2024年03月31日

ウサジイの公演日記#1056

【ウサジイ昔ばなし】〈119〉・・・飛行機
公演地への移動で航空機のお世話になることはまずない。上演のための舞台装置・人形と共にの移動が基本だから…。が、様々な理由で機上の人となることもある。その筆頭は海外公演。近年、大型作品が韓国へ行った時は、荷物をコンテナに積み込んで福岡〜釜山フェリーで運んだ。ジイの場合は小型作品なので、大きなモノをコンパクトになるよう工夫して手荷物にする。初回・2002年・春川フェスの時には、長い支柱を半分に切り現地でジョイントする工夫をした。(海外公演編と重複記載かな?)この時は復路で、人形の機内持ち込みに関してスッタモンダ!激しく怒る日本人に根負けしたか(?)特例でOKしてもらった。この時以来、気持ちがあれば言葉は通じると信じている。
※1990年代前半「西遊記」フィーバーの頃には、少しでも役者を休めようと、新人が車両の移動にやって来ることがあった。で、役者は公共交通機関での移動。最短の飛行機は、(記憶が確かなら)福岡〜愛媛!あまりの短距離ゆえ、上昇が終わると程なく下降。シートベルトを外す期間がなかったような…。 ※2000年頃「ケロすけ」は奄美諸島へ。九州での公演後、鹿児島港から車両を無人航送し、ジイ達は空路大島へ。鹿児島に不案内だったジイ達、港から空港への交通手段がよく分からない。港のおばちゃんに聞き、取り合えず「白タク」=おじさんの軽トラで西鹿児島駅〜空港へ。島々を渡り、与論からの帰りも無人航送に任せて、プロペラ機で鹿児島溝辺空港まで帰りました。タラップで乗る、通路の両側に2席づつの小さな機体でした。 ※2005年頃「101ちゃん」の北海道公演・釧路〜「ゴリゴリ」船橋公演という売れっ子ツアー。釧路港でフェリーに車を乗せ、役者は一日休日。翌日空路・釧路〜羽田。この時のジイの服装は、短パン・アロハシャツ・サングラスで、音響機材を入れたジュラルミン風のトランクを持つという、どう見ても怪しいヤツ。しかし、お咎めなし…警備のプロには判るんでしょうか。羽田からはタクシーで有明ふ頭、船橋のホテルに着くと、名古屋から「ゴリゴリ」の道具・人形を積んだ車がやって来て交換。翌日、おやこ劇場さんに確保してもらった場所で戻し稽古をして公演を迎えました。
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2024年03月24日

ウサジイの公演日記#1055

人形劇の上演会場の広さは様々:劇団では舞台にパンチカーペットを敷く。幼児作品3人班の基本は、間口3間・奥行き2間(=540p×360p)これにホリ幕裏や袖幕に道具を置く場所を確保するので、もう少し広いとありがたい。ジイ所属のおさんぽ劇場は、2人班ゆえ設立時から狭小園を見込んでおり、間口2間4尺のパンチ1枚+奥行き1m程(=480p×250〜280p)で作品を創ってきた。会場に余裕がある場合には、もう少し広めに舞台を設営する。が昨今の新設園は遊戯室がなく、保育室を転用している所も少なくない。そんな園では年長クラスの子たちが別の部屋に避難するか、お散歩に出かけている間に舞台を設営する。…時々、先生が駆け込んできて、バック幕の裏から子どもの帽子を取り出したりする。
しかし稀に、想定外に狭い会場に遭遇する。A保育園:数年前のこと、問合せがあり下見に行く。お得意先の姉妹園ゆえ、「できますか?」の問いに「やります!」(出来ますではない)その時の作品は「ぶんぶく&マリーちゃん」蹴込みの間口が第一のネック⇒2つの蹴込みを一直線ではなく、やや曲げて解決した。袖中の道具類は、隣の乳児さんクラスを少々お借りして置かせてもらった。にしても客席はぎっしりで、後ろの引き戸の向こうからも乳児さんが観ていた。もちろん照明設備はカット。
M保育園:最近、2度目「ももん&カミナリ」でうかがった園。1回目「ぐるんぱ」は袖幕なしなので、セッティングされた道具類等はみえみえ。主人公・ぐるんぱを見送った仲間の象たちは、横の棚に終演まで飾られていた。まぁ、見守っているって感じで良かったんですが…。しかし今年は袖幕あり。会場の広さは2間×4間、通常の3人班の舞台だけの広さに近い。しかもエアコンや扇風機が飛び出している。…前日に劇団で、簡単なリハーサルをする。5カ所ほど困難な箇所を確認し、当日は早めに会場入り、場当たり稽古をする。人形の持ち方や間のとり方を変えれば何とかできそうだ。それより問題は、その園が未満児保育園。0〜2歳児(年度末の当日は、3歳になっている子も多い)しかいないのだ!カミナリの爺さん、冒頭はかなり抑え気味で怒る。が、1歳になったばかりの子も最後まで観てくれました。・・・あ〜、次は何をやるんだろう?あんなに狭いのに!
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2024年03月23日

ウサジイの公演日記#1054

一昨日は「世界人形劇の日」でした。(byウニマ=国際人形劇連盟)その前日は「国際児童青少年演劇の日」でした。(byアシテジ=国際児童青少年舞台芸術協会)…その日、おさんぽ劇場は兵庫県尼崎の子ども劇場さんへ。春分の日、祝日は東名阪道が混むと予想し早めに出る。が、行程は極めて順調、途中吹田SAで調整して会場入りする。仕込み終わる頃、話しかけてくる方がいる。「101ちゃんのウレタンキットで作った人形、まだ持っているんです」…ジイがこの前、尼崎に来た時の作品です。2005年前後だったと記憶している。しかもその方は、ジイのことを覚えていてくださった。スゴイ!(20年前なんて、若い方にはとんでもない昔なのにね)
さて開演、関西に来るとウケが気になる。が、兵庫はチョット違うのか?とても落ち着いた始まりでした。もちろんケラケラ笑う声は聞こえてくるが、羽目を外すことなく集中して観てくださいました。終演後は、舞台前での撮影会。ももんちゃん・ゴロちゃんなどが飾られた舞台を背景にスマホでパシャ!そんな中のお一人が声を掛けてくる。「むすび座さんて、名古屋で活動されてるんですよね?私、数年前まで稲沢で保育士してたんです」この日の公演は、子ども劇場さんと行政との協同した企画で、その方は会員さんではなかったけれど、これを機会に仲間になれるといいなぁ。なにしろ撮影後も去りがたく、ご家族4人でバラシ途中まで見学していたんです。
ところで当日は全国的に強風・雷雨の日でした。仕込み終わり頃から風雨が激しくなり、劇場事務局さんへ電話が入る。「え!電車が止まってる?うん、少しくらいなら開演遅らせるから」結局5分押しで開演はできたんですが…。で、4時過ぎに小雨の中を帰途に就く。名神高速に乗ると「伊勢湾岸道・川越〜東海・強風のため通行止め」の表示。東名阪で名古屋西へ向かえば大丈夫と走る。京都に入る頃、雨が白っぽくなりフロントに張り付く。チョット霙っぽくなったらしい。草津から新名神に入ると次第に白さが増し、甲賀土山辺りでは路面が薄っすら白くなってきた。それよりも「事故・名古屋西から渋滞25q」え?と云うことは四日市JCTからずっとか。2ルート両方がアウトだとすると相当な混雑になる。前方にハザードが見えたのは新四日市JCTの手前。慌てて東海環状道へ逃げ、東員ICで下りる。公演帰りで知っている裏的な道を選択するが、地元の方は当然そこを走る。国道1号に出たのが40分後。桑名市内は快調だったが、揖斐川の手前で大渋滞…4qに30分以上かかる始末。試しにネット検索すると、東名阪は混雑程度になっているらしい。長島ICから高速に戻り、8時半頃には帰宅できた。・・・うまく回避できたわけでも、超大変でもなく、中途半端なアクシデントでした。
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2024年03月19日

ウサジイの公演日記#1053

三重県木曽岬町のこども園で「ももん&カミナリ」の公演。木曽岬は木曽三川のこちら側にあるのに三重県だという、地勢的に妙な(失礼)自治体です。そもそも愛知・三重の県境は曖昧だったんです。ジイが入団した頃の地図(ビジネス愛知)では、明確な線が引かれていなかった。理由は判っていなかったが、この度その地に行って何となく解ったような気がしてます。…その辺りが「氾濫原」じゃなかったのかなぁ?木曽川の。洪水が起こるたびに土地の様子が変わってしまうので、ハッキリした線が引けなかったのでしょう。にしても、その日の風はすごかった!遮るものが何もない平地は、鈴鹿の山からの風の天下。荷物を積んでいる車のリアドア(ハッチバック)を上げて荷下ろしをしていると、横からの風圧でドアが上下する。道具を入れた箱も風を受け、持っているジイごと流される始末。
そんな木曽岬、実は40年余の劇団歴で初めて公演に行きました。そんなことに驚き、上演したことのない自治体(東海三県)を探してみました。…平成の大合併など以前、旧自治体で…三重県では伊勢市辺りまでで考えると、今では津市の美里町・美杉村。岐阜県の美濃地方は、西濃の垂井町・墨俣町・神戸町・池田町・柳津町、中濃の武儀町・上之保村、東濃は制覇しているようです。地元愛知でも、現豊田市の藤岡町・小原村、あと吉良町・御津町。ざっと数えてみました。まだまだ観て頂けていない地域があるものです。
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2024年03月17日

ウサジイの公演日記#1052

【ウサジイ昔ばなし】〈118〉・・・周年事業
劇団創立60周年を間近に控え、劇団総会で話し合うという。で、その前にレジェンド(?)達に以前の話を聞くらしい。ジイも爺だから、当然レジェンドの仲間です。という訳で以前の周年事業について記しておく。
ジイが入団した翌年が15周年でした。おそらく劇団の財政状況が安定してきた頃だった事もあってなのでしょう、記念誌を編集・出版し、記念公演も行いました。「15年のあゆみ」と「悟空誕生・西遊記一挙上演」です。記念誌を読み返すと、劇団がいかに多くの方々・団体と協同して活動してきたかがうかがわれる。児童演劇界と云うより、地域の文化全体との関りが多い。一挙上演の会場は、確か熱田の教育センター。午前に悟空誕生、仕込み直して午後には西遊記だったと記憶している。基本舞台は同じだが、90分作品の演目変えての上演は、今から考えると大変なコトだったはず。若かったんだなぁ…。(なお、10周年だったのか?創立9年目に「ドン・キホーテ」(大人向け?)を上演している。確か名古屋市民芸術祭に参加していたはず。この作品、学生のジイは今は無き名演小劇場で観ている。)
20周年には、記念誌的な「むすんでひらいて」を出版。この書籍は、劇団を中心として、東海地方の児童文化全体に言及するものとなっている。人形劇界では今は鬼籍の人…岐阜・野倉氏、三重・友永氏、静岡・宇佐美氏との対談も掲載。その他、おやこ子ども劇場や保育運動などの方の話も載っている。因みに編集出版を担ったのは、愛知書房。劇団創立者の盟友・田中(デンチュウ)氏が立ち上げた出版社です。
25周年は、ジイも出演した記念作品「名古屋心中」(これは公演日記#960にも掲載)当時の劇団代表丹下氏と人形劇団京芸の辰巳氏とで話が盛り上がり…いつの間にかやることになっていた…のかな?仕込み期間を6週間ほど確保してもらったが、初めて作る文楽人形に時間をとられ、肝心な稽古は新人中心。クライマックスである道行〜心中場面の稽古には、あまり時間をかけてもらえなかった気がする。芸術創造センターでの5ステージ、目標2,000名はほぼ達成したような…。和楽器5名編成が演技を応援してくれ、共演の良さを感じた公演でした。
その後30周年は、諸々の制約があったのか?過去の舞台写真で絵葉書を製作し、各所に配布した…のかな?発案は、故木村シゲさんだったはず。40周年は記念作品「金色仮面」…この頃からは、知る方も多いはず。そして50周年「チト」・・・さて、60周年。劇団も還暦となるわけです。劇団誕生を知る方も少なくなる頃となり、(記念事業に限らず)何をすれば良いのか?
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2024年03月14日

ウサジイの公演日記#1051

【ウサジイ昔ばなし】〈117〉・・・通信
通信と云うと、今ではSNS。しかし、その昔は…(まずは個人的な話)ジイの場合。40年ほど前、ジイ20代末は「石の馬」の公演で旅の空であることが多かった。その後に家族となる人との通信の第一は、ナント手紙でした。他に方法が無かったのだから仕方がない。いや、電話はあったが固定電話で、¥1,000のテレフォンカードがアッという間になくなってしまう。(そのカードは、長らく手元に保存されていた)電話での通信は贅沢であったのです。ま、おかげで当時の手紙は山ほど残っている。やがて携帯電話での通話に変わり、今ではSNS。何かしながら通信できるし、映像も送信できるわけで便利。が、こうやって振り返ると手紙の時代も懐かしい。
劇団とのやり取りも変わった。機関紙「むすび」の校正を任されていた頃、長い旅公演があると、連泊の宿に実物を送ってもらっていた。しばらくの後、PCにPÐFで送信してもらえることが判り、時間的にも手間の面でも楽になった。が、その昔、1990年前後にはそんな機材はないわけで…ある時、旅公演に出る前に「むすび」の原稿を依頼された。締め切りが近づいてから慌てて書いたものの、手紙で送っていては間に合わない。そうだ、ファックス!と思ったのに、宿にはFA]がない。近くのNTTに行き、そこでファックスをお借りしました。固定電話の時代、NTT(電電公社だったのかな?)には、まだ所員が大勢働いていたように記憶しています。
携帯電話といえば、今では公演先に遅れそうな時、走っている車中から連絡できる。が、それがない時代には、公衆電話しかない。三重県に向かう大雪の日、大渋滞!とても間に合わない。電話はどこに?あ、あった!100m先に。助手席から出て走り電話をかける。通話中に車は過ぎ去る。通話が終わり、車を追いかけて乗る。そんな時代でした。
posted by むすび座メンバー at 22:05| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年03月12日

ウサジイの公演日記#1050

「ももん&カミナリ」で、名古屋市内の保育園公演。なな…なんとこの日は、大学の教授が研究のために見学。だと云うのに客席は、1歳さんと2歳さんのみ!3歳以上の子たちは、秋に別作品を観劇しているのです。3歳未満の子だけで観るって言うのは、それはそれで良いことなんだが…。「カミナリカレー」までの55分を観るのは大変なコトでもある、子ども達・ジイ達双方にとって。てなことで、どうなるか?ドキドキの開場を迎えた。
開演時10分ほど前に、階段から「ガンバッレ〜」の声が聞こえてくる。1歳さんが、互いに励まし合って階段を上っているようだ。やがて会場の扉がガラガラと開く。すかさず「お迎えの音楽」をかける。最近、小さな子がいる場合には、音楽の中で迎えるようにしている。しかし、やはり1歳さんはやや緊張しているようだ。メンバーCちゃんがワンワンの人形を出動して相手を始める。しばらくの後、ジイはコロコロ(ガムテの芯で作った転がるオモチャ)を転がす。役者同志のコロコロやり取りの後、頃合いを見て保育士さんにコロコロ。先生が応じてくれると、次は大丈夫そうな子の元にコロコロ。その子が返してくれれば、もうこっちのモノ。次からは我先にとコロコロに群がる子たちなんです。そんな風にして開演を迎える。
この日は、いわゆる多動の子が一人。客席後方で走ったりしている。でも「ももんちゃん」もドンドコ走る…という訳で、ももんちゃんが音楽をバックに走り出すと、その子もドンドコ走る。それ以外はこちらを見ていないように思えるのだが、「カミナリ」では爺さんの台詞を繰り返していたらしい。観ていないようで、彼なりに観ているんですねぇ。それにしても、それを許している先生方に敬服です。
終演後、園長先生の挨拶…と思ったら、「私もカレーを食べようかな」。Cちゃんが作り物のカレーを渡し、食べる先生。すかさずジイがカミナリ(ペープサート)をビカビカ!と出す。先生「先生もピカピカしちゃった?」と子達に問う。その後「どう?面白かった?」と子達に聞くと、女の子・3歳(2歳児クラスはほとんど3歳)が「美味しかった!」・・・カレーのイメージが強かったのだろうか。有難い感想です。
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2024年03月07日

ウサジイの公演日記#1049

久しぶりに高速道路で大渋滞にはまった。劇団から三重県北部の保育園へ、約45分を見込んで出発。伊勢湾岸道の入口に「工事渋滞4q」とだけ表示されている。表示を見た時には既に引き返せない状況で、もちろん高速に乗る。と、直ぐに渋滞が始まり遅々として進まない。やがて「3q25分」とあり、公演先へ遅れる旨を連絡する。結局4qを40分もかかって通過。…当の工事は、3車線中2車線を封鎖、付近に何かの破片が散らばっていたから交通事故直後の緊急修復だったのだろう。25分遅れで到着したが、会場条件に恵まれて上演に遅延なし。
そんな日の公演「ぐるんぱのようちえん」での、ひとコマ…前列中央に陣取った年少さんの元気がいい。取り分けセンターの男の子は、最初から笑い転げている。ぐるんぱ冒頭・役者が状況説明をする場面。「ぐるんぱは独りぼっち」「いえいえ、そんなことはありません。森には…」と言いかけた途端「オオカミ!」ジイ達はしばし固まり「仲間の象たちが…」と続けるのですが、笑いをこらえるのが大変。中盤・靴屋さんの店先を飾ると「あ!髪の毛、切るとこ」どうやらハサミだけに目が行ったらしい。後半・自動車工場から車のエンジン音が聞こえてくると「バイク!」…これは、あながち間違ってはいませんでした。そして大団円・作られたモノを飾り「ぐるんぱは幼稚園をつくることにしました」これには「イェ〜イ」と拳を突き上げる。すると周りの年少さんも次々に「イェ〜イ!」…感謝感謝のジイ達でした。
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2024年03月04日

ウサジイの公演日記#1048

おさんぽ劇場「ももん&カミナリ」は鳥取県ツアー。名古屋を出て、湾岸道〜新名神(途中・名神)〜中国道〜米子道で、米子市。天気予報では夕方から大山付近は雪!幸い舞ってくる程度で済みましたが、大山の雄大な姿は雪雲に隠れて残念でした。着いた米子、信じられない程の寒さに驚くばかり。翌朝、宿の窓から見下ろす道路には、雪を積んだ車が走っている。朝食時にはお日様が出ていたのに、数十分後には猛烈な降雪!山陰、あなどれない。さて、米子での会場設営中、客席後方で子ども達が何やら作業をしている。興味津々で近づくと、割りばし鉄砲の工作キットを作っている。近々バザーの企画があり、そのための出品製作だそう。百均のモノを、実にうまく利用している。他にパンパイプのキットも作るそうだ。いや〜、ジイのお株をとられました。
上演直後は動いたために体ポカポカ。でも鳥取への移動中、どんどん寒くなってゆく。山陰道の路肩表示は3〜2〜1℃へと下がってゆく。しかも田園地帯は雪景色。やがて路肩にも雪が残るようになり、寒〜い鳥取へ到着。翌朝・宿の窓からの景色は残雪。会場入りの前に、鳥取砂丘の展望デッキへ。すると眼前には、稀有な(?)雪の砂丘が広がる。さて会場入り、搬入時のスタッフの多さ(10名超)にビックリ!予定では150名もの集客、最近では多いなぁと思いながら客席づくり。が…当日券が30超え、会員さんも10名以上増えたもよう。嬉しいことなのですが、想定外の集客に会場整理は大騒ぎ。走り回ってスペースを増やす。けれども、大人数の反応はさすがにスゴイ!ジイ達もノリノリでした。…「ももん」終盤で「家に帰りた〜い」って泣いてた女の子・2歳さん、「カミナリ」が始まると雰囲気の変化に応じたのか(?)じっと観てくれました。
posted by むすび座メンバー at 08:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする