2024年10月20日

ウサジイの公演日記1099

【ウサジイ昔ばなし】〈126〉・・・寛ちゃん
劇団創立者の一人である。もう一人・丹下さんに関しては多く書いたと思うし、でなくとも知られている部分は多い。寛ちゃん=田中寛次氏は、二人目の代表として劇団を支えてくれた。ジイが入団した時には既に事務局長。事務方のイメージが強いが、もちろん熱いモノを持った創造者なんです。そんな寛ちゃんの舞台を、学生時代に観ている。三重県の人形劇フェスに招聘した「おしゃれ店の前で」…人形を持たない芝居の部分もある、コミカルなステージだった。(と記憶している)3人班で他のメンバーは、長年在籍し定年退団したU女史と、後に退団して劇団を立ち上げたK女史。今考えるとスゴイ構成…って云うか、その後スゴクなった人たちだった。女性二人は入団間もない頃でしたから…。
沈思黙考の人だと見られがちだが、いざとなればズバッと切り捨てるような発言をする。忘れられないのは…(北陸で活躍されている「人形劇団とんと」さんは、むすび座出身なんですが)…そのお二人が劇団を立ち上げるためにむすび座を去る頃。劇団総会の打ち上げ宴会の席で、二人に決意表明の発言が求められた。ところが宴席はワイワイガヤガヤと盛り上がっている。すると寛ちゃん「静かに聞け!お前たちなぁ、彼らがどういう気持ちで福井に行くと思っているんだ!」と言いながら、手元の包丁で蒸しダコ(供された料理)を突き刺し続ける。劇団創立の大変さを知る人だからこその発言だったのだろう。…それから、レッスンについては「あんたたちは下手くそなんだから…云々」と、必要性を説いていた。
入団3〜4年目頃、早々に運営委員なったりで、少々天狗になっていたジイ。夕刻の劇団事務所に電話がかかって来た。出ると、代表・丹下さんへの用事らしい。丹下氏は不在、目の前には寛ちゃんがいた。で「寛ちゃんでも良いか」と言いながら受話器を渡そうとした。すると「あんたが対応したら?」と言われる。考えてみれば「でも」とは、実に失礼な発言だった。40年経っても、その時の冷や汗はしっかりと覚えている。そんなこともあったのに、ある面ジイのことを買ってくれていて…今の場所に稽古場を移転する際、候補の土地に行き、意見を求められた。「トラックの出入りを考えるとこっちだと思う」と答えると「あ〜、なるほどな」 その後、次期代表を推薦するアンケートに寛ちゃんは、「アバウトな人間だから」との理由でジイの名を書いていた。この「アバウト」に関しては、未だ意味不明である。
posted by むすび座メンバー at 17:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする