2025年04月25日

ウサジイの公演日記#1130

【ウサジイ昔ばなし】〈135〉・・・演技4
3人班が基本なんです、むすび座は。創立者曰く「三人からが集団」、つまりアンサンブルとしての形はそれ以上で成立するという訳です。なので(創立直後を除き)長年二人班はなかった。できたのは2000年頃、お母さん班を作った時。子育てしながら舞台に立つために、3名が2人班をローテーションで回してゆく形で。これはその後、数年続きました。その経験を引き継いで、ベテラン2人が4年ほど活動した。それに続いたのがジイ達=おさんぽ劇場。…あ、この件に関しては、また別の機会に。
で、二人班での公演活動に入ったジイ。メンバーCちゃんは年齢はそこそこ離れていますが、劇団歴の差は4年。入団後しばらくは役者〜子育て時に制作部+脚本を書いていた多才な人物。ジイとしては、オチオチ胡坐をかいている訳にはゆかない状況…というか…むしろスタンスの一致を感じる。子どもに対する・演技に対する感覚に一致が多い。なかなかに心地よいステージを過ごせた。その中ででで「芝居とは・演技とはどうあるべきか?」が進化できたような気がする。旨く言えないのだが、作品創造の段階で&日々の上演の中で実験と検証を繰り返してきたような感じです。
「ぶんぶく茶がま」=和尚のいい加減な演技・「ゆいとケンムン」=オバア人形の皮膚感覚を実感する・「ヤンチャメッチャブー」=超即興性・「カミナリカレー」=何もしない時間を楽しむ・「ともだちや」=人形を振り回す演技もOK…等々。新しいお芝居に出会う度に、何かしら新しい演技の在り様を見つけてきた気がする。・・・そのうち、他班の作品を観たり、他劇団のお芝居に触れたりするうちに、チョット過激に云うと「人形なんてあれば良い」=良き人形に越したことはないが、要は演技だ。更には「演技は二の次、人間性・役者の思想が重要」なんて考えるようにもなる。絵画においてデッサンの力量は必要だが、それが上手いだけではそれ以上には進まない…と思うのです。
そんなことを思う頃に出会った言葉…「演劇というアートの素材である俳優は、虚構の空間に確乎として存在するのが役目です。俳優は、存在できないと説明の演技に頼ることになります。脚本の内容や人物を説明するための演技は、演劇の魅力を半減させてしまいます」
posted by むすび座メンバー at 21:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月20日

ウサジイの公演日記#1129

「冬ソナ」韓国・春川と姉妹都市の岐阜県・各務原市で「ももん&カミナリ」の公演。主催は、子ども食堂などに取組んでいる社団法人。共催の子ども劇場メンバーが関りを持っている。そんな流れで実現したステージでした。会場作りや当日の流れは、劇場さんのベテラン勢と中高生が担ってくれた。けれども実は、ここも劇場運営が困難になっているらしい。こんなに元気な方々が沢山いるのに…色々と難しいことがあるのだろう。
ところで上演は、客席の反応が二重丸!取り分け女子・熟年層の笑い声が響いていた。「カミナリ」の(子どもにはチョット難しいかなぁ?)的な爺さんやカミナリ母さんの機微に的確に反応してくれる。例えば…ゴロちゃんに褒められ、思わず張り切ってしまう爺さん・有無を言わせずゴロちゃんを引っ張り上げる母さん・爺さんの「まったく喧しい親子だ」等々。ジイ達としては「してやったり」。おそらく長年舞台を観てこられた方々なんだろう、入り込み方を知ってるんですね。
3歳未満の子たちもチラホラ。「ももん」では相当に乗ってくれる。「カミナリ」になってもじっと観てるが、前列の女の子が舞台際までやって来ては、戻って行く。転換の音楽には体を揺らしているから、飽きてしまったのではなさそう。客席両端の係の方は少々心配されていたようだが、ジイ達にとっては嬉しい反応でした。あの位の子は、様々な距離・角度で観ていたいのだろうか?
posted by むすび座メンバー at 15:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月19日

ウサジイの公演日記#1128

【ウサジイ昔ばなし】〈134〉・・・演技3
30歳代は小学校公演班。新人から中堅、そしてベテラン側に差し掛かる時代。有難いことに、おやこ・子ども劇場公演も多く、地元の小学校公演と合わせると、現在の幼保公演並みの数をこなしていた。という訳で、とにかく走り続けた感がある。取り分け西遊記シリーズでは、先輩方の影え響が大きかったかなぁ。悟空役=その後、劇団を立ち上げたN氏・八戒役=その後、大型作品にこだわり…早逝されたU氏・そしてジイが悟浄。人間の本質はそう易々とは見えないが、チョット見は役柄通りの方々であった。(ただ共通点=大酒飲みは間違いない)N氏には卓越した操作術・台詞術を、U氏には作品に対する想いの深さを学んだ。そして、役者と云うモノはその人らしさが一番だと思えるようになれた。自分は自分らしくやってゆく。それがある面、一番だと教えてもらった先輩です。
40歳になるころ、幼保班に戻る。大規模班にも難しさはあるけれど、3人班は少人数なりの大変さもある。そしてジイは、教えてもらう立場ではなくなった…のかな?2〜3年でメンバーが変わったりするのだが、最初の3〜4グループではリーダーであった。そして必ず、新人がメンバーに加入する。ジイなりの演技観を伝えるに、相手の感覚を考慮しなくちゃならない。なかなか難しい作業なんだが、自らがもう一度考える良いチャンスでもあったような気がする。そんなこんなの時代が15年ほどあって、2人班が始まる。・・・もう一回
posted by むすび座メンバー at 18:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月14日

ウサジイの公演日記#1127

静岡県の中ほど、お茶畑の広がる牧之原市で「ともだちや」の劇場公演。実はこの作品、諸々の事情で昨年秋を以て終演の予定でした。が、これまた諸々の事情で上演が続くことになりました。その頃に旧知の方から連絡が入った「『ともだちや』ってまだできるの?秋までって書いてあるけど」丁度上演の延長が話し合われている時で、ありがたいことに公演が実現しました。
…で、旧知の方と云うのは、ジイの大学サークル時代の後輩である(知る人は知ってる)半農半芸の人形劇人…の奥さん。1980年代・ジイが「石の馬」でうかがって以来、大変お世話になっている。おやこ劇場の活動に尽力されているわけだが、多分に漏れず会員減少の傾向。けれども、その前向きな気持ちには、こちらが励まされるほど。この日の開演前の挨拶でも「今日、新入会が4名ありました。これで劇場の会員は30名になりました!」…そして会場からは大きな拍手。また、今年度は劇場の周年事業で、地元に所縁のあるパフォーマーの連続公演(年間5回)を企画。行政に助成金を申請しているが、下りなくてもやります!とのこと。
さて搬入時には3名程の方が手伝ってくださったのだが、お二人は車で小一時間かけて来たという。お住まいの地域にも劇場はあるのだが、この劇場の雰囲気が好きで会員になっているらしい。確かに、出会ってきた劇場さんにはそれぞれの色がある。どれが良いわけではなく、構成メンバーの雰囲気が反映されていて面白い。
posted by むすび座メンバー at 10:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月11日

ウサジイの公演日記#1126

【ウサジイ昔ばなし】〈133〉・・・演技2
「石の馬」の稽古。演出/関矢氏・照明/藤井氏・制作/丹下氏、に加えて音楽/熊谷氏、すべての方々が芝居創りに熱心であった。彼らが稽古の場にいると、ジイ達は戦々恐々。〈え〜と、この前この方に言われたのは何だったっけ?〉…各スタッフのダメ出しがそれぞれだったのです。よって、居合わせる方の意に沿う様に演じ分けることになる。具体的な…例えばどちらに動くべき等が、正反対だったりするわけです。でもね、やがて判ってくるのです。言わんとする本意は同じ所にある&それを具現化する道筋は無限にある…と云うことを。結局、実に自由奔放(?)なスタッフ各氏の言動は、若きジイ達を育ててくれたのです。
そんな30代を過ぎた頃、人形劇団京芸の辰巳氏を招聘しての学習会。確か人形操作などについてだったはず。講師席には劇団にあった様々な様式の人形が数体あり、まずはそれらを遣っていただきました。すると実に嬉しそうに人形を撫でまわし、あれこれと試した後に演じてくださいました。〈人形が大好きなんだなぁ。上手く操作しようなんて云うんじゃなくて、遣ってるのが嬉しいんだなぁ〉そんな風に感じた。演技に向き合うあり様のひとつを、改めて感じた時でした。…今も覚えている質疑応答=「会話している人形の横にいた場合、どのような演技をすべきですか?」「そりゃあんた、聞いてたら良いんやないかなぁ」…人形だから特別ではない、人形がそこで生きていれば良い。何も特別なコトをする訳ではない。当り前ですが、「ん〜」と唸らされるお答えでした。
posted by むすび座メンバー at 19:32| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年04月07日

ウサジイの公演日記#1125

【ウサジイ昔ばなし】〈132〉・・・演技
今年度の劇団総会にて「劇団の未来について大いに語る」コーナーがあった。現状に関しての問題点・改善策などが出されたが、個人的な入団動機・劇団に寄せる気持ちなどの発言もあった。ジイも話しているうちに、(興がのってか?)自己の演技論を声高に述べることになってしまったりした。・・・という訳で、44年に及ぶ劇団生活の中での演技に関する気持ちを書いてみる。
そもそも制作者希望での入団であったが、とにかくまずは舞台に立てと幼児作品班に配属された。当時は幼保2班体制で、毎年の新作創り。一本目は班員の集団創造、二本目は創立者・丹下進氏演出が多かった。大学サークルで演じていたとはいえ、ほぼ0からの出発。演出の指示を理解し演じられるようなレベルではなかった。2年目「だぶだぶ」の稽古、主人公の母親役の台詞が上手くゆかない。自身が演者でもある丹下氏の中には、恐らく明確な演技プランがあったのであろう。同じ場面を20回以上も繰り返し稽古するうち、何だか情けなくなり涙がにじみ出る始末。
そうこうしながら、それでも少しは技術の向上もあり、入団5年目に小学校公演班に異動することになる。一年前に仕込んだ「石の馬」、作品途中からの参加は初めての経験。どの役を演じるかは決まっていなかったが、とにかく半年前からはチャンスがあっても観ないことにした。前任者の演技に影響されるのが恐かったんです。演出は、その後10年ほどの付き合いとなる関矢幸雄氏。1年目の「コンポン&ハンドマイム」、2年目の「ガリヴァー」の演出でもあったが、その頃は「新人」。チョットだけキャリアあっての付き合いとなる。・・・つづく
posted by むすび座メンバー at 17:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする