名古屋市内の子ども園公演、「ももん&カミナリ」で…。比較的新設園なので、会場条件を心配しながら向かう。「園に送る作品パンフレットに、仕込み時間とか持ち込機材とか書いた紙を同封してるよね。上演スペースも書いといたほうが良いんじゃないかなぁ?」などと話しながら。実際、いわゆる遊戯室的な部屋がない所も多い。立地条件上仕方がないのだが、行って初めてわかると、演じ手も園側も困ることが多い。ところがこの日は、十分なスペースがあった。のだが・・・
玄関ホールを入ると、その先直ぐが上演会場。吹き抜けの広いホールがあって、その周りに保育室が並んでいる。幸い一面だけは窓ガラスで、そこを背にステージを仕込むことになる。搬入時刻は登園時刻、やって来る親子を避けながら荷物を運ぶ。仕込み始めると、当然子ども達の好奇心の的。取り分け2階からは完璧に見られながらの仕込みとなる。が、こちらが普通にやっていれば、そのうち飽きて遊びに行ってしまう。チョットだけ困った(?)のはトイレ。ステージ横に近い所に有るため、園庭で遊んでいた子がステージ横のドアから駆け込み、トイレを済ませた子はステージをかすめるように走り去る。照明機材の設置はギリギリまで保留した。
さて開演10分前から乳児さんのご来場。かなりビクついている子もいるが、おさんぽ劇場の対応グッズ=ワンワン人形・パクパク人形・コロコロ等が総出演。開演前に楽しい時間を過ごしていただきました。…っていうか、ジイ達が楽しかった!開演後も中々に賑やかな公演でしたが、久しぶりに聞けた声。爺さん登場後しばらくの後「あれ?お尻に何かついてる」・・・はいはい、それは操作棒なんですよ。ところでこの日は、卒園写真がらみでカメラマンさんが撮影するパターン。場合によっては、想像を絶する撮り方をする方もおり、要注意なんです。この日はギリギリセーフ。中々に大胆な方でしたが、お芝居の邪魔になる手前で去り…プロですねぇ。(かつて、ステージに入っての撮影や、演技エリア後方を横切る方もいたんです)
2023年10月30日
2023年10月23日
ウサジイの公演日記#1018
【ウサジイ昔ばなし】〈110〉・・・有料道路
(ひょっとして、記載がダブっていたらゴメンナサイ)いわゆる高速道路、ジイ入団の頃は今と比べかなり少なかった。東名・名神・中央は既にあったが、例えば伊勢道は久居ICまで。名古屋高速もわずかだった為、松阪行きの場合、R23を南下〜桑名IC〜久居IC〜R23南勢バイパスでした。その名古屋高速と言えば、大高〜高辻間のみだった。因みに通行料は¥350。やがて高辻から吹上まで延び、東名阪・名古屋西から白川までも開通する。その間は未開通なので、終点で下りる時に「乗継券」を貰って再び乗れば割安になる仕組みであった。その頃はETCが無かったため、多用する劇団では回数券を購入していた。100回券では1割程安くなるのだが、購入場所が限られ、星崎の名高速事務所か鳴海商工会の事務所に買いに行っていた。
今は無料となっている道路。豊川ICを南下した豊川橋は、渥美半島に向かう際には必須だった。¥150位だったかなぁ?今は23号バイパスの一部で、普通に通れる。もっと利用したのが、中津川ICから恵北(旧恵那郡北部地域)への木曽川に架かる橋の中津川道路。こちらも¥150〜200位?遠回りして旧橋を通れば無料なので、帰りはそちらに回った。高いわけではないが面倒だったし、料金所の職員の給与が賄われているのか?疑問に感じながら通っていた。
因みにジイ入団時には既に終わっていたが、R23の名古屋市高架部分も、その昔は有料だったらしい。「名四」と云えば、入団した頃は高架部分が全て3車線でした。(現在は2車線)…と云うことは、恐らく路側帯はほとんどなく、しかも車線がかなり狭かったはず。免許を取ったばかりのジイ、両側からトラックに挟まれ高速で走るのは超恐怖でした。
(ひょっとして、記載がダブっていたらゴメンナサイ)いわゆる高速道路、ジイ入団の頃は今と比べかなり少なかった。東名・名神・中央は既にあったが、例えば伊勢道は久居ICまで。名古屋高速もわずかだった為、松阪行きの場合、R23を南下〜桑名IC〜久居IC〜R23南勢バイパスでした。その名古屋高速と言えば、大高〜高辻間のみだった。因みに通行料は¥350。やがて高辻から吹上まで延び、東名阪・名古屋西から白川までも開通する。その間は未開通なので、終点で下りる時に「乗継券」を貰って再び乗れば割安になる仕組みであった。その頃はETCが無かったため、多用する劇団では回数券を購入していた。100回券では1割程安くなるのだが、購入場所が限られ、星崎の名高速事務所か鳴海商工会の事務所に買いに行っていた。
今は無料となっている道路。豊川ICを南下した豊川橋は、渥美半島に向かう際には必須だった。¥150位だったかなぁ?今は23号バイパスの一部で、普通に通れる。もっと利用したのが、中津川ICから恵北(旧恵那郡北部地域)への木曽川に架かる橋の中津川道路。こちらも¥150〜200位?遠回りして旧橋を通れば無料なので、帰りはそちらに回った。高いわけではないが面倒だったし、料金所の職員の給与が賄われているのか?疑問に感じながら通っていた。
因みにジイ入団時には既に終わっていたが、R23の名古屋市高架部分も、その昔は有料だったらしい。「名四」と云えば、入団した頃は高架部分が全て3車線でした。(現在は2車線)…と云うことは、恐らく路側帯はほとんどなく、しかも車線がかなり狭かったはず。免許を取ったばかりのジイ、両側からトラックに挟まれ高速で走るのは超恐怖でした。
2023年10月21日
ウサジイの公演日記#1017+
読み返しての反省。1017末尾に「雄々しく」の記載アリ。雄々しく=〇、女々しく=×なのか?と云う件です。ジイ自身、相当気に掛けているはずなのですが、こんなこともある。あえて編集せずに、この文章を付記しておきます。
2023年10月20日
ウサジイの公演日記#1017
その昔(?)、この日記には子ども達の荒唐無稽な発言が沢山載っていたような気がしている。コロナ禍にもよって接触が減ったためか、ジイが演じているお芝居の質が変わったのか、はたまた子ども達の環境が変化したのか?そこは判らないが、「面白い」発言が少なくなっているような気がする。・・にしても、相変わらず子ども達の発想は面白い。(どっちや!)
豊田市の東部・山あいにある子ども園で「ももん&カミナリ」の公演。※ももん冒頭・蝶と戯れる場面、蝶を操演しながらCちゃんが下手へ移動する。すると会場から「蝶々が笑ってる!」…舞台上の二人は「?」上演後に話してみた結果、おそらくこんなことだったんじゃないかなぁ…ももんちゃんを遣っているCちゃんの笑顔を見て、蝶と遣い手のイメージが重なって見えた。いやいや、ならば一番見事な・詩的な鑑賞です…拍手!※「カミナリ」では雷の子・ゴロちゃんが、爺さん(吾郎と言います)と対決します。中盤ゴロちゃんが「爺ちゃん何歳?」と聞く。子どもにはよくある発言です。爺さん「答える必要はない」と応えるのですが、それよりも早く会場から「25歳!」極めてクリアな発言かあった。先生方は大笑い。ん〜、彼にとっては「25」はとっても大きな数字だったんだろうなぁ。※てな調子で爺さんを翻弄するゴロちゃん。それを観てた子ども達は、彼には共感できるのだが、にしても酷すぎると思ったのか(?)「いい加減にしたら」の声。爺さんにはありがたい助太刀ですが、子どもにはハチャメチャであって欲しいと思うジイでした。
てなことを、二日がかりで書いてると…本日行った名古屋市内の子ども園。帰り際に園長先生と話す中、先生「10年も前にはヤジを飛ばす子もいて困りました」ジイ「いやいや、そのくらいパワーがないとね」…ホントにそう思ってます。ヤジ=生命力の発露を感じるんです、子どもには。その園の「カミナリ」中、爺さん独りぼっちの場面、会場から「オジイチャン、ア〜ソ〜ボ!」と声がかかる。カミナリゴロちゃんが居なくなったから、自分が遊んでやろうという、優しい言葉でした。・・・子どもは、優しく・雄々しくあれと思うジイです。
豊田市の東部・山あいにある子ども園で「ももん&カミナリ」の公演。※ももん冒頭・蝶と戯れる場面、蝶を操演しながらCちゃんが下手へ移動する。すると会場から「蝶々が笑ってる!」…舞台上の二人は「?」上演後に話してみた結果、おそらくこんなことだったんじゃないかなぁ…ももんちゃんを遣っているCちゃんの笑顔を見て、蝶と遣い手のイメージが重なって見えた。いやいや、ならば一番見事な・詩的な鑑賞です…拍手!※「カミナリ」では雷の子・ゴロちゃんが、爺さん(吾郎と言います)と対決します。中盤ゴロちゃんが「爺ちゃん何歳?」と聞く。子どもにはよくある発言です。爺さん「答える必要はない」と応えるのですが、それよりも早く会場から「25歳!」極めてクリアな発言かあった。先生方は大笑い。ん〜、彼にとっては「25」はとっても大きな数字だったんだろうなぁ。※てな調子で爺さんを翻弄するゴロちゃん。それを観てた子ども達は、彼には共感できるのだが、にしても酷すぎると思ったのか(?)「いい加減にしたら」の声。爺さんにはありがたい助太刀ですが、子どもにはハチャメチャであって欲しいと思うジイでした。
てなことを、二日がかりで書いてると…本日行った名古屋市内の子ども園。帰り際に園長先生と話す中、先生「10年も前にはヤジを飛ばす子もいて困りました」ジイ「いやいや、そのくらいパワーがないとね」…ホントにそう思ってます。ヤジ=生命力の発露を感じるんです、子どもには。その園の「カミナリ」中、爺さん独りぼっちの場面、会場から「オジイチャン、ア〜ソ〜ボ!」と声がかかる。カミナリゴロちゃんが居なくなったから、自分が遊んでやろうという、優しい言葉でした。・・・子どもは、優しく・雄々しくあれと思うジイです。
2023年10月16日
ウサジイの公演日記#1016
きたく子ども劇場(東京都)の例会で、「ももん&カミナリ」を上演。終わってみれば、子どもも大人も他の地域と変わらないのに、何故か首都での公演には緊張が付きまとう。(田舎者根性か?箱根の関から向こうは恐い?)ま、そんな気分で新東名を東上する。神奈川県で反対車線に渋滞を発見、集中工事らしい。帰り道が思いやられながら、首都高へ。思いの外空いていて、ノロノロは2〜3km程だけ。3号渋谷線・大橋JCTからは環状2号、地下部分が続き息苦しい感じもある。会場&宿舎の王子は、良い感じの下町風情もあり、小一時間ほど散策する。関東ならではの弁当屋・オリジンで総菜、初の出会い・イオン系のマイバスケットで缶チューハイをゲットし宿で夕食。
さて当日、会場入りすると劇場さんのスタッフが台車でお出迎え。アッという間に搬入が完了する。舞台の仕込みを終え、当日の会場スタッフとの打ち合わせ。すると若いお母さんから昔若かった方々まで、20名ほどの方がやって来る。この感じは組織が元気な証拠。その後、午前午後の2ステージ。劇場さんのHPには「おまめ・幼児例会」とあり、年齢が低い子ばかりだったらどうしよう…と心配していたが、低学年の男子や年長さんの女子が最前列に陣取り、会場を盛り上げるようなツッコミをしてくれた。受付ロビーには、ももんちゃんがイッパイ!大きなパネル・紙粘土(?)製のモノ・万国旗にも!極めつけは顔はめパネル。ももんちゃんシリーズの発行元・童心社が同じ北区にあり、借りてきたという。その童心社、この度の「インボイス制度」に心を痛め、未登録の個人事業主の著作権二次使用に関して「消費税は同社が支払う」ことにしたらしい。文化の旗手たる出版社の鑑と感銘を受けるばかりでした。
帰り道、平日の首都高はやや混み。でも東京から出る方向は順調で、好天の東名からは冠雪の富士を眺めながらのドライブ。
さて当日、会場入りすると劇場さんのスタッフが台車でお出迎え。アッという間に搬入が完了する。舞台の仕込みを終え、当日の会場スタッフとの打ち合わせ。すると若いお母さんから昔若かった方々まで、20名ほどの方がやって来る。この感じは組織が元気な証拠。その後、午前午後の2ステージ。劇場さんのHPには「おまめ・幼児例会」とあり、年齢が低い子ばかりだったらどうしよう…と心配していたが、低学年の男子や年長さんの女子が最前列に陣取り、会場を盛り上げるようなツッコミをしてくれた。受付ロビーには、ももんちゃんがイッパイ!大きなパネル・紙粘土(?)製のモノ・万国旗にも!極めつけは顔はめパネル。ももんちゃんシリーズの発行元・童心社が同じ北区にあり、借りてきたという。その童心社、この度の「インボイス制度」に心を痛め、未登録の個人事業主の著作権二次使用に関して「消費税は同社が支払う」ことにしたらしい。文化の旗手たる出版社の鑑と感銘を受けるばかりでした。
帰り道、平日の首都高はやや混み。でも東京から出る方向は順調で、好天の東名からは冠雪の富士を眺めながらのドライブ。
2023年10月11日
2023年10月08日
ウサジイの公演日記#1015
福井県まで行ってきた、人形劇を観に。今年は近松門左衛門生誕370周年ということで、出生地の鯖江市で人形劇フェスが開催された。むすび座も「めっきらもっきどおんどん」を上演したが、お目当ては在阪の老舗劇団の「女殺し油地獄」実はこの作品、ジイは50年近く前の学生サークル時代に観ている。会場は名古屋の名演小劇場。かなりの衝撃を受けたらしく、今でも2つの光景=冒頭・野崎参りと殺しの景が脳裏に残っている。その時にはその後こんな仕事に就くなどとは思ってもいなかったのですが…。近年、同劇団が演出を変えて再演した。その時には都合がつかなかったが、この度再会できることとなった。
劇団内で公演のあることを話すと、たちまち同志が集まり4名のツアーとなる。ところが鯖江への北陸道は集中工事中。しかも当日に限って「自衛隊小松基地の航空ショーがあるため迂回を願います」とTVからのお知らせ。最悪の事態を考慮して@関ケ原〜R365で木之本〜R8のルート、A東海北陸道・白鳥〜R158で大野〜福井のルートを考える。で当日、早朝のウェブ情報では渋滞はほとんど発生していない。が、名古屋高速・一宮線を北上すると、名神・一宮IC手前2qから渋滞!A案を採用して、一宮ICをスルー、北陸東海・木曽川IC目指す。郡上市・白鳥西からのR158は九頭竜湖をかすめる気持ちの良い道だったが、それなりに時間を要する。朝倉氏の一乗谷はスルーして、福井ICから鯖江へ南下。ところが鯖江〜武生で事故発生・通行止め。目的地・鯖江の出口は大渋滞!何とかかんとか4時間かかって到着しました。
さて肝心のお芝居については、一言では説明し切れません。長時間のステージに観入ってしまったのは、贅沢なキャスティングやスタッフだけではないでしょう。何かのテーマを訴えるわけでもなく、その時代のある男の人生の一こまを描いているだけ。もちろん取り巻く人々の心情も描いてはいますが…。極論すれば、ダメ男君がさしたる葛藤もなく金銭のために殺人に至った…そんな状況だけなんです。だから「感動」とかそういったモノは生まれない。けれども観終わって、何か受け取った感じがある。そんな感じでした。
フェス全体では久しぶりに出会えた友もいて、有意義な一日。帰途は大きな渋滞もなく、それでも帰れば20時=出発から12時間後でした。
劇団内で公演のあることを話すと、たちまち同志が集まり4名のツアーとなる。ところが鯖江への北陸道は集中工事中。しかも当日に限って「自衛隊小松基地の航空ショーがあるため迂回を願います」とTVからのお知らせ。最悪の事態を考慮して@関ケ原〜R365で木之本〜R8のルート、A東海北陸道・白鳥〜R158で大野〜福井のルートを考える。で当日、早朝のウェブ情報では渋滞はほとんど発生していない。が、名古屋高速・一宮線を北上すると、名神・一宮IC手前2qから渋滞!A案を採用して、一宮ICをスルー、北陸東海・木曽川IC目指す。郡上市・白鳥西からのR158は九頭竜湖をかすめる気持ちの良い道だったが、それなりに時間を要する。朝倉氏の一乗谷はスルーして、福井ICから鯖江へ南下。ところが鯖江〜武生で事故発生・通行止め。目的地・鯖江の出口は大渋滞!何とかかんとか4時間かかって到着しました。
さて肝心のお芝居については、一言では説明し切れません。長時間のステージに観入ってしまったのは、贅沢なキャスティングやスタッフだけではないでしょう。何かのテーマを訴えるわけでもなく、その時代のある男の人生の一こまを描いているだけ。もちろん取り巻く人々の心情も描いてはいますが…。極論すれば、ダメ男君がさしたる葛藤もなく金銭のために殺人に至った…そんな状況だけなんです。だから「感動」とかそういったモノは生まれない。けれども観終わって、何か受け取った感じがある。そんな感じでした。
フェス全体では久しぶりに出会えた友もいて、有意義な一日。帰途は大きな渋滞もなく、それでも帰れば20時=出発から12時間後でした。
2023年10月03日
ウサジイの公演日記#1014
【ウサジイ昔ばなし】〈109〉・・・瀬戸の土地
劇団の帳簿からその名が消えて数年、「瀬戸の土地」は死語というか、ほぼ忘れ去られている。ま、それは良きことでもあるのですが…先日公演の帰途、恵那市南部〜中馬街道を走り、瀬戸市上品野に差しかかった際に「その土地」を想い出した。むすび座は市内鶴舞〜(南区間借り)〜中川区〜緑区大根山と住いを変えてきたが、1995年に道路新設により現在の緑区川添に引っ越してきた。
その引っ越しが持ち上がった際、どこへ行くべきか議論が始まる。バブルがはじけたものの、まだまだ挑戦的な意見も多く、完全自前の稽古場を建設しよういう方向になった。(大根山稽古場は借地に自前で建設)となると市内での土地探しは価格的に難しい。場合によっては事務所を市内に置き、稽古場は郊外に作るてもあるか(?)とも考えた。(本拠地が名古屋市だと、市からの助成等で有利だったのか?)そんな折、瀬戸市在住の劇団員が良い物件を探してきた。山林だから安価だが、住宅地に隣接するため稽古場建設が可能だという。これに関しては、その時は慎重に話し合ったはずだ。が、後から考えると、飛びつくようにして買ってしまった感がある。
買ってはみたものの、その後の議論の中で「事務所と稽古場が離れていては、劇団の統一が図れない」「現住所から瀬戸まで通うのは大変だ」「公演先からどこに帰るというんだ?」今までの生活に慣れているため、事務所・稽古場分離案のイメージがつかめない。結局、瀬戸案は廃案となり、田園が工場地域へと変貌しようとしていた現在の川添に引っ越すことになった。田んぼを埋立てたばかり土地を当時の代表が探してきて、候補地をジイも見分した。トラックの出入りを考慮して現在の場所に決定。地主さんがガワを作り、内装を借家側・劇団が担当した。返還時には内装を取っ払うという約束です。かくして引っ越しは終了するのですが・・・
肝心の買ってしまった(?)土地は放置状態。そのため数年後には、建造物不可の土地になってしまった。手作りのプレハブでも作っておけば、住宅地として認知されていたのに、「山林」の刻印を押されてしまった。これでは買い手もつかない。その後、十数年にわたって劇団財産として帳簿に記載続けられることになる。数千万円の財産を持っているはずなんだが、その実は如何に?結局売った時には、買い値の十分の一にしかならなかった。・・・土地転がしが不得手‥というか、そんなことに縁のない集団だったのですね。
劇団の帳簿からその名が消えて数年、「瀬戸の土地」は死語というか、ほぼ忘れ去られている。ま、それは良きことでもあるのですが…先日公演の帰途、恵那市南部〜中馬街道を走り、瀬戸市上品野に差しかかった際に「その土地」を想い出した。むすび座は市内鶴舞〜(南区間借り)〜中川区〜緑区大根山と住いを変えてきたが、1995年に道路新設により現在の緑区川添に引っ越してきた。
その引っ越しが持ち上がった際、どこへ行くべきか議論が始まる。バブルがはじけたものの、まだまだ挑戦的な意見も多く、完全自前の稽古場を建設しよういう方向になった。(大根山稽古場は借地に自前で建設)となると市内での土地探しは価格的に難しい。場合によっては事務所を市内に置き、稽古場は郊外に作るてもあるか(?)とも考えた。(本拠地が名古屋市だと、市からの助成等で有利だったのか?)そんな折、瀬戸市在住の劇団員が良い物件を探してきた。山林だから安価だが、住宅地に隣接するため稽古場建設が可能だという。これに関しては、その時は慎重に話し合ったはずだ。が、後から考えると、飛びつくようにして買ってしまった感がある。
買ってはみたものの、その後の議論の中で「事務所と稽古場が離れていては、劇団の統一が図れない」「現住所から瀬戸まで通うのは大変だ」「公演先からどこに帰るというんだ?」今までの生活に慣れているため、事務所・稽古場分離案のイメージがつかめない。結局、瀬戸案は廃案となり、田園が工場地域へと変貌しようとしていた現在の川添に引っ越すことになった。田んぼを埋立てたばかり土地を当時の代表が探してきて、候補地をジイも見分した。トラックの出入りを考慮して現在の場所に決定。地主さんがガワを作り、内装を借家側・劇団が担当した。返還時には内装を取っ払うという約束です。かくして引っ越しは終了するのですが・・・
肝心の買ってしまった(?)土地は放置状態。そのため数年後には、建造物不可の土地になってしまった。手作りのプレハブでも作っておけば、住宅地として認知されていたのに、「山林」の刻印を押されてしまった。これでは買い手もつかない。その後、十数年にわたって劇団財産として帳簿に記載続けられることになる。数千万円の財産を持っているはずなんだが、その実は如何に?結局売った時には、買い値の十分の一にしかならなかった。・・・土地転がしが不得手‥というか、そんなことに縁のない集団だったのですね。