2025年05月22日

ウサジイの公演日記#1136

【ウサジイ昔ばなし】〈141〉・・・こんな仕込みも…A
1980年代後半「モンキーキング」:当時の小学校公演班がカナダ・チルドレンフェスティバルで上演するため、「悟空誕生」+「西遊記」の短縮ヴァージョンを仕込んだ。ほとんどの道具などを新たに作り直す。そのため、同時期に幼児作品「さるかにばなし」他1本を仕込む予定のジイ達も手伝いに入る。おかげでレパの方は、2週間・超特急で仕込むことになるのだが…。大変だったのは、むしろ手伝いの方でした。仕込み終盤、通じない台詞をカバーするために、ステージ上に広げる字幕を製作。ホール対応のため、文字ひとつが15cm〼ほど・長さ5〜6m。布に絵具で描くと云うものでした。ニジミ防止で礬砂(どうさ)を塗ってあるのだが、紙に描くようにスラスラとはゆかない。それが何十枚もある。最後の一週間は、ジイ達数名は劇団工房に泊まり込み。朝方、やって来た役者に出来た分を渡し、そのままそこで寝る。昼過ぎに起きて、作業再開てな感じでした。そうそうある時、純正カフェインなるモノが出現。それを飲むと確かに眠くならないのだが、覚醒したまま手先だけが動かなくなり、役には立たなかった。‥‥そんな汗と涙の結晶、結局現地では使われなかったとか。
1990年代前半「名古屋心中」:劇団創立25周年(だっけ?)記念作品。「西遊記」班のうち、ジイ含む4名・幼児作品3人班×1・その他数名(新人2名含む)で、8〜9月の長丁場で創った。初めての文楽人形操作にも苦労したが、そんな人形を20数体作るのが大変だった。・・・なんて書き始めたが、調べてみたら「#960〈78〉」に出ていた。そちらをご覧ください。
ので、テーマから外れるが…ジイが属している「おさんぽ劇場」の最初の作品(2011年)が「ぶんぶく茶がま」「おばあさんとマリーちゃん」になった理由は…仕込み時期が大型作品「ピノキオ」と丸被り。劇団内には、スタッフも手伝い人材も全く期待できない。メンバー二人だけで創るためには、人形・道具などが残っている作品のリメイクが良かろう。どちらも3人編成の作品だったので、それなりに工夫は必要でした。この時に得た2人班の秘訣は「使うモノは役者の近くに置く」(=袖まで移動しない)そして演じる上でのコンセプトは「舞台芸術と云うよりは芸能」これらは、形は違ってもずっと継続しているような気がしています。
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2025年05月21日

ウサジイの公演日記#1135

【ウサジイ昔ばなし】〈140〉・・・こんな仕込みも…@
(ひょっとしたら、以前と重複の記載もあるかもですが…)そして(懐かしさはあるものの、決して以下の状況をヨシとしてるわけでもなく…)ただ単に、こんなこともありましたとさ…てな感じで話します。通常のレパートリー作品以外の作品創造時の話です。
1980年代中盤「ガリヴァー」:演者は幼児作品3人班×2と、公演班以外からも2人ほどを合わせた大所帯。大型の高学年向き作品で、作品創造にもそれなりに期間が必要だった。が、当時の幼保作品は一年を通して、平日は午前&午後の二回公演が普通。それだけ需要があったので、日程を空けて仕込むような考えはなかったようだ。もちろん最後は、専念できる期間が確保されてたが…。で、どうなるかと云えば…午後公演を終えて劇団へ帰る。すると演出=関矢氏が待ち構えていて、昼間に練っていた構想に基づき稽古が始まる。多分21or22時頃まで。はっきりした記憶ではないが、そんな期間が何度かあって本仕込みに入ったように思う。ジイは入ったばかりで比較するモノもなく、疑問すらなかった。全員が20歳台だったから体力もあったのかな?あ、それから小学校班も公演が忙しく、道具など製作の手伝いをする体制も作れず…どう考えても初演に人形が間に合わない!基本構造はできていても、表面処理まで手が回らないモノがある!しかし、演出=関矢氏「役者は『人形工房の者達』と設定しよう。だから作りかけの人形があっても構わない」いや〜、ビックリ。が、観る者にとって、想像する余地残るフォルムとなりました。
同じく1980年代中盤「雪をんな」:初演は(今は無き)名演会館プロデュースと云う形で、劇団から3名+人形劇団パンの1名がメンバー。お芝居は、三味線語りに合わせて和紙人形が演じるという形。(狂言回しの人形には、面白おかしいやり取りがあったが…)2劇団合同だったし、何より三味線のY氏の都合があって、稽古は早くて19時〜・場所は名演会館。翌日も公演のある日も多く、さすがにその日の内には稽古終了…なのだが…Y氏「チョットいきますか」と御猪口を持ち上げる格好。伝統芸能の世界はそう云うものなのか?彼独自の習性なのか?お断りするわけにもゆかず、帰宅は2〜3時になったり。これまた若き体力で乗り切る日々でした。幸い和紙人形+道具は、美術=O氏がこだわりの製作で作り上げてくれた。・・・脚本=S氏・演出=T氏を含め、スタッフ等は鬼籍に入られた方が多く、時の流れを感じるばかり。
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2025年05月16日

ウサジイの公演日記#1134

【ウサジイ昔ばなし】〈139〉・・・Gボン〜シンナー
チョット面倒くさい人間であるジイは、新人がボンド作業をしていると「ここ!この容器の注意書きを読みなさい。正しく接着しないと剥がれやすいから」言われなくてもそのうち判るのだろうが、言わずにはいられないジイ。Gボンドは速乾とは云うものの、そこそこ乾きかけないと溶剤の逃げ道がなくなり、完璧な接着にはならない。使用法順守は他の接着剤も同じ。そんな訳で半乾きorほぼ乾きになってから貼るのだが、これも湿度次第で時間が変わる。1990年代「おいしい眠り方」…青年向けにチャレンジした作品でのこと。著名人を模った巨大な顔だけの人形。たたみ2/3畳ほどの大きな顔に、布を貼る作業があった。ベテラン女性陣が担当したが、大きすぎるので場所を取る。そこで「おこもり」=大根山の旧稽古場近くに借りていた4軒長屋のアパートの一室での作業となる。あいにくの雨天で乾きにくい‥‥と云うか、大気中の湿気を吸い込んで、塗り終えたボンドが白っぽく泡立ってくる。そこはベテラン陣、ドライヤーを操って張り込み作業を完遂。ジイには無理だったなぁ。
今でも多々あるが、このボンド、衣服に付いたら簡単には取れない。放っておいて後から丁寧に摘まむのが一番。そうとは知らずジイ入団した年、作業中にトレーナーに付け、しかもすぐさま擦って台無しにしてしまった。悲しいほど薄給の時代、入団後初めて意を決して購入したトレーナーだった。渡り鳥が並び飛ぶようなデザイン。まぁ、えてしてこんなもんなんでしょう。もちろん着続けましたよ、公演先へも。他には無いんだから。
…話ついでにシンナーの思い出。1990年代後半「サンショオウォーズ」舞台のバックに、無数のサンショオウオ等を配した巨大な幕を飾ることになる。美術スタッフ/小原氏に、その作業を任された。3名ほどのチームでジイがリーダー。稽古場に広げては稽古の妨げ。当時借りていた「追風」(=プレハブ倉庫を地名で呼んでいた)に幕を吊り、指令通り油性ペイントで色付する。まずコンプレッサーで逆巻く波を描き、その後スタンプでサンショオウオを押してゆく。油性ペイントを溶剤のシンナーで緩くし吹き付けてゆくのだが、本来倉庫である空間の換気は良いわけではない。2〜3分吹き付けると「退却〜!」と叫び、戸外へ逃れしばらく待つ。倉庫内の視界が復活すると作業再開。夏場であり、倉庫の床にはシンナーにやられた夏虫が無数に転がっていた。今では考えられない、危険な方法でした。
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2025年05月15日

ウサジイの公演日記#1133

【ウサジイ昔ばなし】〈138〉・・・Gボン
人形や道具を作る際に、接着剤は必須。主に使うのは…木工や紙類に使う酢酸ビニル系の「白ボン」・石油製品をはじめ万能なゴム系の「Gボン」・空白部分を埋めながら固めてくれるエポキシ系の「二液」〜「」内は当劇団での通称。ボンドは「コニシ」の商品名だが、一般名詞になりかかっている気がする。その昔のセメダインの様に。(あ!GボンドはコニシのボンドG10でした)他に瞬間接着剤を使用することもあるし、ゴム系でもスチロール可のモノをはじめ種類は多い。・・・実は本日、「ニルス」に登場する小人の頭にガーゼを貼る作業をした。貼りながらGボンドの旧い話題が出た。そんな入口からアレコレ思い出した。
劇団では大量に使うため、通常3sの大容量缶を購入する。そこから小分けして使う。今はジャム等の空き瓶に移し、プラスティック製のヘラで塗っている。パレットナイフだったり、竹を削った特製品を使う者もいる。が、ジイな入団した頃は、もう少し大きめのインスタントコーヒーの空き瓶が多かった。塗るのは、ボンドにオマケで付いてくる刷毛。竹の柄+黒い毛足の巨大歯ブラシ状のモノ。大きな面に塗るには便利だが、細かい作業には向いていない。刷毛先をノコで切って小さくしたり、最終的には自分の指で塗っていた。溶剤としてシンナー系が使われているのだから体に良いわけない。でも…「慣れりゃ指に付かなくなる。それがプロの証明だ」なんて意味不明なコトを言いながら作業していた。
購入先も変遷。最初は地元・鳴海商店街の塗料屋だったと記憶している。ペンキとは溶剤が同じだからだろうか?(因みに白ボンドも、地元のインテリアも扱う雑貨屋でした)ホームセンターができてからは便利になったが、購入時に署名が必要な時期があった。大容量だと使われているシンナーも大量で、どうやら悪用=シンナー遊び対策だったらしい。 (…つづく)
posted by むすび座メンバー at 07:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月11日

ウサジイの公演日記#1132

【ウサジイ昔ばなし】〈137〉・・・ピアノ線A
1990年代初頭「悟空誕生」:ジイが演じていた仙人の住まい「斜月三星洞」、その門を模った大道具の扉。取外し蝶番の部品にピアノ線が使われていた。径4o程のL字型の小さな部品。旅公演中の仕込み時に…見つからない!アレが無いと門の態を成すことができない!おそらく13時会場入りの18時開演と云ったところだったろう。時間はある、幸いピアノ線の予備もあったので作ることにした。この太さだと、劇団ではバーナーで真っ赤に熱したところをハンマーで叩いて曲げる。しかし熱源はない。仕方なく大工作業用の金槌で叩いて曲げる。始めは駐車場脇のコンクリートの角を使っていたが、ピアノ線の硬さに負けて崩れそうになる。で、搬入口の鉄製の縁を頼りに、なんとか「く」の字にはなり、そのツアーをしのげた。今考えれば、曲げずともテープ類でストッパーを作れば済んだものを…。焦っていたんですねぇ。
2000年頃「まっくろネリノ」かな?:愛知県内の幼保公演から松本の保育園巡演に向かう日のこと。長時間の移動とて、舞台のバラシを急いでいた。と…痛!!背景を架けるためのピアノ線を踏んでしまった。引っ掻けるために曲げてあったので、先は上を向いている。その上に乗っかてしまった。尖っていないので刺さりはしない。少々痛かったが撤収を済ませ、松本へ移動。その途中、ジワジワと痛みが膨らんでくる。到着する頃には我慢ギリギリ。病院へ行き理由を話すと「一旦は相当入り込んだのでしょうか、いずれにしても内部の組織が傷んでいますねぇ」…これと云った治療方法もなく、絆創膏的なモノを貼ってもらい帰りました。
2010年代:TV・CMでの人形操演の依頼が来た。人形は別の方が作ってくれるらしい。ジイ達は動かすだけで良いという。指定されたスタジオに赴くと、数層の蹴込み枠・賑やかなライティング・数台のカメラなどがセットされ、いかにもプロの世界を感じる。(ジイ達も操作のプロではありますが、なにせマイナーな業界ゆえオドオド感は否めない)ところが渡された人形(=いわゆるパクパク人形+片手のみ指金)を手にし、唖然・・・。本体の作りにも難はあるが、問題は指金が「自由自在」で出来ている!ピアノ線が手に入らず太めの針金(=番線)を使用する場合はあるが、曲げやすい性質のアルミ材とは…。これでは手を動かそうにも力が伝わらない。とにかく現場にあった棒状のモノを添木にして操作した。遣うことのない方が映像だけで作るとこうなるのでしょう。
posted by むすび座メンバー at 10:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年05月10日

ウサジイの公演日記#1131

【ウサジイ昔ばなし】〈136〉・・・ピアノ線
人形劇界ではお馴染みのピアノ線。機械工業では多用されているに違いないが、それ以外こんなに必要とされている業界はないだろう。今、仕込み真っ最中の「ニルス」、最近ジイに振られた作業がピアノ線曲げ。それで様々思い出したわけです。因みにその作業は…人形のパーツにピアノ線を装着し、数カ所曲げると云うモノ。幸い径1.5oとペンチで曲げられる太さだが、同じ面で曲げ→それとは垂直面で曲げ→・・となると、そう易々とはゆかない。ねじれた格好になりやすい。そこで今回ジイが考えたのは、(説明しにくいのだが)パーツが収まる溝のある木型の治具を作り、それからはみ出た線を曲げるという方法。これだと平面で処理できる。最終的には職人的勘(?)に頼ることになるんですが、何とかできました。
さてそのピアノ線、今は首都圏の業者から取り寄せている。数年前までは、地元・緑区の業者に赴き、直接購入していた。おそらく付近の工場へ納入する会社だと思うが、快く分けてくださっていた。(2o以下の細いモノは、鳴海駅近くの模型屋で買うこともあった)が、何かの理由で営業を止めてしまった。という訳で通販に頼ることになるのだが…数年前「スイミー」仕込み時のPC検索では、必要とする径2oがなかなか見つからない。製造元の工場へ問合わせると「出来上がりはロール状で保管している。直線に伸ばして切断するのに経費がかかる。少量では厳しい価格になるよ」とのこと。…その時はハンズアネックス(中区栄)で60p長のモノを必要ギリ確保して乗り越えた。(…その後、今の購入先をどう見つけたか?不明だが、良かった!)
針金とは異なって鋼鉄製のため、ペンチで切断できるのは径1oチョットまで。それ以上の太さになると、ワイヤーカッターを使う。劇団には数種類のカッターがあり、太さによって使い分けているが、3oにもなるとかなり難しい。最近は電動糸鋸の下で休眠中の超大型カッター。これだと3oもOKなのに、形状が不思議だからか(?)使われることが少なくなった。(電動ディスクグラインダーでの切断が主流かな?)因みに、この超大型、その昔は「閻魔大王」と呼ばれていた。・・・次回は、ピアノ線にまつわる思い出ばなし。
posted by むすび座メンバー at 17:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする