【ウサジイ昔ばなし】〈130〉・・・初の初演
最近ジイは、在団45年目に入った。入団した時分には、その後どの様な劇団活動をするか?など考えるべくもなかった。有難いことに、ジイの立ち位置や劇団の状況により、65歳定年後も4年間舞台に立てている。(定年はジイが運営委員長時代に、2代目代表の寛ちゃんの要望で決定した)さて、入団前後の話はしたが、直後の話をしましょう。
1月末に入団した直後は、「こぎつねコンとこだぬきポン」の舞台(テーブルケコミ)づくり。当時の幼保2班が合同で、「名古屋市子どものための巡回劇場」のために仕込んだ作品。テンヤワンヤで創ったため、オフィス用の長机代用で上演していた。それを上面を傾斜させた(専門用語では「八百屋」)組み立て式にせよ!との命が下る。何の指導もなく「作れ!」と言われる。…とにかく考え考え、ノミでホゾを穿ち…何とか一週間で作り上げた。今考えると、かなり稚拙な作りであった。
そんな日々、公演班が帰ってくると「むすび座ミュージカル」の稽古が始まる。2ヶ月後に上演する企画なのだ。ギリセーフの入団タイミングで「お前も舞台に立て」と言われる。夕食後、7時頃からイレギュラーな公演を目指しての稽古が始まるのでした。この企画、劇団の作品音楽を一手に引き受けてくださっていたK氏の発案。当時のスタッフ陣は、どの方も自分の劇団の様に思っていたようです。…で3月下旬、今はなき名演小劇場において「むすび座ミュージカル・まずはパートワン」の上演と相成りました。(パート2はありませんでした)因みにこの公演の当日パンフレット、半分はジイが作りました。ま、みんな数歳しか違わない仲間だったから。
そして劇団レパ作品の初演は・・・「友達になれるかな」作・演出/イレーシュ・アティラと、「三匹のこぶた」作・演出/丹下進、音楽/熊谷賢一。「友達」は動物たちが登場するオムニバス作品。ハンガリーの演劇大学卒であるアティラ氏の理論は、揺るぎないモノがあった。「雄鶏は茶色のマダラです。白はレグホンですから」…これは納得。「ウサギの目は青です。赤い目はありません」…そう?「ピンクは使いません。その色は、アメリカの色です」…これは、東ヨーロッパならではの考えでしょ。さて「三ぶた」は、脚本ナシ・丹下氏の口立てで稽古が始まる。立ち稽古が始まると「はい、そこで君は何て言うの?」「う〜ん、ちょっと違う。こんな風かなぁ」と筋が出来あがってゆく。なかなかにスリリングな仕込みでした。衣装もオーバーオールにバスケットシューズ。(オーバーオールはさすがに暑く、夏には普通のジーンズに変更)…そうそう、わらの家は初演直前まで決まらず、前日になって劇団玄関で「傘」を見た時に「これだ」と思った丹下氏。その傘に布を張り、わら模様を描きました。それから、例によっての徹夜稽古があってからの初演でした。