そんな「ぐるんぱ」主人公が頼りないせいか、上演中のツッコミはそこそこある。冒頭・汚いぐるんぱに困る仲間たち…ここではかなりの確率で「洗えばいいよ」の声が上がる。それでも実際に洗う演技により奇麗になると、驚きの歓声が聞こえてくる。洗って汚れを落とす時、人形劇では人形そのものをすり替える場合が多い。今回は汚れ状の表皮を剥がす方法をとった。その結果、驚きの声も聞こえるが、「裸になっちゃった!」などと云う反応もある。因みに汚さを説明する際に「くさ〜い臭いもします」とナレーション。これに対しては、しばしば鼻をつまむ子たちが見受けられる。(近年、消臭剤・芳香剤などの使用が多いせいか(?)、臭さを嫌悪する子が多い気がする。異臭に敏感はOKだが、世の中には臭いモノもあるんだよ)
さてジイ達が引っ掛った、涙する場面。そして自己肯定できない主人公。これに関しては「可愛そう」の声も聞かれるし、終演後にコッソリと「なんか泣けちゃった」と教えてくれる年長さんもいる。そんな感覚は、何としても持ち続けて欲しいものだ。・・・なのに、保育室に帰り「ぐるんぱごっこ」が始まると、紙製のぐるんぱから作業帽子を奪い「もう結構〜!」と解雇を告げてはお喜びの子だったりする。まぁ、それもまた可なり、なのでしょう。
ぐるんぱが作ったモノの中で、一番人気はビスケット。やはり食べ物には目がないのかな。退場する子たちに、巨大ビスケットを割るようにして欠片を投げると、パクッと口で受け止める子が多い。そんなことをするのは、現実と想像の区別がついている年齢の子たち。嬉しい反応です。
2023年09月30日
2023年09月26日
ウサジイの公演日記#1012
「プーとブー」の後に続くのは「ぐるんぱのようちえん」初版が1966年だから半世紀前となる。今もって園の本棚に見かけるから、愛される内容なんだろう。この作品、劇団内で何度か新作候補に上がってはきたが、なかなか創られることはなかった。理由:@繰り返しが多すぎる。ドラマでは3回程度が妥当だが、5回も繰り返しがあり飽きがくる。A主人公の象が大きいのに、彼が大きな物を作る話。そんなに巨大なモノは登場させにくい。B最後の画は、幼稚園ができた図。限られたステージ上での表現が難しい…等々。にも拘らず創ったのは、おさんぽ劇場メンバー・Cちゃんの決断から…。そして演出を引き受けてくれたMちゃんがいたから。
この話は、働きに出た象が自分の尺度で製品を作ってしまい、大き過ぎるため何度も失敗する。(←舞台は人間の社会なんです)が、多忙な母から託児を引き受けた際に、失敗作だと思われた巨大製品が役だった、てな流れなんです。でも取り掛かる時点で一番大切にしたいと思ったのは、原作絵本冒頭の「草原に寝転び『寂しいな』と呟く主人公」の姿。何故淋しいのかは書かれていません。彼は淋しさのあまりニート状態で、仲間の象たちから心配されます。そんな象が失敗しながらも、認められる時が来るドラマを創りたかった。子ども達に「自分を信じていれば大丈夫だよ」といったメッセージを織り込みたかったのです。
さて一年近く前の初演以来、やはり困難な道のりでした。繰り返し多々を乗り越えるための工夫。失敗続きは楽しくない!に対抗するための工夫。ともすれば説明的になり、テンポが速くなりがちでしたが、観てくれる子たちを信じて、言葉を減らし間をつくろうとしてきました。結果…まだまだ先は長いものの、チョットだけ演じる時間が楽しくなってきています。
この話は、働きに出た象が自分の尺度で製品を作ってしまい、大き過ぎるため何度も失敗する。(←舞台は人間の社会なんです)が、多忙な母から託児を引き受けた際に、失敗作だと思われた巨大製品が役だった、てな流れなんです。でも取り掛かる時点で一番大切にしたいと思ったのは、原作絵本冒頭の「草原に寝転び『寂しいな』と呟く主人公」の姿。何故淋しいのかは書かれていません。彼は淋しさのあまりニート状態で、仲間の象たちから心配されます。そんな象が失敗しながらも、認められる時が来るドラマを創りたかった。子ども達に「自分を信じていれば大丈夫だよ」といったメッセージを織り込みたかったのです。
さて一年近く前の初演以来、やはり困難な道のりでした。繰り返し多々を乗り越えるための工夫。失敗続きは楽しくない!に対抗するための工夫。ともすれば説明的になり、テンポが速くなりがちでしたが、観てくれる子たちを信じて、言葉を減らし間をつくろうとしてきました。結果…まだまだ先は長いものの、チョットだけ演じる時間が楽しくなってきています。
2023年09月23日
ウサジイの公演日記#1011
何年・何十年演じていても、子ども達の反応には予測不可能な面が多々ある。…現在巡演中の「プーとブー」、作品パンフレットの文言や絵柄を見ると、何となく低年齢の子に向いてるのかな?と思われがち。確かにストーリーは単純で、子ども達の生活を映したような感じ。人形も孵化したばかりの殻付きヒナみたいで、恐くはない。けれど、そのシンプルさに落とし穴があるようだ。積み木で表現された舞台セットは抽象的で、一定の経験値がないと、どういう場なのか理解しづらいと思われる。セリフは喃語的であり、正確な日本語が発せられないのだが、小さな子にとってどちらが感じとりやすいのか?これもまた判らない。(人形が丸くて大きな眼が付いているのは、間違いなく低年齢に好まれますが…)
さて、コロナ禍時の流れか(?)3歳未満児とそれ以上を分けて観劇する園が幾つかある。分けた方が子どもにとって良い、そういう判断からで、それはそれで良いことなのだが…先日の園では、未満児が「プーとブー」のみを観た。観てはいるしそれなりに喜んだりもするのだが、かなり静かな観劇会となった。ジイ達の感想<やっぱりな。この作品、理解するには意外と経験値を要求されるんだよ>・・・ところがである…数日後の園では、同じ作品が同じ年齢層に大受け!数人の元気な子の反応が伝線したのか?入場から上演までの流れ(演者⇔客席の関係づくり)が違っていたのか?さっぱり判らない。今後も3歳未満児のみのステージで確認してゆこうと思う。
さて、コロナ禍時の流れか(?)3歳未満児とそれ以上を分けて観劇する園が幾つかある。分けた方が子どもにとって良い、そういう判断からで、それはそれで良いことなのだが…先日の園では、未満児が「プーとブー」のみを観た。観てはいるしそれなりに喜んだりもするのだが、かなり静かな観劇会となった。ジイ達の感想<やっぱりな。この作品、理解するには意外と経験値を要求されるんだよ>・・・ところがである…数日後の園では、同じ作品が同じ年齢層に大受け!数人の元気な子の反応が伝線したのか?入場から上演までの流れ(演者⇔客席の関係づくり)が違っていたのか?さっぱり判らない。今後も3歳未満児のみのステージで確認してゆこうと思う。
2023年09月12日
ウサジイの公演日記#1010
公演先の幼保で、しこみ中に先生が「お楽しみだからね」と言いながら、会場のカーテンを閉めることがある。のぞきこんでいた子たちにとっては、残念ながらオタノシミとなる。保育のカリキュラム進行上、やむ得ない場合があることは理解できる。が、どう考えてもそのようは感じられない時もある。「あ、見えてても良いですよ」の声掛けに「え?良いんですか!?」と喜んで頂ける時はありがたい。しかし、これは稀。そんな稀があったので、書いてみようと思い立った。
舞台で演じている仲間の話を聞くと、公開仕込みOKだという方が多い。反対に完全秘密の方もおり、これはこれで納得できる。ジイが公開OKする理由は、せっかく公演に行ったのだから、何から何まで味わい尽くして欲しいが理由の第一です。また、お芝居本編は集中できなくとも、仕込み・バラシには集中できる子もいたりする。人間の志向は様々だから。…何にしても、仕込みを見たりするくらいで、お芝居のドキドキワクワクが減るはずがないと思うのです。いや、場合によっては増幅するんじゃないかな?だから、やむ得ずシャットアウトするのは構わないのだけれど、「お楽しみだから」を理由にしては欲しくないのです。ちゃ〜んと「今は別のことをするから、後で見よう」と言って欲しいんだけどなぁ。
舞台で演じている仲間の話を聞くと、公開仕込みOKだという方が多い。反対に完全秘密の方もおり、これはこれで納得できる。ジイが公開OKする理由は、せっかく公演に行ったのだから、何から何まで味わい尽くして欲しいが理由の第一です。また、お芝居本編は集中できなくとも、仕込み・バラシには集中できる子もいたりする。人間の志向は様々だから。…何にしても、仕込みを見たりするくらいで、お芝居のドキドキワクワクが減るはずがないと思うのです。いや、場合によっては増幅するんじゃないかな?だから、やむ得ずシャットアウトするのは構わないのだけれど、「お楽しみだから」を理由にしては欲しくないのです。ちゃ〜んと「今は別のことをするから、後で見よう」と言って欲しいんだけどなぁ。
2023年09月09日
ウサジイの公演日記#1009
旧知の方のお芝居を観てきた。この前会ったのは何時だろう?10年程前に「子どもと舞台出会いのフォーラム」会場(東京)にて、ジイたちが去る時に、これから仕込みと言いながら擦れ違った時かもしれない。その前は?飛騨での公演の帰り道、上り坂で追い越される時に呼びかけられた時かもしれない。それほど疎遠な二人は、元・劇団うりんこの役者さん。ジイが入団した頃には、しばしば出会いがあったお二人です。お芝居全体の感想はさておき、作品中で「アッ」と思った場面。それは主人公のオジサンが洗濯をしようとする場面。室内設定の衝立から、洗濯物が投げ出される。庭先に置かれたバケツに入るはずもなく、コロス役がバケツを持って走り回り受け取る。そのゲーム性というか、ギリギリでキャッチするスリルに客席は大盛り上がり。投げる方もギリ取れる辺りを狙うんだろうが、そうそう上手くゆくとは限らない。受け取る方の真剣感・遊んでる感が伝わって来て心地よい面白さがあった。
さて、ここまで書いてきて「あれ〜、これって筋斗雲なんだ!」ジイが散々やってきた筋斗雲、そのあり様がまさにこれでした。更に思いは現作品に…「ともだちや」後半冒頭・キツネとオオカミがキャッチボールをする場面。お手玉をボールに見立てて、人形の手ごと持ち、投げ〜受け取る。技術としてはさほど難しいことではない。幼児は当然のこととして観ている。が、一定年齢以上になると「本当に投げてる」と云うような驚きをもって観てくれる。人形劇なんだから<投げ合ってる体で、棒の付いた球を動かす>みたいな認識があるのかもしれない。いずれにしても、手を離れ、失敗するかもしれない状況はワクワクするらしい。(実際、失敗もありますし…)これからも、このシステム、使わない手はないなぁ。
さて、ここまで書いてきて「あれ〜、これって筋斗雲なんだ!」ジイが散々やってきた筋斗雲、そのあり様がまさにこれでした。更に思いは現作品に…「ともだちや」後半冒頭・キツネとオオカミがキャッチボールをする場面。お手玉をボールに見立てて、人形の手ごと持ち、投げ〜受け取る。技術としてはさほど難しいことではない。幼児は当然のこととして観ている。が、一定年齢以上になると「本当に投げてる」と云うような驚きをもって観てくれる。人形劇なんだから<投げ合ってる体で、棒の付いた球を動かす>みたいな認識があるのかもしれない。いずれにしても、手を離れ、失敗するかもしれない状況はワクワクするらしい。(実際、失敗もありますし…)これからも、このシステム、使わない手はないなぁ。
2023年09月02日
ウサジイの公演日記#1008
【ウサジイ昔ばなし】〈108〉・・・一人芝居
最近友人との会話の中で、作品創造に対する意欲っていうような話になった。コロナ禍以降、それまで行われていたアトリエ公演的な企画が止まっている。そのことと関係あるのか?いずれにしても、創造意欲は劇団の生命線であり、それなくしては演技者の魅力も半減するだろう。・・・な〜んて、偉そうなことを言ってみたが、苦い経験も少なくないジイなのだ。
劇団に於けるアトリエ公演は、チョイ前までは有志グループでの実験劇場的な形だった。制作には一定の時間と僅かな予算が保証され、上演は劇団による一般公演の形で行われる。その前には、台詞のレッスンの成果を発表するする場として、人形劇ではなくお芝居を上演した時期もある。ず〜っと遡ってジイ入団から間もない頃には、「個人創造の日」が設定されていた。恐らく公演が入りにくい時期だと思うが、役者各自が2日かけて人形劇を制作。長短・スタイルは問わないが、人形製作から始まって、二日目の午後には団内で上演しなければならない。計画的に制作する者もいるが、小学校の写生大会よろしく、初期はダラダラとしている者が多い。ジイもその仲間で…従って簡単な人形は作ったが、ストーリーはさっぱり出来ていない。そんな状況で蹴込みに入り、アドリブ?で花咲爺さん的な話を始めた。さすがに途中で困ってしまい…「落ちがない、落ちがない…」と慌てる爺さん人形、自分の掘った穴に落ちて「落ちた〜!」って叫ぶのが落ち。←ちっとも落ちてませんが…。
愛知県人形劇協会主催で「蚤の市」なる企画があった。加盟劇団・個人が未発表の小作品を持ち寄って、互いに観あうというものです。ある年どういう切っ掛けか?ジイはそこでの上演を申し込んでしまった。(申し込んだのか?依頼されたのか?不明だが…)制作期間は十分にあり、構想としては「オオカミの父子の話」赤ずきん等の民話を持ち出して、父が子に「狼はいかにあるべきか」を教育する話。構想はしたが、具体的な稽古もせず前夜…さて頑張るぞ!と思ったところ、稽古場で人形を作る仲間。どういった流れか今では不明だが、関東の芸能「綱火」が話題となった。吞みながら芸能的な話をしているうちに〈表現は気持ちなんだ〉〈稽古が何だ!〉てなところに行き着き、熟睡。翌日、本番では恥ずかしさと、記憶から消し去った一日しか残っていません。なお会場は、今池にあった頃のウィークエンドシアターでした。…この時の人形は我家の玄関に飾ってあり、ある意味「戒め」です。
最近友人との会話の中で、作品創造に対する意欲っていうような話になった。コロナ禍以降、それまで行われていたアトリエ公演的な企画が止まっている。そのことと関係あるのか?いずれにしても、創造意欲は劇団の生命線であり、それなくしては演技者の魅力も半減するだろう。・・・な〜んて、偉そうなことを言ってみたが、苦い経験も少なくないジイなのだ。
劇団に於けるアトリエ公演は、チョイ前までは有志グループでの実験劇場的な形だった。制作には一定の時間と僅かな予算が保証され、上演は劇団による一般公演の形で行われる。その前には、台詞のレッスンの成果を発表するする場として、人形劇ではなくお芝居を上演した時期もある。ず〜っと遡ってジイ入団から間もない頃には、「個人創造の日」が設定されていた。恐らく公演が入りにくい時期だと思うが、役者各自が2日かけて人形劇を制作。長短・スタイルは問わないが、人形製作から始まって、二日目の午後には団内で上演しなければならない。計画的に制作する者もいるが、小学校の写生大会よろしく、初期はダラダラとしている者が多い。ジイもその仲間で…従って簡単な人形は作ったが、ストーリーはさっぱり出来ていない。そんな状況で蹴込みに入り、アドリブ?で花咲爺さん的な話を始めた。さすがに途中で困ってしまい…「落ちがない、落ちがない…」と慌てる爺さん人形、自分の掘った穴に落ちて「落ちた〜!」って叫ぶのが落ち。←ちっとも落ちてませんが…。
愛知県人形劇協会主催で「蚤の市」なる企画があった。加盟劇団・個人が未発表の小作品を持ち寄って、互いに観あうというものです。ある年どういう切っ掛けか?ジイはそこでの上演を申し込んでしまった。(申し込んだのか?依頼されたのか?不明だが…)制作期間は十分にあり、構想としては「オオカミの父子の話」赤ずきん等の民話を持ち出して、父が子に「狼はいかにあるべきか」を教育する話。構想はしたが、具体的な稽古もせず前夜…さて頑張るぞ!と思ったところ、稽古場で人形を作る仲間。どういった流れか今では不明だが、関東の芸能「綱火」が話題となった。吞みながら芸能的な話をしているうちに〈表現は気持ちなんだ〉〈稽古が何だ!〉てなところに行き着き、熟睡。翌日、本番では恥ずかしさと、記憶から消し去った一日しか残っていません。なお会場は、今池にあった頃のウィークエンドシアターでした。…この時の人形は我家の玄関に飾ってあり、ある意味「戒め」です。
2023年09月01日
ウサジイの公演日記#1007
津市の保育園で「ぐるんぱのようちえん」お馴染みの園です。舞台を仕込み終わりテラスに出ると、先生に連れられて来る男の子・5歳さん。部屋に上がろうと靴を脱ぎ始める。が、先生はチョット用事があっただけで、直ぐにまた園庭に行きたい。「Kちゃん、靴履いてね」と言い残して保育室へ向かう。途方に暮れるKちゃんは、ダウン症の傾向があるようだ。ジイは隣に腰を下ろし、まずご挨拶。すると案の定ヒゲを注視し…手を伸ばしてきた。ジイ「ヒ・ゲ」Kちゃんは繰り返しもせず、おでこに手を伸ばす。ジイ「オ・デ・コ」反応なし、だが納得のもよう。靴を履くよう促すと、ゆっくりと履き始めた。・・・その彼は客席後方で観ていたが、とっても集中していた。
そのステージ、最前列は2歳さんたち。中央に眼をクリクリさせて観ている女の子。「プーとブー」後半・シーソーの辺りから「ねぇ、大丈夫?」と話しかけてくる。どうも登場人物たちのことが心配らしい。初めは〈応えるわけにはゆかない〉と思っていたが、何かするたびに「大丈夫?」心配で仕方がない声が聞こえてくる。さすがに最後には、日本語的なブー語で「daijo~bu」と返事をしました。その彼女、「ぐるんぱ」でも・・・モノ作りに失敗したぐるんぱに「ぐるんぱ君、ねぇぐるんぱ君!」と問いかけてくる。何か伝えたいことがあるようだ。もちろん応えるわけにはゆかず、申し訳ない気持ちでお芝居は続く。やがて作ったモノが子ども達に評価され「ぐるんぱ、すご〜い」すると彼女は「ぐるんぱ!ぐるんぱ!」と何か言いたげ。これまた応えられずゴメンナサイ。しかし、後引くことなく満足げに帰って行きました。
そのステージ、最前列は2歳さんたち。中央に眼をクリクリさせて観ている女の子。「プーとブー」後半・シーソーの辺りから「ねぇ、大丈夫?」と話しかけてくる。どうも登場人物たちのことが心配らしい。初めは〈応えるわけにはゆかない〉と思っていたが、何かするたびに「大丈夫?」心配で仕方がない声が聞こえてくる。さすがに最後には、日本語的なブー語で「daijo~bu」と返事をしました。その彼女、「ぐるんぱ」でも・・・モノ作りに失敗したぐるんぱに「ぐるんぱ君、ねぇぐるんぱ君!」と問いかけてくる。何か伝えたいことがあるようだ。もちろん応えるわけにはゆかず、申し訳ない気持ちでお芝居は続く。やがて作ったモノが子ども達に評価され「ぐるんぱ、すご〜い」すると彼女は「ぐるんぱ!ぐるんぱ!」と何か言いたげ。これまた応えられずゴメンナサイ。しかし、後引くことなく満足げに帰って行きました。