【ウサジイ昔ばなし】〈98〉・・・この方も恩師
多分、まだ書いてないと思うんですが・・・1980年頃・入団直前に、別の劇団の舞台を踏んだことがある。(…な〜んて云うと、大げさなんですが)・・・縁あって、京都の老舗人形劇団のツアーに帯同した。と言っても荷物運び=搬出入の助っ人役として。ところがツアーの途中でメンバーの一人が急病、残りのメンバーで対応するが、どうしても人手の足りない場面がある。そこで白羽の矢が立ったのがジイ。川を転げるように移動する岩の役と、大団円で輪になって踊るような役、後は舞台袖での整理など…だったはず。急遽差し込まれた役割ゆえ、上下を手ぶらで移動せねばならないこともある。ホール公演なので楽屋通路やホリ幕裏を移動したが、そういう通路がなく舞台奥を横切らざるを得ない会場があった。先輩諸氏曰く「芝居が騒がしい所で、スーッと歩いたらええわ」…が、経験のないジイは超緊張。何気なくと思えば思うほどガチガチになり、不自然極まりない歩きの目立ったこと!そんな中、宿で吞むこともあり、取り分けF氏(Oっちゃん)からは多大な薫陶を受けた。今となっては具体的な言葉を覚えていないが、演技論・文化論・人生論…入団を決めていた者には沁み入ることばかりであった。
それから10年ほど経った頃、劇団に同じく人形劇団KのT氏(Мさん)を迎えて、学習会が行われた。演技についての座学であったはず。演壇には、氏の要望で人形を幾つか用意した。講座が始まる前から、嬉しそうに人形を操るT氏。始まってからも「この人形はこうすると良いかな?いや、この方がおもろいか」手の中の人形が愛おしくてたまらないと云う風情。一つだけ明瞭に覚えているのは、劇団員「自分のセリフがない時は、どうしていればいいんでしょうか?」T氏「そりゃ、相手の話を聞くしかないやろな」・・・自分がそうするんだから、人形にもそうしてもらえ…ってことだったんでしょう。
この頃、中国地方のツアー帰りに、人形劇団Kの稽古場に寄る機会があった。同年代の方と話している所へ、N氏(Kさん)が通りかかり「そのオデコ、どないしたんや?」実は前日の宿で泥酔し、よろけて壁にぶつけていた。そのことを話すと「役者は顔を傷つけてはいかん!」怒るように諭してくれた。同じ舞台人として見てくれてるんだなぁ…恐縮しながら、嬉しくもあった。(氏の経歴を調べたところ1990年に独立してるから、その直前という訳か)
と、書いてみると…皆さん役者。タイプは全く違うが、人となりが演技に反映していた。