが、スポンジの摩擦効果で斜めに乗せても大丈夫。そこには少し驚かいてもらえる。当初は指金遣い人形が積むプランであった。確かに人形にやらせると感心はするが、積みのバラエティに限界がある。最後に高く積むと倒れてしまうは、子ども誰しもが経験した感覚だろう。
〈うぃーん・がっしゃーん〉箱が変形してロボットになり、暴走した挙句、壊れてしまう。箱の救急車から妖精たちが飛び出し、苦労して修理、復活する。子ども達も持っている「破壊」の快感を表現したかった。最初は狂暴な犬(布団ばさみ製)が暴れまわる話だった。上手くまとまらず、これが一番難産。おそらくは、箱を見ていて思いついたんだろう。
〈じゅーす〉バネ人形とまん丸ウレタン人形の、まぁ普通の人形劇(?)。バネ氏のジュースとパスタを、まん丸ちゃんが食べてしまうだけ。このコーナーの肝は、幼児が言葉を獲得して行く時に起こるアクシデント。間違えて覚えた言葉を訂正したい大人と、そう簡単にはいかない子ども。(大人は躍起になるが、子どもはマイペース)…公演先で乳児室から聞こえてきた言葉が、アイディアの素となっている。
2026年04月04日
2026年04月03日
ウサジイの公演日記#1178
【おさんぽの日々】G・・・ヤンチャ&コンポン続
一方「ヤンチャメッチャブー」の構想は、作品検討に入る半年以上前からあった…んじゃないかな?・・おさんぽメンバーの若かりし頃、幼児作品は各班が毎年仕込んでいた。一本はストーリー物で、多分に丹下演出。もう一本は見立て遊び的な作品で、班員の集団創造。そんな経験が作用したのか?いわゆるアソビモノを創ろうと(…この辺り推測)なった。断っておくが、ジイはアソビモノと云う呼称が好きではない。演じる行為には、必ず遊びの要素があるじゃないか。遊び=オモシロオカシイではない!と考えている。それはさておき「人形ではないモノを何かに見立てる」式の作品=(モノにキャラを持たせる自体はOKだが)「これなぁに?」的なやり方に関して疑問を抱いていた。その辺りの考えでメンバーに一致点があり「モノを使っての表現ならナンデモアリ」をやってみよう!となった。人形劇の範疇かどうか?は考えずに創ってみることにした。
このような話をしたのは大抵、公演帰りの車の中。少しづつ具体化していったのも、同様。仕込み期間に入るまでの1年間ほど、思い出したように雑談を繰り返していた。集中した・真剣なミーティングに比べて、話の膨らみ方が違うのです。ひとつのアイディアを切っ掛けに、妄想がムクムクと湧いてくる。雑談だと責任感が希薄って云うのか、荒唐無稽な発想が口を突いて出る。無論ほとんどは、実際には使えないアイディアばかり。しかし、このようなやり取り=無駄の蓄積が、作品制作に入ってから役立つことになる。(そう云えば、ココはアレを使えるねぇ…などと)
それからもう一つ。公演先の園で出会う子ども達(の行動など)について、やはり車中であれこれ話した。これは以前からの習性なので、作品制作のためなのか?判らないが…結果、作品を創る上で不可欠な要素となった。創造活動はナンデモアリ!で始まったのだが、表現するジイ達の前にいるのは子ども達。そこに向けて発信する以上、彼ら側の理解・共感は必須。気が付けば、作品について「子どもの日常を切り取ったような内容だ」と言っていた。観た方のイメージはさて置き、作り手はそんな想いで演じていたのです。(もう少し…次回は内容に)
一方「ヤンチャメッチャブー」の構想は、作品検討に入る半年以上前からあった…んじゃないかな?・・おさんぽメンバーの若かりし頃、幼児作品は各班が毎年仕込んでいた。一本はストーリー物で、多分に丹下演出。もう一本は見立て遊び的な作品で、班員の集団創造。そんな経験が作用したのか?いわゆるアソビモノを創ろうと(…この辺り推測)なった。断っておくが、ジイはアソビモノと云う呼称が好きではない。演じる行為には、必ず遊びの要素があるじゃないか。遊び=オモシロオカシイではない!と考えている。それはさておき「人形ではないモノを何かに見立てる」式の作品=(モノにキャラを持たせる自体はOKだが)「これなぁに?」的なやり方に関して疑問を抱いていた。その辺りの考えでメンバーに一致点があり「モノを使っての表現ならナンデモアリ」をやってみよう!となった。人形劇の範疇かどうか?は考えずに創ってみることにした。
このような話をしたのは大抵、公演帰りの車の中。少しづつ具体化していったのも、同様。仕込み期間に入るまでの1年間ほど、思い出したように雑談を繰り返していた。集中した・真剣なミーティングに比べて、話の膨らみ方が違うのです。ひとつのアイディアを切っ掛けに、妄想がムクムクと湧いてくる。雑談だと責任感が希薄って云うのか、荒唐無稽な発想が口を突いて出る。無論ほとんどは、実際には使えないアイディアばかり。しかし、このようなやり取り=無駄の蓄積が、作品制作に入ってから役立つことになる。(そう云えば、ココはアレを使えるねぇ…などと)
それからもう一つ。公演先の園で出会う子ども達(の行動など)について、やはり車中であれこれ話した。これは以前からの習性なので、作品制作のためなのか?判らないが…結果、作品を創る上で不可欠な要素となった。創造活動はナンデモアリ!で始まったのだが、表現するジイ達の前にいるのは子ども達。そこに向けて発信する以上、彼ら側の理解・共感は必須。気が付けば、作品について「子どもの日常を切り取ったような内容だ」と言っていた。観た方のイメージはさて置き、作り手はそんな想いで演じていたのです。(もう少し…次回は内容に)
2026年04月02日
ウサジイの公演日記#1177
【おさんぽの日々】F・・・ヤンチャ&コンポン
実は「こぎつねコンとこだぬきポン」の方が後から決まったんです。またしても、6キャラ(=3人×2家族)作品にしたのは何故?「お城」で大丈夫だったから?いや多分、知られた絵本+主人公が動物だ、だったんだろう。狐も狸も子ども達が大好き=「ワンワン最強説」だから…。起承転結が盤石な原作に助けられ、比較的順調に作品はできた(はず)。脚本のクレジットが「あさんぽ」とあるのは、演出&美術のAちゃん+おさんぽ劇場の造語。記憶はほとんどないが、立ち稽古しながら脚本を創ったのだろうか?
観た方の口を突いて出る言葉=「親の顔には驚きました!」。最初から、あのようなプランではなかったんです。演出・美術を兼任のAちゃんは、立ち稽古と並行して人形製作。先ずコン&ポンを作り、工房の机上にはその親らしきデザイン画があった。ある日それとは別に、妙な顔立ちのいたずら描き(?)が出現し…気が付いた時には、実に味のある人形が出現した。役者的には、可愛いらしい子ども達とのギャップが有難かった。性格付けとか、設定とかを考え易くて。(唯一の弱点は、迫力ある顔に出会った子が、稀に泣き出すことかな?)
基本舞台は「ケンムン」のモノを流用して仕込んだ。箱がひとつ増え、箱の天場に変形部を加えるが、センターの蹴込みは同じモノ。この流れは次の「カミナリ」にも引き継がれる。作品に合わせて変化させるが、変えなくて良いモノは流用する。(現蹴込みは3作品13年以上お世話になっている)因みにジイ達は、パンチカーペットのバミリも、極めて少ない。複数(max3)作品ゆえ、沢山あると混乱もする。よって、センターライン・横へ3尺ポイントを基本とし、そこから前後左右の調整は勘に頼る。このやり方は、狭小会場に対応する場合に好都合なのです。
セットと云えば…上下に飾られた、椿山と杉の木山。当初は旗指物のようなプランだった。舞台図を見たジイ「立てるために鉄皿=ベースが必要だ。運搬・仕込みが面倒だぞ」と、タペストリーを提案〜採用された。ジイは、とにかく現場第一主義。三人班「さるかに」時にも、柿の木の構造で演出・Hちゃんと侃々諤々。「そんな大きな木は出せん!」「文句ばかり言わないで、対案出してよ!」…で、組立式の伸びる木&袖上からの柿の実投げとなった。「ネリノ」では「一部を影絵表現にしたい」Aちゃんの構想に対抗するため、影絵舞台を仮に組み…劇団員に観てもらって意見を聞き…何とか諦めてもらった。作品創造上あるまじき姿勢とも言えるが、毎日・様々な条件での上演を想定する以上、譲れないラインがあるのです、ジイには。・・演出は責任者でもあるが、まとめ役。役者はスタッフにどんどん意見すべし、だと考える。
実は「こぎつねコンとこだぬきポン」の方が後から決まったんです。またしても、6キャラ(=3人×2家族)作品にしたのは何故?「お城」で大丈夫だったから?いや多分、知られた絵本+主人公が動物だ、だったんだろう。狐も狸も子ども達が大好き=「ワンワン最強説」だから…。起承転結が盤石な原作に助けられ、比較的順調に作品はできた(はず)。脚本のクレジットが「あさんぽ」とあるのは、演出&美術のAちゃん+おさんぽ劇場の造語。記憶はほとんどないが、立ち稽古しながら脚本を創ったのだろうか?
観た方の口を突いて出る言葉=「親の顔には驚きました!」。最初から、あのようなプランではなかったんです。演出・美術を兼任のAちゃんは、立ち稽古と並行して人形製作。先ずコン&ポンを作り、工房の机上にはその親らしきデザイン画があった。ある日それとは別に、妙な顔立ちのいたずら描き(?)が出現し…気が付いた時には、実に味のある人形が出現した。役者的には、可愛いらしい子ども達とのギャップが有難かった。性格付けとか、設定とかを考え易くて。(唯一の弱点は、迫力ある顔に出会った子が、稀に泣き出すことかな?)
基本舞台は「ケンムン」のモノを流用して仕込んだ。箱がひとつ増え、箱の天場に変形部を加えるが、センターの蹴込みは同じモノ。この流れは次の「カミナリ」にも引き継がれる。作品に合わせて変化させるが、変えなくて良いモノは流用する。(現蹴込みは3作品13年以上お世話になっている)因みにジイ達は、パンチカーペットのバミリも、極めて少ない。複数(max3)作品ゆえ、沢山あると混乱もする。よって、センターライン・横へ3尺ポイントを基本とし、そこから前後左右の調整は勘に頼る。このやり方は、狭小会場に対応する場合に好都合なのです。
セットと云えば…上下に飾られた、椿山と杉の木山。当初は旗指物のようなプランだった。舞台図を見たジイ「立てるために鉄皿=ベースが必要だ。運搬・仕込みが面倒だぞ」と、タペストリーを提案〜採用された。ジイは、とにかく現場第一主義。三人班「さるかに」時にも、柿の木の構造で演出・Hちゃんと侃々諤々。「そんな大きな木は出せん!」「文句ばかり言わないで、対案出してよ!」…で、組立式の伸びる木&袖上からの柿の実投げとなった。「ネリノ」では「一部を影絵表現にしたい」Aちゃんの構想に対抗するため、影絵舞台を仮に組み…劇団員に観てもらって意見を聞き…何とか諦めてもらった。作品創造上あるまじき姿勢とも言えるが、毎日・様々な条件での上演を想定する以上、譲れないラインがあるのです、ジイには。・・演出は責任者でもあるが、まとめ役。役者はスタッフにどんどん意見すべし、だと考える。
2026年03月29日
ウサジイの公演日記#1176
【おさんぽの日々】E・・・お城&ケンムン続
「ケンムン」がオリジナルだったため、併演は知られた話が良かろうと考える。作品探しの指標は「二人で演じるからこそ、登場人物の多い話にしよう!」…で、たどり着いたのが「小さなお城」。最大6キャラが同時に登場するため、まずはそれに対応できる人形のスタイルを検討。比較的早い時期に、袋状の人形に決まった。両手にはめて遣える&置いておけるからだ。(+置きっぱなしの場合、写実的なデザインではなく、オモチャ的な方が合うだろうとも考える)仮人形を紙で作った後、布・石油製品なども試作したが、結局紙袋に戻った。誰でも作れそうな、そして乱暴に扱うと破れる危うさに、観る者は心を寄せるようだ。あんなチャチな奴が健気に頑張っている、と思うのです。(余談…キツネ=カップ麺に倣いオレンジ色に・オオカミ=チンギスハンから蒼き狼に作る)
人形の形式を決める際、〈お芝居スタイルも人形遊び〉が頭にあった。オープニングは「ぶんぶく」を継承して、演奏+歌〜漫才的なタイトル紹介。まだ50代だったジイ、テンションマックスでバカ爺を演じてました。お城の住人の登場もひねった。カエル・ニワトリは、ジイの体にくっ付けておく。ハリネズミは会場の何処か(=見付けられる所)に隠しておく。毎回違う会場条件を利用するのが楽しく、新鮮な気分で臨めた。(お芝居の進行に不確定要素を入れるのは、ジイ語で「筋斗雲効果」という)
音楽も団内スタッフとし、オープニング用にチームのテーマソングを依頼。劇中曲の録音はパート毎ではなく、賑やかな合奏を一気にとった。振り返ると、この雰囲気が作品のイメージに合っていたような気がする。そう云えば、演出も「小さなお城の仲間たち」表記した。出演者以外・客観的に見る者を依頼したことに加え、稽古場をオープンにして見学者の意見も取入れる。そんなスタンスで創ったのです。…制作中の観覧自由はその後も継続し、おさんぽ劇場ホームグラウンド=1階会議室(※)の引き戸開放しての仕込みが基本となる。
・・紙袋人形とした結果、上演+ワークショップの依頼も幾つか。中でも児童相談所(2ヶ所)が記憶に残っている。お芝居を観たからこそ制作意欲が湧く+単純だが自由な(講習会ではないという意味)作業。児相スタッフ曰く「心を開きにくい子たちが自由に表現していた」。思いがけないオマケでした。
※1階会議室:間口3間に足りない部屋。狭小会場に対応できるよう、ここで仕込み始めることが多かった。奥のトイレに行くため、多くの劇団員が前を通り、当然覗き見る。
「ケンムン」がオリジナルだったため、併演は知られた話が良かろうと考える。作品探しの指標は「二人で演じるからこそ、登場人物の多い話にしよう!」…で、たどり着いたのが「小さなお城」。最大6キャラが同時に登場するため、まずはそれに対応できる人形のスタイルを検討。比較的早い時期に、袋状の人形に決まった。両手にはめて遣える&置いておけるからだ。(+置きっぱなしの場合、写実的なデザインではなく、オモチャ的な方が合うだろうとも考える)仮人形を紙で作った後、布・石油製品なども試作したが、結局紙袋に戻った。誰でも作れそうな、そして乱暴に扱うと破れる危うさに、観る者は心を寄せるようだ。あんなチャチな奴が健気に頑張っている、と思うのです。(余談…キツネ=カップ麺に倣いオレンジ色に・オオカミ=チンギスハンから蒼き狼に作る)
人形の形式を決める際、〈お芝居スタイルも人形遊び〉が頭にあった。オープニングは「ぶんぶく」を継承して、演奏+歌〜漫才的なタイトル紹介。まだ50代だったジイ、テンションマックスでバカ爺を演じてました。お城の住人の登場もひねった。カエル・ニワトリは、ジイの体にくっ付けておく。ハリネズミは会場の何処か(=見付けられる所)に隠しておく。毎回違う会場条件を利用するのが楽しく、新鮮な気分で臨めた。(お芝居の進行に不確定要素を入れるのは、ジイ語で「筋斗雲効果」という)
音楽も団内スタッフとし、オープニング用にチームのテーマソングを依頼。劇中曲の録音はパート毎ではなく、賑やかな合奏を一気にとった。振り返ると、この雰囲気が作品のイメージに合っていたような気がする。そう云えば、演出も「小さなお城の仲間たち」表記した。出演者以外・客観的に見る者を依頼したことに加え、稽古場をオープンにして見学者の意見も取入れる。そんなスタンスで創ったのです。…制作中の観覧自由はその後も継続し、おさんぽ劇場ホームグラウンド=1階会議室(※)の引き戸開放しての仕込みが基本となる。
・・紙袋人形とした結果、上演+ワークショップの依頼も幾つか。中でも児童相談所(2ヶ所)が記憶に残っている。お芝居を観たからこそ制作意欲が湧く+単純だが自由な(講習会ではないという意味)作業。児相スタッフ曰く「心を開きにくい子たちが自由に表現していた」。思いがけないオマケでした。
※1階会議室:間口3間に足りない部屋。狭小会場に対応できるよう、ここで仕込み始めることが多かった。奥のトイレに行くため、多くの劇団員が前を通り、当然覗き見る。
2026年03月25日
ウサジイの公演日記#1175
【おさんぽの日々】D・・・お城&ケンムン
なぜ、この作品なのか?(ジイ側の記憶では)ジイがケンムンになりたかった、です。「ゆいとケンムン」は、何年か前に提出された候補作品。その企画説明書に妖怪のイラストが描かれていた。丸い奴・長い奴、どんな形にも自在に変化するケンムン。そんな奴になりたくて、そんな人形を遣いたくて…内容は二の次で、レパにと推した。メンバーCちゃん・作&演出Aちゃんが快諾してくれ、夏の終わりから作品創りが始まった。誰が言うともなく、「一日2時間以上は稽古をしない」が合言葉となる。人形・道具作りと稽古が並行しているため、自然とそうなったのだろうが…仕込みメンバーは奄美民謡を聴きながら〈南の島のお芝居やるなら、のんびり構えなきゃ〉と悦に入っていた。
かくして出来あがった作品。人形は、ゆい3体・ケンムン5体もいるのに、道具類が極めて少ない。初演では団扇+テープで雨を表現していた嵐の場面⇒効果音+セット揺らし+ゆいのリアクションでイメージしてください、とカット。舞台転換も、オバアが出れば家、端に去ればガジュマルの森となる。他に場を説明するモノはない。…後に「スカスカ理論」と名付けられる様式。観る側の想像力を信頼する(いや、に寄りかかる?)作品になった。制作している時は夢中で、客観的には考えられなかったのですが…。
唯一、芭蕉布の着物を縫うオバアの道具は精密に作られていた。それで作業するオバアは、左右どちらの手も使う必要がある。ということは胴串も、左右で持ち替えねばならない。そんな理由もあり、胴串を長めにする。ハメ殺しになりかねないツマカワは付けず、人形の腕〜手先様々な部分を持って作業させた。結果、モノを持つ際には難もあるが、多様な遣い方ができる利点が勝った。(伝わり辛い説明しかできず、ゴメンナサイ)…この時の人形構造・遣い方が、カミナリの爺さん・オオカミさんへと継承されることになる。
さてケンムンに惹かれて創ったお芝居ですが…出会い・嵐と起伏はあるものの、主人公の成長は特にない。南の島に住む少女・ゆいが描いた絵日記のような感じ。ラスト=祭りの踊りで盛り上がるけれど、演じていて〈想いを届けた感〉がない。これには、かなり長い間不安を感じていた。劇団内の合評会や観た方の感想を聞き、少しづつ除かれて行ったが、今思い出しても不思議なお話でした。
なぜ、この作品なのか?(ジイ側の記憶では)ジイがケンムンになりたかった、です。「ゆいとケンムン」は、何年か前に提出された候補作品。その企画説明書に妖怪のイラストが描かれていた。丸い奴・長い奴、どんな形にも自在に変化するケンムン。そんな奴になりたくて、そんな人形を遣いたくて…内容は二の次で、レパにと推した。メンバーCちゃん・作&演出Aちゃんが快諾してくれ、夏の終わりから作品創りが始まった。誰が言うともなく、「一日2時間以上は稽古をしない」が合言葉となる。人形・道具作りと稽古が並行しているため、自然とそうなったのだろうが…仕込みメンバーは奄美民謡を聴きながら〈南の島のお芝居やるなら、のんびり構えなきゃ〉と悦に入っていた。
かくして出来あがった作品。人形は、ゆい3体・ケンムン5体もいるのに、道具類が極めて少ない。初演では団扇+テープで雨を表現していた嵐の場面⇒効果音+セット揺らし+ゆいのリアクションでイメージしてください、とカット。舞台転換も、オバアが出れば家、端に去ればガジュマルの森となる。他に場を説明するモノはない。…後に「スカスカ理論」と名付けられる様式。観る側の想像力を信頼する(いや、に寄りかかる?)作品になった。制作している時は夢中で、客観的には考えられなかったのですが…。
唯一、芭蕉布の着物を縫うオバアの道具は精密に作られていた。それで作業するオバアは、左右どちらの手も使う必要がある。ということは胴串も、左右で持ち替えねばならない。そんな理由もあり、胴串を長めにする。ハメ殺しになりかねないツマカワは付けず、人形の腕〜手先様々な部分を持って作業させた。結果、モノを持つ際には難もあるが、多様な遣い方ができる利点が勝った。(伝わり辛い説明しかできず、ゴメンナサイ)…この時の人形構造・遣い方が、カミナリの爺さん・オオカミさんへと継承されることになる。
さてケンムンに惹かれて創ったお芝居ですが…出会い・嵐と起伏はあるものの、主人公の成長は特にない。南の島に住む少女・ゆいが描いた絵日記のような感じ。ラスト=祭りの踊りで盛り上がるけれど、演じていて〈想いを届けた感〉がない。これには、かなり長い間不安を感じていた。劇団内の合評会や観た方の感想を聞き、少しづつ除かれて行ったが、今思い出しても不思議なお話でした。
2026年03月22日
ウサジイの公演日記#1174
【おさんぽの日々】C・・・ぶんぶく&マリーちゃん続々
初期に多様な環境での上演を経験でき、それがお芝居のスタイル・演じ方に影響したと感じている。たとえば、各地のフェスティバルでの上演。客席に大人の割合が高かったり、人形劇団や観劇組織の関係者に囲まれたり…緊張もするし、場を掌握する工夫も求められる。そんなフェスでのお楽しみは、他劇団の作品に出会えること。人形劇にとどまらず様々なジャンルに触れると、やがてそれは自らの創造の糧になる。だからジイ達は、とにかく観まくった。ある時は、次に同じ会場を使用する劇団に「何時から仕込む?」と問い、時間に余裕があると分かると、舞台のバラシを中断して観劇、残りは昼食時間に片付けた。…観れば必ず合評。良き面は取り入れ、納得できない部分はかなり酷評したかな?他に対して文句を言えば、「じゃあアナタはどうなの?」と自分に返ってくる。それが大切。(自分を棚に上げて…も多々あったかもしれないが)
取分け深く印象が残っているモノ、そのひとつは韓国公演。招聘側の要請ではないが、韓国語で上演した。と云ってもジイ達はソコソコ歳なので、必要な語彙を極限まで減らした脚本に書き換えて…。結果、細やかな心情のやり取りにはならず、単純な言葉ばかり。加えて文化の異なる方々へ気持ちを伝える作業は、難しくも新鮮な感覚でした。…文化…そう、彼の地のケンチャナヨ(大丈夫)文化。良い意味でアバウトをヨシとする感覚が、チームカラーに加わったと思う。
もうひとつは(ジイ自身は経験済ではあるものの…)鹿児島県子ども芸術祭典。まず、南九州特有の鷹揚な感覚:これは上記=韓国にも通じ、次作・ケンムン制作に際しても良い効果をもたらしたように思う。そして児童文化に対して真摯に向かう姿勢:人形劇の活動を「運動」ととらえていた時代を生きてきたジイ達。理想高く、無駄を厭わない活動に共感した。祭典の組織スタイル(=上演劇団も実行委員会に加わる)も相まって、招聘された側ではなく、主体者として楽しんで取り組めた。…創立50周年に際して「チャレンジ50」を取り組む切っ掛けのひとつだともいえる。
初期に多様な環境での上演を経験でき、それがお芝居のスタイル・演じ方に影響したと感じている。たとえば、各地のフェスティバルでの上演。客席に大人の割合が高かったり、人形劇団や観劇組織の関係者に囲まれたり…緊張もするし、場を掌握する工夫も求められる。そんなフェスでのお楽しみは、他劇団の作品に出会えること。人形劇にとどまらず様々なジャンルに触れると、やがてそれは自らの創造の糧になる。だからジイ達は、とにかく観まくった。ある時は、次に同じ会場を使用する劇団に「何時から仕込む?」と問い、時間に余裕があると分かると、舞台のバラシを中断して観劇、残りは昼食時間に片付けた。…観れば必ず合評。良き面は取り入れ、納得できない部分はかなり酷評したかな?他に対して文句を言えば、「じゃあアナタはどうなの?」と自分に返ってくる。それが大切。(自分を棚に上げて…も多々あったかもしれないが)
取分け深く印象が残っているモノ、そのひとつは韓国公演。招聘側の要請ではないが、韓国語で上演した。と云ってもジイ達はソコソコ歳なので、必要な語彙を極限まで減らした脚本に書き換えて…。結果、細やかな心情のやり取りにはならず、単純な言葉ばかり。加えて文化の異なる方々へ気持ちを伝える作業は、難しくも新鮮な感覚でした。…文化…そう、彼の地のケンチャナヨ(大丈夫)文化。良い意味でアバウトをヨシとする感覚が、チームカラーに加わったと思う。
もうひとつは(ジイ自身は経験済ではあるものの…)鹿児島県子ども芸術祭典。まず、南九州特有の鷹揚な感覚:これは上記=韓国にも通じ、次作・ケンムン制作に際しても良い効果をもたらしたように思う。そして児童文化に対して真摯に向かう姿勢:人形劇の活動を「運動」ととらえていた時代を生きてきたジイ達。理想高く、無駄を厭わない活動に共感した。祭典の組織スタイル(=上演劇団も実行委員会に加わる)も相まって、招聘された側ではなく、主体者として楽しんで取り組めた。…創立50周年に際して「チャレンジ50」を取り組む切っ掛けのひとつだともいえる。
2026年03月20日
ウサジイの公演日記#1173
【おさんぽの日々】B・・・ぶんぶく&マリーちゃん続
とにかく最初の作品は何事もハジメテ、試行錯誤の連続だったような。次の作品を創ってからも続演し、結局6年ほど続く。(はっきりとした終演宣言してはいないが…)その間、650stを超える公演があった。(ジイ達以前の三人班+以後の三人班の上演分を加えると、800stは超えるんじゃないかな?)で…初演間もなく感じ始め、やがてチームの合言葉になったのは、我々の舞台は「芸術というより芸能」・・いやいや、質の優劣を云々している訳ではありません。舞台と客席をひっくるめた空間・人間の在り様にそんなモノを感じた。(…その15年後の現在、メンバー各自が演出として二人班作品に関わっている。その中で二人ともに感じている点=小学校5〜8人編成と幼保三人班とが違うと同様、幼保の三人編成と二人とは違う。一人少ないだけではなく、作品の質・役者の在り様が違う。人形⇔役者⇔観客の各関係が、集団で演じる場合と違ってしまう。同じような創り方では、無理をしている感が出るような気がする)
ゲイノーという言い回しが出たのは、「ぶんぶく」のスタイルとも関係?そう、漫才師がお芝居する形だったんです。導入のやり取りでお客さんを掴まなきゃならない。当然テンション上がるし、アドリブも増えてしまったり。そんなノリで始まると、お芝居本編も良い加減に脱力する。そして綱渡りの景で観客参加となると、客席と舞台の境目があやふやになる。・・この時の観客チョイスbyCちゃんが見事だった!聞くと、入場時から複数にアタリを付けていたらしい。記憶に残るはフェスでのチョイス…喜多方で劇団TAのOさん・熊本で劇団NのTさん。どちらも劇団員だとは知らず、しかしやってくれそうな眼をしていたそうだ。
ところで、初年度から特殊な公演が多かった。何しろ初演が楽寿園=公園の野外ステージで、カンカン照り・蹴込みが動くほどの強風・袖幕なし…等々。だからか?早い時期に「遊撃的な班」を意識し、様々な会場条件・観客層への対応を考えた。*パンチカーペットを1枚&短くし、演技空間を抑えられるようにする。広い所では、パンチから出て演じれば良いのだから。*蹴込みの高さを高めに作る。大人数の時の〈見えないコール〉に対処したかったから。*幼保以外の公演=小学生・大人が多い場合も意識した。作品的にも、演じ方で対応できるという感覚はあった。(もう少し…つづく)
とにかく最初の作品は何事もハジメテ、試行錯誤の連続だったような。次の作品を創ってからも続演し、結局6年ほど続く。(はっきりとした終演宣言してはいないが…)その間、650stを超える公演があった。(ジイ達以前の三人班+以後の三人班の上演分を加えると、800stは超えるんじゃないかな?)で…初演間もなく感じ始め、やがてチームの合言葉になったのは、我々の舞台は「芸術というより芸能」・・いやいや、質の優劣を云々している訳ではありません。舞台と客席をひっくるめた空間・人間の在り様にそんなモノを感じた。(…その15年後の現在、メンバー各自が演出として二人班作品に関わっている。その中で二人ともに感じている点=小学校5〜8人編成と幼保三人班とが違うと同様、幼保の三人編成と二人とは違う。一人少ないだけではなく、作品の質・役者の在り様が違う。人形⇔役者⇔観客の各関係が、集団で演じる場合と違ってしまう。同じような創り方では、無理をしている感が出るような気がする)
ゲイノーという言い回しが出たのは、「ぶんぶく」のスタイルとも関係?そう、漫才師がお芝居する形だったんです。導入のやり取りでお客さんを掴まなきゃならない。当然テンション上がるし、アドリブも増えてしまったり。そんなノリで始まると、お芝居本編も良い加減に脱力する。そして綱渡りの景で観客参加となると、客席と舞台の境目があやふやになる。・・この時の観客チョイスbyCちゃんが見事だった!聞くと、入場時から複数にアタリを付けていたらしい。記憶に残るはフェスでのチョイス…喜多方で劇団TAのOさん・熊本で劇団NのTさん。どちらも劇団員だとは知らず、しかしやってくれそうな眼をしていたそうだ。
ところで、初年度から特殊な公演が多かった。何しろ初演が楽寿園=公園の野外ステージで、カンカン照り・蹴込みが動くほどの強風・袖幕なし…等々。だからか?早い時期に「遊撃的な班」を意識し、様々な会場条件・観客層への対応を考えた。*パンチカーペットを1枚&短くし、演技空間を抑えられるようにする。広い所では、パンチから出て演じれば良いのだから。*蹴込みの高さを高めに作る。大人数の時の〈見えないコール〉に対処したかったから。*幼保以外の公演=小学生・大人が多い場合も意識した。作品的にも、演じ方で対応できるという感覚はあった。(もう少し…つづく)
2026年03月14日
ウサジイの公演日記#1172
【おさんぽの日々】A・・・ぶんぶく&マリーちゃん
最初のレパは、2011年春仕込みの「ぶんぶく茶がま」と「おばあさんとマリーちゃん」。何故この作品になったのか?理由は「ピノキオ」と仕込みが丸被りだった!です。それまでの関矢演出を離れ、団内演出で取組む小学校作品。当然、劇団を挙げての仕込みになるはず。つまりジイ達の仕込みを手伝ってくれる者は、ほぼいないと考えるべきだ。となると、以前上演した作品で人形・道具が残っているモノしかないだろう…という所から、作品選びが始まった。で、以前Cちゃんが臨時班で上演していた作品はどうだろう?「ぶんぶく」なら、ジイが初演で演じているから好都合…という訳で決定!
決まったからと言って、直ぐに立ち稽古とはならない。3人で演じていたモノが2人になる訳だから、脚本・舞台構造などを考えなおす必要があった。「ぶんぶく」は、和尚と小坊主の二役をジイが兼ねることでほぼ解決。半蹴込み芝居だったこと・二役共に手遣いだったことがラッキーでした。(=脱着は隠れて見えない・両手にはめて遣える)どうしても3人必要な綱渡りの場面は、観客参加形式で乗り切った。一方、箱状のテーブル舞台だった「マリーちゃん」は、演技の動線が変わるが「ぶんぶく」の蹴込みを流用した。出し入れ・操作を考えると、遣っている人形のすぐそばに道具がないと都合が悪い。人形・道具は、極力舞台中央に集めて配置する…これはその後、新作の舞台構造の基本となった。
こうして始まったおさんぽ劇場、最初は公演がなかなか入らなかった。一学期など空いている日の方が多かったはず。少しだけ上演料が低くても、当時は「二人で?…やっぱり三人でなくちゃ」だったんじゃないかな?この地で何十年も積み重ねてきたモノは、侮れないのでした。
最初のレパは、2011年春仕込みの「ぶんぶく茶がま」と「おばあさんとマリーちゃん」。何故この作品になったのか?理由は「ピノキオ」と仕込みが丸被りだった!です。それまでの関矢演出を離れ、団内演出で取組む小学校作品。当然、劇団を挙げての仕込みになるはず。つまりジイ達の仕込みを手伝ってくれる者は、ほぼいないと考えるべきだ。となると、以前上演した作品で人形・道具が残っているモノしかないだろう…という所から、作品選びが始まった。で、以前Cちゃんが臨時班で上演していた作品はどうだろう?「ぶんぶく」なら、ジイが初演で演じているから好都合…という訳で決定!
決まったからと言って、直ぐに立ち稽古とはならない。3人で演じていたモノが2人になる訳だから、脚本・舞台構造などを考えなおす必要があった。「ぶんぶく」は、和尚と小坊主の二役をジイが兼ねることでほぼ解決。半蹴込み芝居だったこと・二役共に手遣いだったことがラッキーでした。(=脱着は隠れて見えない・両手にはめて遣える)どうしても3人必要な綱渡りの場面は、観客参加形式で乗り切った。一方、箱状のテーブル舞台だった「マリーちゃん」は、演技の動線が変わるが「ぶんぶく」の蹴込みを流用した。出し入れ・操作を考えると、遣っている人形のすぐそばに道具がないと都合が悪い。人形・道具は、極力舞台中央に集めて配置する…これはその後、新作の舞台構造の基本となった。
こうして始まったおさんぽ劇場、最初は公演がなかなか入らなかった。一学期など空いている日の方が多かったはず。少しだけ上演料が低くても、当時は「二人で?…やっぱり三人でなくちゃ」だったんじゃないかな?この地で何十年も積み重ねてきたモノは、侮れないのでした。
2026年03月13日
ウサジイの公演日記#1171
【おさんぽの日々】@・・・最初の一歩
45年ほど前に劇団に足を踏み入れ、以来役者として活動してきたジイの最後の15年間は、二人班「おさんぽ劇場」。そもそも当劇団の小編成は、(少なくとも2026,3現在迄は)三人班が基本です。劇団創立者は「集団は三人から」が口癖で、アンサンブルの最低人数を三人としたようです。それゆえ劇団創立の数年後以降、幼児作品は何十年も三人編成で演じられてきました。そんな中、1990年代後半に二人班「にこにこ劇場」が誕生。これは、実は窮余の策だったんです。当時、子育てのため舞台を下りている女性が何人かいたんですが、彼女たちが「演じたい!」と声をあげた。けれど保育園への送迎がある、子ども疾病の心配もある。そこで考えたのがローテーション班。3人グループで2人編成作品を上演する。これならば何とか続けられるだろうという訳です。この形で何作品か公演が続きました。その後、人事上の事情によるベテラン二人班が数年間あった。このチームの手打ち公演では「二人合わせて100歳!」がキャッチフレーズでした。(今の〈おさんぽ〉からすると、若い)
そして、その班が解散するという年の人事会議。二人は別の班に異動。ジイが属していた三人班から、一名異動・一名退団の予定。という訳で、ジイは人事の表に一人ぼっちとなる。(実際には多様な案が錯綜していたのだが…)とにかく絶対数が足りない!で、ジイ「Cちゃんは?」、以前にこにこ劇場(上記)所属の女性について訊ねる。〈部署希望アンケート〉をチェックすると「子育ても一段落しそうだから、舞台へ戻ろうかな」的な記載があった(と思う)。・・てな経過で、(端から二人班ありきではなかったが)おさんぽ劇場が誕生するのです。チーム結成の由来を問われ、「余った二人だったんです」と答えていたのは、当たらずとは言えずとも遠からず。活動を始めたのは2011年3月末、東日本大震災の直後からでした。因みにグループ名は、最初の手打ち公演時に「親しみを感じるよう・役者の名前を知ってもらうよう」にと決めたモノ。…以後、各作品等についてお話してゆきますが、ジイの記憶違いがあるやも知れず…ご容赦を。
45年ほど前に劇団に足を踏み入れ、以来役者として活動してきたジイの最後の15年間は、二人班「おさんぽ劇場」。そもそも当劇団の小編成は、(少なくとも2026,3現在迄は)三人班が基本です。劇団創立者は「集団は三人から」が口癖で、アンサンブルの最低人数を三人としたようです。それゆえ劇団創立の数年後以降、幼児作品は何十年も三人編成で演じられてきました。そんな中、1990年代後半に二人班「にこにこ劇場」が誕生。これは、実は窮余の策だったんです。当時、子育てのため舞台を下りている女性が何人かいたんですが、彼女たちが「演じたい!」と声をあげた。けれど保育園への送迎がある、子ども疾病の心配もある。そこで考えたのがローテーション班。3人グループで2人編成作品を上演する。これならば何とか続けられるだろうという訳です。この形で何作品か公演が続きました。その後、人事上の事情によるベテラン二人班が数年間あった。このチームの手打ち公演では「二人合わせて100歳!」がキャッチフレーズでした。(今の〈おさんぽ〉からすると、若い)
そして、その班が解散するという年の人事会議。二人は別の班に異動。ジイが属していた三人班から、一名異動・一名退団の予定。という訳で、ジイは人事の表に一人ぼっちとなる。(実際には多様な案が錯綜していたのだが…)とにかく絶対数が足りない!で、ジイ「Cちゃんは?」、以前にこにこ劇場(上記)所属の女性について訊ねる。〈部署希望アンケート〉をチェックすると「子育ても一段落しそうだから、舞台へ戻ろうかな」的な記載があった(と思う)。・・てな経過で、(端から二人班ありきではなかったが)おさんぽ劇場が誕生するのです。チーム結成の由来を問われ、「余った二人だったんです」と答えていたのは、当たらずとは言えずとも遠からず。活動を始めたのは2011年3月末、東日本大震災の直後からでした。因みにグループ名は、最初の手打ち公演時に「親しみを感じるよう・役者の名前を知ってもらうよう」にと決めたモノ。…以後、各作品等についてお話してゆきますが、ジイの記憶違いがあるやも知れず…ご容赦を。
2026年03月11日
ウサジイの公演日記#1170
【ウサジイむかし話】〈156〉・・・稽古場…など
作品の制作等に使う稽古スペース。現劇団には大小2つと、やや狭いが会議室の3ヶ所。が、これでは足りず外部の施設を借りることもある。幼保班なら地元・緑区のコミュニティーセンター、小学校班は東海市の会館など。東海市の市民館のお世話になったこともあったか。…30年ほど前までの旧稽古場には小稽古場はなく、今以上借りていたと記憶している。
緑区内なら、宿泊青年の家・生涯学習センター・大高公民館・有松公民館など。宿青は大根山稽古場から徒歩10分、稽古以外にレッスン、「西遊記」の大きな幕に絵を縫付ける作業にも使用した。大高公民館もお馴染みで、会議室とホール。このホールは、古いものの1&2階に固定席がある中ホール。さすがに照明機材等は限られていたが、ジイ入団前には「悟空誕生」(第1回目)を上演したらしい。公民館は名古屋市内では緑区のみで、これは合併前の旧自治体の名残だった。(大高公の近くには銭湯もあったなぁ…)・・それから、大根山から近い大府市の各公民館。北山に行く時は、必ず近くのパン屋・アンに寄った。共長では職員に声を掛けられ、同施設で子ども達に太鼓を教えた。共和で和楽器のメンバーが揃っての「名古屋心中」稽古、来館の皆さんが聞き入っていた。あと大府では、市体育館や文化会館も。
最近、劇団うりんこさんが当劇団の稽古場を借りることがあるが…以前、反対にお借りしたことも。それは現劇場ではなく、同じ所にあった木造の旧い建物かも知れない。他に、(ジイではないが)フォークグループ鬼剣舞さんの所、高蔵寺の奥まで行ったとか。ジイは劇団名芸さんの稽古場で「石の馬」の入替えをしたことがある。天井が低く、肩乗せができなかったような…。いずれも朧げな記憶です。
(オマケ)大高からの流れで…「大高動物園」いわゆる動物園ではなく、保護犬などを飼っていた施設。ヤギもいたかな。大高緑地公園に隣接していて、個人の活動だったのか?それから公民館近くの「大高水族館」こちらは鑑賞魚販売店。(オマケ2)動物園と云えば、R23飛島村にエルザという喫茶店があった。店内にライオン(もちろん檻内)がいるのです。コーヒーが¥500と、当時としては超高価。一度だけ入った。他に岐阜城の下・岐阜公園のペンギン水槽、松阪城内には確かトラの檻があった。いずれも無料!公演帰りのお楽しみでした。
作品の制作等に使う稽古スペース。現劇団には大小2つと、やや狭いが会議室の3ヶ所。が、これでは足りず外部の施設を借りることもある。幼保班なら地元・緑区のコミュニティーセンター、小学校班は東海市の会館など。東海市の市民館のお世話になったこともあったか。…30年ほど前までの旧稽古場には小稽古場はなく、今以上借りていたと記憶している。
緑区内なら、宿泊青年の家・生涯学習センター・大高公民館・有松公民館など。宿青は大根山稽古場から徒歩10分、稽古以外にレッスン、「西遊記」の大きな幕に絵を縫付ける作業にも使用した。大高公民館もお馴染みで、会議室とホール。このホールは、古いものの1&2階に固定席がある中ホール。さすがに照明機材等は限られていたが、ジイ入団前には「悟空誕生」(第1回目)を上演したらしい。公民館は名古屋市内では緑区のみで、これは合併前の旧自治体の名残だった。(大高公の近くには銭湯もあったなぁ…)・・それから、大根山から近い大府市の各公民館。北山に行く時は、必ず近くのパン屋・アンに寄った。共長では職員に声を掛けられ、同施設で子ども達に太鼓を教えた。共和で和楽器のメンバーが揃っての「名古屋心中」稽古、来館の皆さんが聞き入っていた。あと大府では、市体育館や文化会館も。
最近、劇団うりんこさんが当劇団の稽古場を借りることがあるが…以前、反対にお借りしたことも。それは現劇場ではなく、同じ所にあった木造の旧い建物かも知れない。他に、(ジイではないが)フォークグループ鬼剣舞さんの所、高蔵寺の奥まで行ったとか。ジイは劇団名芸さんの稽古場で「石の馬」の入替えをしたことがある。天井が低く、肩乗せができなかったような…。いずれも朧げな記憶です。
(オマケ)大高からの流れで…「大高動物園」いわゆる動物園ではなく、保護犬などを飼っていた施設。ヤギもいたかな。大高緑地公園に隣接していて、個人の活動だったのか?それから公民館近くの「大高水族館」こちらは鑑賞魚販売店。(オマケ2)動物園と云えば、R23飛島村にエルザという喫茶店があった。店内にライオン(もちろん檻内)がいるのです。コーヒーが¥500と、当時としては超高価。一度だけ入った。他に岐阜城の下・岐阜公園のペンギン水槽、松阪城内には確かトラの檻があった。いずれも無料!公演帰りのお楽しみでした。

