「松江*森の演劇祭」第8回を数えるこの企画は、「NPO法人あしぶえ」が主導して3年毎に開催されている。劇団は何年か前に「父と暮せば」を上演し、次の回にジイ達が「ともだちや」で参加の予定だった。が、その年に始まったコロナ禍により中止。翌々年「ももん&カミナリ」が招聘される。で、今回「ともだちや」のリベンジ公演となった。演劇祭は、あしぶえの本拠=「しいの実シアター」を中心に付近の公民館・再生古民家等が会場、山里の中に点在している。地元のみならず、近隣県や関西などからも集客。海外からの招聘団体も複数あり、国際的な雰囲気がある。
名古屋から松江までは実走7時間ほど、中国道〜鳥取道+山陰道だと無料区間アリでお値打ち。さて翌・初日&二日目は、演劇祭に先立ち近隣幼保の集団観劇。バスに乗り弁当を持って、しいの実シアターへと集まってくる。木製のしゃれたベンチに並ぶ150名超の子たち。なかなかの圧を感じる。驚いたことに「前逢ったことある!」の声が聞かれる。2年前に「ももん&カミナリ」を観た子たちがかなりいたのだ。内容まで覚えており、引率の先生方も驚くばかり。…初日は午後が空き時間=出雲大社まで足をのばす。
三日目=演劇祭初日。劇場に仕立てられた公民館が会場。クルーと呼ばれる会場スタッフは、松江+近隣からのボランティア参加。前説は中3の女の子が担当。経験豊富な方ばかりで、安心して開演を待つ。午前はほぼ満席、幼児も多く賑やかな声が響くステージ。午後はやや淋しいが、大人中心の集中した空気でした。終演後、バラシ途中でシアターに他団体を観に行く。東京オリンピックでピクトグラムのパフォーマンスをしたユニット。海外での受賞も多いだけあって、実に見事だった。技術はあるのに、それを見せない辺り…近しい人がそこに居る感じが良かった。
最終日は、午前中に他団体を観劇。ジイはクラウン・ユニットの舞台を観る。開場を待つ間、会場スタッフと話す機会があった。発足時から関わっていると云う年配の女性、「八雲だった頃は村中で応援してたんですよ。私の所もホームステイしてもらった。カナダの人だったかな」…合併して松江市になり、ちょっと遠い存在になってしまったと感じているようでした。…帰途はひたすら走り、劇団にて別作品へ荷物を積替え、帰宅するとバタン…zzzzz。
2025年11月06日
2025年11月03日
2025年10月31日
ウサジイの公演日記#1154
名古屋市内の幼稚園で「ともだちや」の公演。ジイたち・おさんぽ劇場は10年ぶりの園。母体である教会はすっかりリニューアルされ、近代的な姿になっていた。が、園舎は懐かしいままの佇まい。内装は全て木造で、廊下の壁は漆喰の白が映えている。市の中心部=熱田神宮にほど近い場所なのに、かなり広い園庭。大きな木がそびえ、周りには小さな畑もある。子どもにとって最高の環境としか言いようがない。
さて仕込んでいると、ポツリポツリ と登園が始まる。各自、上着を丁寧にたたんでロッカーに入れる。被ってきた麦わら帽子がカラフルなので「洒落てるなぁ」→先生「自分で塗ったんです。お気に入りで、秋になってもずっと被ってるんです」…見ると、確かにマジックインキで塗ってある。マイ帽子は手放せないんでしょうね。…そのうち舞台近くに子たちが集まる。各教室の間が引き戸になっており、それが開いてるため丸見えなのです。「この線から入っちゃダメだよ」「空中だったら良い?」〜これは定番、廃れないものだなぁ〜 仕込み終わり体操を始めると、その子たちも真似て体を動かす。嬉しくて仕方がない様子だ。時季外れの蚊を見つけ「ぶ〜〜ん、チクッ!」と蚊のマネをすると、その子たちも真似る。と云うか、蚊の様に飛び回っては「チクッ!」と攻撃してくる。中々に想像力があるなぁ、なんて感じていた。
その子たちに限らず皆元気に遊んでいたので「こりゃスゴイ反応だろう」と思っていたら、拍子抜けするくらい集中、静かに観ている。メリハリある子たちだ。…終演後、その事を先生に伝える。遊び方も「創造的ですね」と話すと、先生「どうしてもダメなこと以外は、なるべく自由にしています。自分の力で行動できないと、大きくなってから困りますから」…いやぁ、実に素晴らしい子育てをしている!でも、アレコレシテイル(教育的なプログラムを)園に子どもが流れ、園児が減っているそうだ。ん〜〜なんとかならないものか。
さて仕込んでいると、ポツリポツリ と登園が始まる。各自、上着を丁寧にたたんでロッカーに入れる。被ってきた麦わら帽子がカラフルなので「洒落てるなぁ」→先生「自分で塗ったんです。お気に入りで、秋になってもずっと被ってるんです」…見ると、確かにマジックインキで塗ってある。マイ帽子は手放せないんでしょうね。…そのうち舞台近くに子たちが集まる。各教室の間が引き戸になっており、それが開いてるため丸見えなのです。「この線から入っちゃダメだよ」「空中だったら良い?」〜これは定番、廃れないものだなぁ〜 仕込み終わり体操を始めると、その子たちも真似て体を動かす。嬉しくて仕方がない様子だ。時季外れの蚊を見つけ「ぶ〜〜ん、チクッ!」と蚊のマネをすると、その子たちも真似る。と云うか、蚊の様に飛び回っては「チクッ!」と攻撃してくる。中々に想像力があるなぁ、なんて感じていた。
その子たちに限らず皆元気に遊んでいたので「こりゃスゴイ反応だろう」と思っていたら、拍子抜けするくらい集中、静かに観ている。メリハリある子たちだ。…終演後、その事を先生に伝える。遊び方も「創造的ですね」と話すと、先生「どうしてもダメなこと以外は、なるべく自由にしています。自分の力で行動できないと、大きくなってから困りますから」…いやぁ、実に素晴らしい子育てをしている!でも、アレコレシテイル(教育的なプログラムを)園に子どもが流れ、園児が減っているそうだ。ん〜〜なんとかならないものか。
2025年10月30日
2025年10月11日
ウサジイの公演日記#1153
故あってこの間、公演活動から離れる期間が多かった。数ヵ月ぶりの「ももん&カミナリ」は、松本市の劇場公演。劇団は年何度かの松本市幼保巡演をしているが、おさんぽ劇場は少々ご無沙汰感もあったりで…久しぶりのマツモト(?) という訳で公演前日・移動日、長年幼保公演の際にお世話になったIN女史(元保育士・人形劇団主宰)に会いに行く。ご挨拶だけのつもりだったのに、豪華な茶菓の準備がされており、結局2時間近くの茶話会。というか、こちらはほぼ聞き手だったんですが…。最後には「互いに歳とったねぇ」みたいな話になったりで、お暇しました。
さて翌日の劇場例会。会場には既に劇場スタッフが待ち構えており、アッという間に搬入完了。…の中に<どこかでお会いしたゾ>と感じる方がひとり。<似た人っているからね>と思っていたら「もう忘れられたかも知れませんが…」と話しかけられる。聞けば、香川県にあった人形劇学校・パペットアークの卒業生。うんうん、確かにお会いしてました!もう20年近く経っているのに、しっかりと思い出しました。卒業後、様々あって故郷に帰り、子どもの文化をと劇場活動に加わったらしい。嬉しい再会でした。
客席は50名程だったが、前列の子たちが会場を盛り上げてくれた。開場〜開演までのプレパフォーマンスで仲良くなっていたからかな?2歳さんの二人は、ももんちゃんよろしく飛び上がったり寝転んだり。1歳に満たない子も指差ししたりで、後列・ベテラン会員さんに受けていた。その子はお父さんが見守っていたのだが、お母さんの方は舞台に釘付けで終始ニコニコしていた。あんまり嬉しそうだったので、終演後「ありがとうございました」…すると彼女、宮崎県・都城の劇場っ子だという。しかもお母さんは事務局。数年前に「ともだちや」でお世話になっていました。
それから人形劇をやっている方も。いや知る人ぞ知るT氏ではなく、彼と組むことになった方なんですが、よもやま話をしながらバラシを手伝ってもらいました。T氏に「是非観ておけ」と云われたとのこと。…いや、これまた、ありがとうございました。
さて翌日の劇場例会。会場には既に劇場スタッフが待ち構えており、アッという間に搬入完了。…の中に<どこかでお会いしたゾ>と感じる方がひとり。<似た人っているからね>と思っていたら「もう忘れられたかも知れませんが…」と話しかけられる。聞けば、香川県にあった人形劇学校・パペットアークの卒業生。うんうん、確かにお会いしてました!もう20年近く経っているのに、しっかりと思い出しました。卒業後、様々あって故郷に帰り、子どもの文化をと劇場活動に加わったらしい。嬉しい再会でした。
客席は50名程だったが、前列の子たちが会場を盛り上げてくれた。開場〜開演までのプレパフォーマンスで仲良くなっていたからかな?2歳さんの二人は、ももんちゃんよろしく飛び上がったり寝転んだり。1歳に満たない子も指差ししたりで、後列・ベテラン会員さんに受けていた。その子はお父さんが見守っていたのだが、お母さんの方は舞台に釘付けで終始ニコニコしていた。あんまり嬉しそうだったので、終演後「ありがとうございました」…すると彼女、宮崎県・都城の劇場っ子だという。しかもお母さんは事務局。数年前に「ともだちや」でお世話になっていました。
それから人形劇をやっている方も。いや知る人ぞ知るT氏ではなく、彼と組むことになった方なんですが、よもやま話をしながらバラシを手伝ってもらいました。T氏に「是非観ておけ」と云われたとのこと。…いや、これまた、ありがとうございました。
2025年10月10日
ウサジイの公演日記#1152
【ウサジイ昔ばなし】〈153〉・・・会館
先日、名古屋港水族館に行った。手前に地下鉄・名港線の駅があり、ふと「港湾会館」を思い出した。駅のすぐ横にあったような気がして眺めると、クリーム色の集合住宅が建っている。会館の外観は、海を思わせるような青(タイルか?)だったと記憶している。劇団も何度か公演したのであろうが、ジイの記憶は1990年代前半「西遊記」初期に公演した時のモノ。上演後の昼食会、脚本でお世話になった多田徹氏(劇団風の子・故人)より賛辞を頂いたことを覚えている。(名古屋港管理組合により、1971年開館、閉館年不明。現会館=ホール機能は無い)
そこから、今は無きホールに想いが広がる。「愛知文化講堂」(1958〜92年、跡地はオアシス21)一度だけ、恐らく「石の馬」を上演した。格式あるホールだと勝手に思い込んでいたが、ホールスタッフが親切で拍子抜けした記憶がある。「愛知県勤労会館」(1970〜2010年・鶴舞公園南)ジイが舞台に立った記憶はないが、観る側では何度も通った。名古屋おやこ劇場の例会でも利用されていて、プーク・ひとみ座・風の子九州などを覚えている。そして零細劇団には縁遠かった「厚生年金会館」(池下)も、2000年代に入り役目を終える。
間もなく閉館する「名古屋市民会館」(1972年〜)では、中ホールで「西遊記」シリーズを上演。ここは客席の傾斜が少ないことに加え、通路が客席床面より若干低い。筋斗雲を投げるには厳しい環境だった。(劇団の公演じゃないが、ジイは大ホールに立ったこともある。作品の音楽スタッフであったK氏の企画に花を添えるため「ハンドマイム」を上演)なお「西遊記」は、健在な「名古屋市教育センター」「名古屋市公会堂」等でも公演した。いずれも会場回り・筋斗雲で苦労した記憶が鮮明だ。
余談だが、「芸術創造センター」はジイが入団して間もない頃に開館した。建設にあたっては、文化関係を中心に構成する「市民のための会場を考える会」も大いに意見を述べたらしい。芸創に続くように、各区に文化小劇場が開館してゆく。1980年代「石の馬」の頃、広島市での子ども劇場公演は各区の中ホール。区ごとにホールがある状況を羨んだが、名古屋も頑張ってくれました。(が、近隣の自治体に比べると、もう少し何とかならないの?と思う部分もあったりして・・・)
先日、名古屋港水族館に行った。手前に地下鉄・名港線の駅があり、ふと「港湾会館」を思い出した。駅のすぐ横にあったような気がして眺めると、クリーム色の集合住宅が建っている。会館の外観は、海を思わせるような青(タイルか?)だったと記憶している。劇団も何度か公演したのであろうが、ジイの記憶は1990年代前半「西遊記」初期に公演した時のモノ。上演後の昼食会、脚本でお世話になった多田徹氏(劇団風の子・故人)より賛辞を頂いたことを覚えている。(名古屋港管理組合により、1971年開館、閉館年不明。現会館=ホール機能は無い)
そこから、今は無きホールに想いが広がる。「愛知文化講堂」(1958〜92年、跡地はオアシス21)一度だけ、恐らく「石の馬」を上演した。格式あるホールだと勝手に思い込んでいたが、ホールスタッフが親切で拍子抜けした記憶がある。「愛知県勤労会館」(1970〜2010年・鶴舞公園南)ジイが舞台に立った記憶はないが、観る側では何度も通った。名古屋おやこ劇場の例会でも利用されていて、プーク・ひとみ座・風の子九州などを覚えている。そして零細劇団には縁遠かった「厚生年金会館」(池下)も、2000年代に入り役目を終える。
間もなく閉館する「名古屋市民会館」(1972年〜)では、中ホールで「西遊記」シリーズを上演。ここは客席の傾斜が少ないことに加え、通路が客席床面より若干低い。筋斗雲を投げるには厳しい環境だった。(劇団の公演じゃないが、ジイは大ホールに立ったこともある。作品の音楽スタッフであったK氏の企画に花を添えるため「ハンドマイム」を上演)なお「西遊記」は、健在な「名古屋市教育センター」「名古屋市公会堂」等でも公演した。いずれも会場回り・筋斗雲で苦労した記憶が鮮明だ。
余談だが、「芸術創造センター」はジイが入団して間もない頃に開館した。建設にあたっては、文化関係を中心に構成する「市民のための会場を考える会」も大いに意見を述べたらしい。芸創に続くように、各区に文化小劇場が開館してゆく。1980年代「石の馬」の頃、広島市での子ども劇場公演は各区の中ホール。区ごとにホールがある状況を羨んだが、名古屋も頑張ってくれました。(が、近隣の自治体に比べると、もう少し何とかならないの?と思う部分もあったりして・・・)
2025年09月05日
ウサジイの公演日記#1151
【ウサジイ昔ばなし】〈152〉・・・とめがね とか
チョイとブログを読み返す機会があり、〈88〉靴箱から広がった記憶 ⇒ ジイが小学校等で公演していた頃(80年代後半〜90年代前半)、班のメンバーは5〜6歳と離れていない者ばかりだった。しかも20〜30歳台だった訳で、「靴箱の刑」などと云うオフザケ(?)も横行した。で、思い出したのは「とめがね」(=舞台を組む際にパーツを接合する金具、通常クランプなどと呼ばれる。劇団では鉄工所に特注)の件。
小学校公演では、学校側が空き教室を楽屋として提供してくれる。が、男子グループは体育館⇔楽屋の移動が面倒で、舞台袖で着替えることも多かった。止め金が活躍したのは、真冬の体育館。震えながら着替えていると、いきなり背中にベチャ〜…「ヒェ〜‼‼」5o厚の鉄板で作られたそれは、キンキンに冷えているわけで、飛び上がるほどの冷たさ。…これが毎度となれば、気を付けていれば回避できそうなものだが、そこは互いに策を練る。予め止め金を隠し置き、着替えると見せかけての攻撃等々…。(こりゃ、公演先の小学生…それも低学年レベルですなぁ) ところで楽屋は男女別に用意されているのだが…舞台がハネて着替えに戻る途中、芝居の出来に関して喧々諤々。楽屋に戻っても話に夢中…衣装を脱いでいると、「あ〜!何やっとんの、私!」話題に熱中するあまり男子部屋に紛れ込んでしまった某女史、慌てて走り去るのでした。まぁ、それほど作品に対して真摯に向き合っていたのでしょうね(?)
開演前にドッキリを仕掛けたことも…。1,980年代半ば「石の馬」、ジイは太陽仙人役。人形ではなく、アルミ線等で骨組み・衣装を着せた体+径30p余・高さ50p程の被り物=「中国風老人ゆるキャラ」の様ないでたちでした。それが出番=後半までは舞台袖に置かれている。ある日ふと思い立ち、開演前にそれを着てみる。そのまま座ると、いかにも置かれているように見える。やがて一人二人とやって来るメンバー。タイミングを図り、手をピクッ・体ごとゴテン。思いのほか喜んで(=驚いて)くれました。(待っている間は実に退屈でしたが…)
チョイとブログを読み返す機会があり、〈88〉靴箱から広がった記憶 ⇒ ジイが小学校等で公演していた頃(80年代後半〜90年代前半)、班のメンバーは5〜6歳と離れていない者ばかりだった。しかも20〜30歳台だった訳で、「靴箱の刑」などと云うオフザケ(?)も横行した。で、思い出したのは「とめがね」(=舞台を組む際にパーツを接合する金具、通常クランプなどと呼ばれる。劇団では鉄工所に特注)の件。
小学校公演では、学校側が空き教室を楽屋として提供してくれる。が、男子グループは体育館⇔楽屋の移動が面倒で、舞台袖で着替えることも多かった。止め金が活躍したのは、真冬の体育館。震えながら着替えていると、いきなり背中にベチャ〜…「ヒェ〜‼‼」5o厚の鉄板で作られたそれは、キンキンに冷えているわけで、飛び上がるほどの冷たさ。…これが毎度となれば、気を付けていれば回避できそうなものだが、そこは互いに策を練る。予め止め金を隠し置き、着替えると見せかけての攻撃等々…。(こりゃ、公演先の小学生…それも低学年レベルですなぁ) ところで楽屋は男女別に用意されているのだが…舞台がハネて着替えに戻る途中、芝居の出来に関して喧々諤々。楽屋に戻っても話に夢中…衣装を脱いでいると、「あ〜!何やっとんの、私!」話題に熱中するあまり男子部屋に紛れ込んでしまった某女史、慌てて走り去るのでした。まぁ、それほど作品に対して真摯に向き合っていたのでしょうね(?)
開演前にドッキリを仕掛けたことも…。1,980年代半ば「石の馬」、ジイは太陽仙人役。人形ではなく、アルミ線等で骨組み・衣装を着せた体+径30p余・高さ50p程の被り物=「中国風老人ゆるキャラ」の様ないでたちでした。それが出番=後半までは舞台袖に置かれている。ある日ふと思い立ち、開演前にそれを着てみる。そのまま座ると、いかにも置かれているように見える。やがて一人二人とやって来るメンバー。タイミングを図り、手をピクッ・体ごとゴテン。思いのほか喜んで(=驚いて)くれました。(待っている間は実に退屈でしたが…)
2025年08月25日
2025年08月20日
2025年08月15日
ウサジイの公演日記#1150
【ウサジイ昔ばなし】〈151〉・・・水
最近、個人的に白湯にはまっている。浄水器の水道水を煮沸して冷ますのだが、夏場はレンジ付近にいると暑い。そこで2〜3年前に購入した保存水を飲むことにする。その2Lペットボトルを眺め、30年近く前(西遊記シリーズの頃)の劇場公演を思い出した。そもそも、何時頃からペットボトル飲料は普及したのか?とにかく40余年前・ジイ入団時には見かけなかった。幼保・小学校公演では、当り前のように水道水を飲んでいた。近頃は水筒持参の幼児・学童に「あ〜、ミズ飲んでる〜」と囃される始末。「あぁ飲んでるよ、飲める水だからね」と応えると、不思議そうな彼ら。(時代を感じる)
初見ではないにしろ、印象的なペットボトルの記憶。おそらく1980年代後半「石の馬」大阪の劇場公演、楽屋前に給茶セットと共に水・2Lボトルが鎮座していた。ありがちな清涼飲料ではなく。ジイ達「高価なお茶になりそうだな」すると劇場の役員さん「大阪は琵琶湖の水でしょ。美味しいお茶を吞んで貰わなくちゃ」有難くも驚きの言葉が返ってきた。…それから30余年、これがスタンダードになりました。
その数年後、「西遊記」の頃。季節的に幼保班公演をする時期があり、譚志遠さん(日本の人形劇研究のため来日・劇団客員)にも観てもらおうと、共に浜松の幼稚園へ。手ぶらで来た彼の喉の渇きが気になり、コンビニに寄る。来日間もない彼のために、良かろうと思って烏龍茶を選択。が、一口飲むと「これ、何よ?」「烏龍茶!」「・・・」…彼曰く、まったくの別物とのことでした。
1990年に差し掛かる頃にはペット普及が進み、汗かく量が半端ではない小学校作品では、2Lペットが活躍し始める。体育館での上演が終わり着替える段になると、衣装はもちろん下着もビチャビチャ。予備のパンツを履き、汗だらけのパンツを放り投げると(ドサッ)と音がする始末。そこで2L登場となるが、劇場公演はそこまで暑くないため、飲み残しがでる。翌日も、同じペット片手にホール入り。しかし、よくよく見るとお茶に濁り…何かモワモワしたモノが揺れている。が、若かったジイ達は一気飲み。
余談:ジイ幼少の頃、購入する飲料はジュースか牛乳。初めてお茶を買った記憶…故郷・信州伊那谷・萱野高原のレストハウス的な施設。山頂ゆえか水が貴重だったんだろう、湯飲み一杯のお茶が…5円だったかなぁ?驚きというか、価値観がひっくり返った。
最近、個人的に白湯にはまっている。浄水器の水道水を煮沸して冷ますのだが、夏場はレンジ付近にいると暑い。そこで2〜3年前に購入した保存水を飲むことにする。その2Lペットボトルを眺め、30年近く前(西遊記シリーズの頃)の劇場公演を思い出した。そもそも、何時頃からペットボトル飲料は普及したのか?とにかく40余年前・ジイ入団時には見かけなかった。幼保・小学校公演では、当り前のように水道水を飲んでいた。近頃は水筒持参の幼児・学童に「あ〜、ミズ飲んでる〜」と囃される始末。「あぁ飲んでるよ、飲める水だからね」と応えると、不思議そうな彼ら。(時代を感じる)
初見ではないにしろ、印象的なペットボトルの記憶。おそらく1980年代後半「石の馬」大阪の劇場公演、楽屋前に給茶セットと共に水・2Lボトルが鎮座していた。ありがちな清涼飲料ではなく。ジイ達「高価なお茶になりそうだな」すると劇場の役員さん「大阪は琵琶湖の水でしょ。美味しいお茶を吞んで貰わなくちゃ」有難くも驚きの言葉が返ってきた。…それから30余年、これがスタンダードになりました。
その数年後、「西遊記」の頃。季節的に幼保班公演をする時期があり、譚志遠さん(日本の人形劇研究のため来日・劇団客員)にも観てもらおうと、共に浜松の幼稚園へ。手ぶらで来た彼の喉の渇きが気になり、コンビニに寄る。来日間もない彼のために、良かろうと思って烏龍茶を選択。が、一口飲むと「これ、何よ?」「烏龍茶!」「・・・」…彼曰く、まったくの別物とのことでした。
1990年に差し掛かる頃にはペット普及が進み、汗かく量が半端ではない小学校作品では、2Lペットが活躍し始める。体育館での上演が終わり着替える段になると、衣装はもちろん下着もビチャビチャ。予備のパンツを履き、汗だらけのパンツを放り投げると(ドサッ)と音がする始末。そこで2L登場となるが、劇場公演はそこまで暑くないため、飲み残しがでる。翌日も、同じペット片手にホール入り。しかし、よくよく見るとお茶に濁り…何かモワモワしたモノが揺れている。が、若かったジイ達は一気飲み。
余談:ジイ幼少の頃、購入する飲料はジュースか牛乳。初めてお茶を買った記憶…故郷・信州伊那谷・萱野高原のレストハウス的な施設。山頂ゆえか水が貴重だったんだろう、湯飲み一杯のお茶が…5円だったかなぁ?驚きというか、価値観がひっくり返った。

