2025年02月26日

ウサジイの公演日記#1120

【ウサジイ昔ばなし】〈131〉・・・市井の劇団員
劇団は、かつて大根山にあった。付近には数軒の民家があり、かなり濃密な近所付き合いがあった。道路(名二環)新設の影響で「集落・大根山」は離散し、劇団は川添に来た。周囲は工場が多く、民家は遠く、近所付き合いは少ない。ジイ達は変わらず緑区に暮らしているが、「劇団がある」といった認識は薄い。関心のある方は知ってるが、そうでもない方には「どうでも良い事」なんです。…そんな劇団員の旅先での話。
鹿児島県子ども芸術祭典の「コンポン」奄美コース・2010年代中盤:喜界島からフェリーに乗り鹿児島港へ帰って来た。タラップを降りる頃に、同乗のご婦人に問いかけられる。「あのぅ、一週間ほど前に徳之島に居ませんでしたか?」「はい、居ましたが…」話を聞くと、徳之島二日目・亀津のスーパーで昼食をゲットしたあと歩いている姿を目撃されたらしい。島にしては奇抜な服装をしていた為、覚えていたとのこと。(そのシーズンは、アシンメトリーな色と形のトレーナーを着ていました)…しかも、その方は名古屋からの観光中で、少し前にジイが入った日進市の和食処のオーナー夫人だったんです!
ジイ30歳代の子ども劇場「悟空」北海道コース・1980年代後半:その頃は、北海道だけでも2〜3週間のツアーがあった。(東北から青函フェリーで函館も)…で、オホーツク側を南下し網走での公演に向かう途中。多分道の駅的なところだったと思う、突然話しかけられた。「すみません。昨日、稚内でたい焼きを食べていませんでしたか?」「あ、はい。食べてました、歩きながら」稚内南東の猿払村だけでも100qほどあるから、恐らく稚内からは200〜300q離れた場所での会話です。「北海道は広いなぁ」と思うとともに、「北海道、人が少ないから目立つなぁ」と思うヒトコマでした。
あと…「石の馬」の頃、島原市のホールに車を置いて昼食に向かうメンバー。交差点に差し掛かり信号待ち。すると道行く方から「少々道を尋ねたいんですが…」ジイ達は少々貧相な格好だったと思いますが、普段着らしさが地元民と思われたのでしょうか?たまたま知っている場所だったので、教えて差し上げました。
posted by むすび座メンバー at 18:14| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月18日

