【ウサジイ昔ばなし】〈125〉・・・通信手段
最近、郵便料金値上げのお知らせが来た。昨今の状況から致し方ないかと思うが、これで更に手紙離れが進みそうだ。・・・などと考えるうち、旅公演先からの通信に思いが広がった。ジイが長い旅公演生活に入るのは、1980年代半ば。その頃は「一ヵ月出て一週間帰る」の繰り返しもあった。そんな中、後にパートナーとなる者との通信は「手紙」。もちろん電話(但し公衆)はあったが、高い!低収入の劇団員にとって、そうそう長電話をするわけにもゆかない。…で、手紙。多い時には週2くらいで。(…今更ですから、ノロケではナシ)それが当り前の環境だったんです。
やがて公衆電話代が工面できる状況が来る。初めからテレフォンカードがあった時代なのか?いずれにしても、やや淋しい地域では、¥100専用もあり、いかに¥100を使い切って電話を切るかに腐心した。カードではその心配はないが、話が途切れると残数の減りが早まるような気がした。当時の使用済み¥1,000カードの束は、押し入れの隅に…。
因みに当時、劇団外部の演出家・S氏との連絡には班責任者管理のカード、劇団の預金からの引落しシステムがあった。それから、劇団の機関紙「むすび」への投稿も、メール環境がなかった時代はFAX。宿のモノを借りられればいいが、不可な場合は電電公社(現NTT)に行ってお願いした。
2000年頃になると携帯電話が普及してくる。頑固者のジイは「反携帯!」だったが、奄美諸島ツアーに際して加入。公衆電話の所在が心配だったこともある。家族との通信は無料になり、¥の心配は減る。が、何時でも繋がると云うことは、呑んだくれて寝てしまったりはイエローカード。その後、SNSの普及に伴い、某ラ**に頼ることになる。確かに便利ではあります。が…
2024年08月29日
2024年08月27日
2024年08月25日
ウサジイの公演日記#1087
「ぐるんぱのようちえん」終演間近につき、美術スタッフを公演先に招いて観ていただく。本来ならばもう少し上演が続くはずであったが、著作権上の不具合で終演となった。というのは…作者が亡くなられ、権利をどなたが継承するか決めかねているため、間に立つ出版社もなす術がないとの事。原作をお借りしての創造では、様々なケースで上演の継続困難になることがある。…とは言え、当日・安城市の公民館公演は上々の内に終える。その後「お疲れさん」的に昼食会。どこが良かろうかと考えるうち、ふと思い出した店・市内の某うどん店へと向かう。店内に入ると「あ〜、うんうん、こんな風だった」と思い出しながら、ミニうどん&丼ランチを注文。店主こだわりのうどんは、注文してから茹でに入るため、15分以上は待つ。が、その甲斐はあるのではないかな?
食事を済ませ会計時に「あのぅ…Tさんでしょうか?」恐る恐る尋ねると「ハイ!」「え〜、以前ここで人形劇をさせて頂いた‥」「あ〜!」「むすび座の」「やっぱり!どこかで会ったような気がしてたの」店を出るはずが、コーヒーのサービスを受け、昔ばなしが十数分。(営業の方は大丈夫なのだろうか?)・・・実は12年ほども前になるかな?Tさんから劇団へ、突然の問合せ「地域の子達に観せたいが予算が少ない。会場はうどん屋で狭い」全てにおいてマイナス状況。が、これを聞きつけた(まだ若かった)おさんぽ劇場=安城市の公演は少ないのだから、足掛かりになるかもしれないと、企画書を劇団運営委員会に提出しOKをもらったのです。打合せに行くと、予算はともかく実に邪魔な所に梁があったりで悩んだ。お芝居の段取り等を変え、冷や汗タラタラで上演した記憶が残っています・・・そんな昔なのに、Tさんはしっかりと覚えていてくれ、嬉しそうに話してくれた。「あの時の子ども達は、もう高校生。でも良かったわ〜あの時観せられて」長い劇団人生のヒトコマですが、出会った一人一人にとっては、たった一回の出来事だったりする。「有難いなぁ」を感じた日でした。
食事を済ませ会計時に「あのぅ…Tさんでしょうか?」恐る恐る尋ねると「ハイ!」「え〜、以前ここで人形劇をさせて頂いた‥」「あ〜!」「むすび座の」「やっぱり!どこかで会ったような気がしてたの」店を出るはずが、コーヒーのサービスを受け、昔ばなしが十数分。(営業の方は大丈夫なのだろうか?)・・・実は12年ほども前になるかな?Tさんから劇団へ、突然の問合せ「地域の子達に観せたいが予算が少ない。会場はうどん屋で狭い」全てにおいてマイナス状況。が、これを聞きつけた(まだ若かった)おさんぽ劇場=安城市の公演は少ないのだから、足掛かりになるかもしれないと、企画書を劇団運営委員会に提出しOKをもらったのです。打合せに行くと、予算はともかく実に邪魔な所に梁があったりで悩んだ。お芝居の段取り等を変え、冷や汗タラタラで上演した記憶が残っています・・・そんな昔なのに、Tさんはしっかりと覚えていてくれ、嬉しそうに話してくれた。「あの時の子ども達は、もう高校生。でも良かったわ〜あの時観せられて」長い劇団人生のヒトコマですが、出会った一人一人にとっては、たった一回の出来事だったりする。「有難いなぁ」を感じた日でした。
2024年08月01日
ウサジイの公演日記#1086
【長崎祭典】D
島での公演を終え、佐世保に帰る。長崎へは、長い劇団歴でも初めての西彼杵を通るルートで。R205〜202〜206、西海橋を渡る辺りの海は、穏やかな顔をしている。北隣の時津町辺りから、両脇に店舗が増えてくる。やや峠を越える感じで長崎市へ入り、平和公園の浦里〜駅〜出島手前の大波止で宿入り。島めぐりの後だったので、都会!日が暮れても灯がアチコチに…都会だ!人間の感覚は環境に左右されるんですねぇ。
翌日、ツアー最後の長崎市・2ステージ。長崎市の子ども劇場さんの中の、数ブロックで実行委員会を作っての企画。学童保育の子達が客席の大部分を占めている。学童の子達は気を許すと狂暴に(失礼)なるので、様子を見ながら迎えるジイ達。始まる前はゴロゴロしたり、バトルがあったり。しかし始まれば、ちゃ〜んと観てました。後からスタッフさんに聞いた話=再終盤にはチョットだれていた高学年、オオカミさんが悩みながら手紙を書き始めると、みんな背を正し舞台に注目した。…無言の行為に気付く彼らに拍手です。
祭典の最後は、参加劇団が集結しての「まとめ会」…その前に午前の人形劇団京芸さんのステージを観に行く。劇場例会に数多く取り上げられている作品で、興味津々。(⇒面白い感覚の作品だった、ジイとしては好きだなぁ)まとめ会は4劇団+県連絡会・地域窓口の役員さんが集まり、今回の特筆すべきステージの報告・問題とされる件などを出し合う。来年は第30回とのこと、より良き祭典になることを願う。
島での公演を終え、佐世保に帰る。長崎へは、長い劇団歴でも初めての西彼杵を通るルートで。R205〜202〜206、西海橋を渡る辺りの海は、穏やかな顔をしている。北隣の時津町辺りから、両脇に店舗が増えてくる。やや峠を越える感じで長崎市へ入り、平和公園の浦里〜駅〜出島手前の大波止で宿入り。島めぐりの後だったので、都会!日が暮れても灯がアチコチに…都会だ!人間の感覚は環境に左右されるんですねぇ。
翌日、ツアー最後の長崎市・2ステージ。長崎市の子ども劇場さんの中の、数ブロックで実行委員会を作っての企画。学童保育の子達が客席の大部分を占めている。学童の子達は気を許すと狂暴に(失礼)なるので、様子を見ながら迎えるジイ達。始まる前はゴロゴロしたり、バトルがあったり。しかし始まれば、ちゃ〜んと観てました。後からスタッフさんに聞いた話=再終盤にはチョットだれていた高学年、オオカミさんが悩みながら手紙を書き始めると、みんな背を正し舞台に注目した。…無言の行為に気付く彼らに拍手です。
祭典の最後は、参加劇団が集結しての「まとめ会」…その前に午前の人形劇団京芸さんのステージを観に行く。劇場例会に数多く取り上げられている作品で、興味津々。(⇒面白い感覚の作品だった、ジイとしては好きだなぁ)まとめ会は4劇団+県連絡会・地域窓口の役員さんが集まり、今回の特筆すべきステージの報告・問題とされる件などを出し合う。来年は第30回とのこと、より良き祭典になることを願う。