【ウサジイ昔ばなし】〈135〉・・・演技4
3人班が基本なんです、むすび座は。創立者曰く「三人からが集団」、つまりアンサンブルとしての形はそれ以上で成立するという訳です。なので(創立直後を除き)長年二人班はなかった。できたのは2000年頃、お母さん班を作った時。子育てしながら舞台に立つために、3名が2人班をローテーションで回してゆく形で。これはその後、数年続きました。その経験を引き継いで、ベテラン2人が4年ほど活動した。それに続いたのがジイ達=おさんぽ劇場。…あ、この件に関しては、また別の機会に。
で、二人班での公演活動に入ったジイ。メンバーCちゃんは年齢はそこそこ離れていますが、劇団歴の差は4年。入団後しばらくは役者〜子育て時に制作部+脚本を書いていた多才な人物。ジイとしては、オチオチ胡坐をかいている訳にはゆかない状況…というか…むしろスタンスの一致を感じる。子どもに対する・演技に対する感覚に一致が多い。なかなかに心地よいステージを過ごせた。その中で「芝居とは・演技とはどうあるべきか?」が進化できたような気がする。旨く言えないのだが、作品創造の段階で&日々の上演の中で実験と検証を繰り返してきたような感じです。
「ぶんぶく茶がま」=和尚のいい加減な演技・「ゆいとケンムン」=オバア人形の皮膚感覚を実感する・「ヤンチャメッチャブー」=超即興性・「カミナリカレー」=何もしない時間を楽しむ・「ともだちや」=人形を振り回す演技もOK…等々。新しいお芝居に出会う度に、何かしら新しい演技の在り様を見つけてきた気がする。・・・そのうち、他班の作品を観たり、他劇団のお芝居に触れたりするうちに、チョット過激に云うと「人形なんてあれば良い」=良き人形に越したことはないが、要は演技だ。更には「演技は二の次、人間性・役者の思想が重要」なんて考えるようにもなる。絵画においてデッサンの力量は必要だが、それが上手いだけではそれ以上には進まない…と思うのです。
そんなことを思う頃に出会った言葉…「演劇というアートの素材である俳優は、虚構の空間に確乎として存在するのが役目です。俳優は、存在できないと説明の演技に頼ることになります。脚本の内容や人物を説明するための演技は、演劇の魅力を半減させてしまいます」