【ウサジイ昔ばなし】〈132〉・・・演技
今年度の劇団総会にて「劇団の未来について大いに語る」コーナーがあった。現状に関しての問題点・改善策などが出されたが、個人的な入団動機・劇団に寄せる気持ちなどの発言もあった。ジイも話しているうちに、(興がのってか?)自己の演技論を声高に述べることになってしまったりした。・・・という訳で、44年に及ぶ劇団生活の中での演技に関する気持ちを書いてみる。
そもそも制作者希望での入団であったが、とにかくまずは舞台に立てと幼児作品班に配属された。当時は幼保2班体制で、毎年の新作創り。一本目は班員の集団創造、二本目は創立者・丹下進氏演出が多かった。大学サークルで演じていたとはいえ、ほぼ0からの出発。演出の指示を理解し演じられるようなレベルではなかった。2年目「だぶだぶ」の稽古、主人公の母親役の台詞が上手くゆかない。自身が演者でもある丹下氏の中には、恐らく明確な演技プランがあったのであろう。同じ場面を20回以上も繰り返し稽古するうち、何だか情けなくなり涙がにじみ出る始末。
そうこうしながら、それでも少しは技術の向上もあり、入団5年目に小学校公演班に異動することになる。一年前に仕込んだ「石の馬」、作品途中からの参加は初めての経験。どの役を演じるかは決まっていなかったが、とにかく半年前からはチャンスがあっても観ないことにした。前任者の演技に影響されるのが恐かったんです。演出は、その後10年ほどの付き合いとなる関矢幸雄氏。1年目の「コンポン&ハンドマイム」、2年目の「ガリヴァー」の演出でもあったが、その頃は「新人」。チョットだけキャリアあっての付き合いとなる。・・・つづく