ウサジイの公演日記#1119

【ウサジイ昔ばなし】〈130〉・・・初の初演
最近ジイは、在団45年目に入った。入団した時分には、その後どの様な劇団活動をするか?など考えるべくもなかった。有難いことに、ジイの立ち位置や劇団の状況により、65歳定年後も4年間舞台に立てている。(定年はジイが運営委員長時代に、2代目代表の寛ちゃんの要望で決定した)さて、入団前後の話はしたが、直後の話をしましょう。
1月末に入団した直後は、「こぎつねコンとこだぬきポン」の舞台(テーブルケコミ)づくり。当時の幼保2班が合同で、「名古屋市子どものための巡回劇場」のために仕込んだ作品。テンヤワンヤで創ったため、オフィス用の長机代用で上演していた。それを上面を傾斜させた(専門用語では「八百屋」)組み立て式にせよ!との命が下る。何の指導もなく「作れ!」と言われる。…とにかく考え考え、ノミでホゾを穿ち…何とか一週間で作り上げた。今考えると、かなり稚拙な作りであった。
そんな日々、公演班が帰ってくると「むすび座ミュージカル」の稽古が始まる。2ヶ月後に上演する企画なのだ。ギリセーフの入団タイミングで「お前も舞台に立て」と言われる。夕食後、7時頃からイレギュラーな公演を目指しての稽古が始まるのでした。この企画、劇団の作品音楽を一手に引き受けてくださっていたK氏の発案。当時のスタッフ陣は、どの方も自分の劇団の様に思っていたようです。…で3月下旬、今はなき名演小劇場において「むすび座ミュージカル・まずはパートワン」の上演と相成りました。(パート2はありませんでした)因みにこの公演の当日パンフレット、半分はジイが作りました。ま、みんな数歳しか違わない仲間だったから。
そして劇団レパ作品の初演は・・・「友達になれるかな」作・演出/イレーシュ・アティラと、「三匹のこぶた」作・演出/丹下進、音楽/熊谷賢一。「友達」は動物たちが登場するオムニバス作品。ハンガリーの演劇大学卒であるアティラ氏の理論は、揺るぎないモノがあった。「雄鶏は茶色のマダラです。白はレグホンですから」…これは納得。「ウサギの目は青です。赤い目はありません」…そう?「ピンクは使いません。その色は、アメリカの色です」…これは、東ヨーロッパならではの考えでしょ。さて「三ぶた」は、脚本ナシ・丹下氏の口立てで稽古が始まる。立ち稽古が始まると「はい、そこで君は何て言うの?」「う〜ん、ちょっと違う。こんな風かなぁ」と筋が出来あがってゆく。なかなかにスリリングな仕込みでした。衣装もオーバーオールにバスケットシューズ。(オーバーオールはさすがに暑く、夏には普通のジーンズに変更)…そうそう、わらの家は初演直前まで決まらず、前日になって劇団玄関で「傘」を見た時に「これだ」と思った丹下氏。その傘に布を張り、わら模様を描きました。それから、例によっての徹夜稽古があってからの初演でした。
posted by むすび座メンバー at 20:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月17日

ウサジイの公演日記#1118

「ももん&カミナリ」は埼玉県志木おやこ劇場さんへ。新東名〜東名を走り、3時間ほどで海老名SAと順調。が、やはり首都高渋谷線は車が多く、止まったり動いたり…。大橋JCTで中央環状線に乗り換え北上。これまたかなりの混雑。板橋JCTで池袋線に乗り換え、ホッと一息の行程でした。外環状線・和光北で下り、〈昔からあるんだろうなぁ〉と思える曲がりくねった道を走る。で、予想通り5時間ほどで宿に到着。その日の夕食は、元劇団員のTさんとご一緒。隣町に住んでいて今回の劇場さんの会員なのだが、明日は本人に公演が入っており観られない…って訳で食事会。(そう、退団後も演劇活動に関わっているのです)
さて翌日、出会った劇場の皆さんはとっても元気。仕込み終わり〜打合せにも20人ほどが集まり、賑やかに進む。会員さんは60〜70人らしいが一般の方に呼びかけ、どうやら100人ほどの集客らしい。すると初めての方が多いわけで、どんな風に観て頂けるか?心配でもある。でなくとも、ホームグラウンド=幼保公演に比べて、劇場公演は緊張感がある。でも、緊張していては客席に伝わってしまう。「フツウ」であるようコントロール!ベルを鳴らしながらの開演…「何?」って顔と、笑いそうな顔が半々という所だろうか。ももんが登場すると会場はすっかり温まる。人形の力はスゴイ!
公演後には昼食交流会。絵本「ももん」人気で選んだが、「カミナリ」に心を揺らしてくださった方が多い…嬉しい。中には「2歳なんですが、カミナリカレーの方に集中していました」といった声も。(最近、保育士さんからも同じような話があり、解明したい件である)それから「この作品は3回目なんですが、子どもの成長によって観方が変化してるような気がする」…最初は5年前らしいから、確かに変わるんでしょうね。
ところで、開演直前に会場内でジイの名を呼ぶ者がいた、しかも愛称で。え?知合い?…記憶をたどると…あぁ知ってる。何度か会ったことのある方でした。最初は30年以上も前の西遊記シリーズだったんじゃないだろうか。その後もこの地域で何度か見て頂いたはず。嬉しい再会でした。
posted by むすび座メンバー at 11:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月12日

ウサジイの公演日記#1117

演劇が子どもの発達に良い影響をもたらす…学術的にも是とされている話ですが・・・。その日のお芝居が、その子の成長に確かな足跡を残した例に、何度か出会っています。でもそれは、ジイの長い公演生活でも何年かに一回。けれど最近もそんなことがあり、それはジイ達にフィードバックされて、幸せな気分にさせてもらっています。
東濃・土岐市のこども園で「ももん&カミナリ」の日。先生との上演打合せでは「入場が不安・人見知りの子は、予め下見して役者と触れ合ってください」と伝えている。すると衣装替えをした頃に、会場の前に先生と男の子の姿が見える。引き戸を開けて入ろうとしたが、直ぐに廊下に戻ってしまう。初めてのジイ達は警戒すべき存在なのだろう。おさんぽメンバーのCちゃんが「ワンワン」を取り出して見せる。(ワンワン=ウェルカム人形…註・参照)すると急に警戒心を解き、小躍りするように会場に入ってくる。そしてワンワンに近づいたり逃げたり。やがて先生が保育室に帰るよう促すが、そうはゆかない。Cちゃんのワンワンがエスコートして帰って行った。
さて上演。皆が一堂に会する催しには一度も来れなかった彼。上演が始まる頃には会場前に居り、自ら入って来てくれた。「ももん」は完璧に観劇。「カミナリ」は途中、出たり入ったりだったが、恐らく6〜7割は観られたんじゃないだろうか。…そして終演後、先生から感動の報告があった。言葉が遅れている彼。今まで園では「いや!」しか言えなかった。しかしこの日、初めて「はい!」と言ったらしい。先生は「おうむ返し的に言ったんです」「周りの先生もビックリ!」だという。想像するに「ももん」終盤・抱っこされて「た〜たん」と言うももんに「は〜い」と応えた場面じゃないかと思う。・・・なぜ彼がそこで言葉を発したのか?不明だが、何かしら感じるモノがあったのでしょう。先生「お帰りの時に、お母さんに伝えます」と嬉しそうでした。
※註:ウェルカム人形=観客入場時に、時々パフォーマンスする人形など。「ケンムン」ではロボット君、「コンポン」では松ぼっくり三兄弟、「ぐるんぱ」ではコロコロ(円筒形のオブジェ)でした。
posted by むすび座メンバー at 17:53| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月10日

ウサジイの公演日記#1116

【ウサジイ昔ばなし】〈129〉・・・雪(補遺)
雪道を走って公演に向かった車中での会話から思い出して・・・最近は雪道に出会わない年もあったりするが、数十年前には年に何度か降雪の日があった。今は心配な時期にスタッドレスタイヤに履き替える。が、その頃はチェーンを乗せてはいるものの、タイヤ交換は貧乏劇団には高嶺の花。11月下旬になると、各班ごとにチェーン装着訓練が行われた。公演地に向かう行程での素早い装着には、複数人の協力が必要。取り分け新人には念入りに教え込まれた。
それから走行テクニックも伝授。ローギアは馬力があり過ぎ、雪道では発進時に空転することがある。セカンド発進、トラックは場合によってはサード発進もあった。急ブレーキが何をもたらすか?公演からの帰り道、広い駐車場でやって見せる。当然後輪が横滑りするのだが、それを感じられるかが重要。タイヤの回転状況を実感できないと危険。…その意味もあって、ジイは長らくМT車にこだわっていた。(AT車・ノーマルタイヤの雪道は恐かったのです)
年に何度か装着することのあったチェーン。2tロングのトラックに巻くのは大変でした。しかも雪が少ないと直ぐに切れる。後輪ダブルタイヤの内側に落ちると取りにくくなる為、多少の雪では装着しない。ワゴン車は平地では、10分もあれば余裕。が、一度奥三河で大変な目に合った。峠に差しかかると、先を走っていたコンビニ配送トラックが引き返してきた。(これは厳しそう)と路肩でチェーンを着けだした。ところが坂道で、しかも凍結している為、ジイ自体が滑って車から離れてしまう。やむなく遠回りのルートを選択した…はずです。
posted by むすび座メンバー at 18:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月07日

ぶぶふぉと・・・多治見

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今年はないかな〜って
思ってたのに…

※ 多治見市・姫保育園庭にて
posted by むすび座メンバー at 17:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2025年02月06日

ウサジイの公演日記#1115

【ウサジイ昔ばなし】〈128〉・・・ジイの始まり
入団前後のことは話した。ので、もう少し遡って、この役者が出来あがるソモソモを話します。おやこ・子ども劇場さんの交流会等で「何故、劇団に入ったんですか?」と聞かれる。これには「そもそも教師になるべく大学に入った。教壇で表現できるよう人形劇サークルに入った。のに、様々な理由で授業をサボり、卒業できなくなった。で、劇団に流れ着いた」と答える。これはこれで、間違いない。が、人生にはかなり込み入った事情が絡み合っている。
上記人形劇サークルの件は、先に勧誘されていたような気もする。小中学校通して演劇は好きだったので、スルリと入ってしまったのか? 卒業できなくなったわけは、第一には生来の怠け癖。「ま、良いか」の連続が不登校を生み出したのでしょう。あとは、残り火のような学生運動的なモノ…学寮に入り、そこの自治会活動の担い手として、様々飛び回っていた。(数年前にメールで写真を頂いた。学芸自治会(教育学部)の先輩と、国会議員交渉へ行った時のモノ)それから勿論、サークルでの活動。今はなき人形劇団つくしは、多い時は年間50を超えるステージをこなしていた。クリスマス時期には、二手に分かれて土日公演をしていたかと…。・・・なわけで、3年目を迎える頃には卒業が怪しくなり…5年半の間ウダウダとキャンパスに居ったのです。
そんなジイに様々な刺激がありました。(どれも3年生以降だと思いますが)*津子ども劇場さんがプークさんの「バヤヤ王子」を取り組むとて、人形作り講習会を企画。そこに行き、星野毅さんの教えを頂きました。*同じくプークさんの「ゆき」を実行委員会形式で上演する際に、実働部隊に参加。(あなたは学生だから赤字でも関係なし、と言われて)なお現地制作者は松本久さんでした。*映画「同胞」を大学祭で上映。地域に文化を届けるオルガナイザーに魅力を感じた。…等々。サークル員としては3年生で第4回三重県人形劇フェスの実行委員長。鈴鹿や松阪の短大サークルに参加要請に行きました。(三重のフェスを大きくし、愛知に対抗したいという野望アリ)4年生は本来引退するのだが、友人I君と小班を作って上演を続けた。サークル本体から10万円を借りて舞台を作り、公演で稼いで返した。
ナンテやってるうちに二進も三進も行かなくなり、半分ほどプロ志向が芽生える。取り合えず実情を知ろうと、まずプークに行く。対応してくれたのは、最近亡くなられたKoさん。上階の団員サロンで話すと「ん〜、君はプーク向きではないかもしれないねぇ」 次に行ったのは京芸。大学の後輩が入団したばかりで、忘年会にお邪魔した。(それが縁で、劇場ツアーの搬入バイトをさせてもらった) むすび座は以前から知り合いではあったが、事務所・稽古場に行くのは初めて。ところがいきなり「飲も!今日は泊まってけ!」と3人の先輩に拉致され、その夜は泥酔状態。そんな流れで、ここに流れ着いたという訳です。人生って詰まるところ「偶然の産物」だったりする。
なお、入団時の志望は「制作者」志望。サークル仲間に比して役者力は足りないと思っていたし、地域に切り込む活動に魅力を感じていた。が、当時は先ずは役者、その後ゆっくり考えましょう的な環境で…そうこうするうち、ズ〜ッと舞台に立っている。これまた「たまたま」なのですねぇ。
posted by むすび座メンバー at 17:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする