今年度のラスト幼保公演は、安城市で「ももん&カミナリ」 なんとコロナ前、6年前に同じ作品でうかがっている。園到着がやや早く、登園のタイミングを計ってからの搬入。チョットややこしい経路だったが、先生方のお手伝いではかどる。園舎の構造上、仕込み中の舞台を通過しなければならない先生方も多く、まぁそれはそれで譲り合いながらの作業となる。ところで当日の公演は、「ももん」=0〜2歳さん+地域の未就園児・「カミナリ」=3〜5歳児+もっと観たい未就園親子、という流れ。
「ももん」は開演10分ほど前からの入場。例によってウェルカム人形のワンワンとの遊びが楽しい子たち。その時点からクラスの座席などお構いなしで立ち歩く子もいた。開演すると前列中央に立つ男の子・2歳前(?)が、何やら真剣に発言している。内容はジイ達に理解不能なんだが、とにかく一生懸命に伝えようとしてくれている。おかげで後ろの子達は舞台が見えない。けれど不満を言うでもなく、先生方も制するでもなく、しばらく続いた。確かにマナー違反ではあるが、客席側で調整できれば問題ナシ…と、ジイは思っている。もちろん彼は、やがて座った。 危ない子もいた。やはり2歳になったばかり程の子、後列から走り出し客席前へ。そこで止まらず、ステージに差し掛かる!と云ったところで先生に捕獲された。危ない子だけはちゃ〜んと対応してくれる、ありがたい園です。
後半「カミナリ」は年長児グループ。外遊びから帰って、客席横で手洗いの後に着席…のはずだが、舞台が気になって見とれている子もいる。ジイ「はい、水筒置いて、手を洗って!」その子・Rちゃんは「…ニコニコ…」嬉しそうにするだけで、行動せず。さすがに先生に怒られていたが、お芝居が始まると一番受けていた。前半はとにかく笑う笑う笑う。セリフのタイミングを図りながら<こりゃ長くなるかな?>しかし蓄音機が壊れると、会場は驚くほど静かに。なるほど、そんな失敗経験も多い子たちなんだろうなぁ。だから事の行く先が心配だったのかな?
2025年03月20日
2025年03月19日
2025年03月16日
ウサジイの公演日記#1122
瀬戸市の保育園で「ももん&カミナリ」を公演。この園では、昨年も同作品を上演…というのも、超狭いスペースでの公演ゆえ、上演可能な作品が限定されるのです。最初は一昨年の「ぐるんぱ」。オファーがあったが超狭いとのお話で、会場を下見に行く。近年開設の園は、立地の制約でいわゆる遊戯室のない所も多い。保育室を二部屋つなげて会場にする場合もある。が、その園には遊戯室的な部屋はあるのだが、かなり厳しい状況だった。図を使わねば説明しづらいんだが、一口で言えば間口2間のステージで上演することになる。(通常は3間強が必要)…上手のみ奥行き50pの押入れ的な空間があり、他は逃げ込みはない。下見時に20〜30分程考えて「やります」の返事。(「出来ます」ではなく)かくして「ぐるんぱ」では、見送る仲間の象たちは壁沿いの棚に飾り置く。出会うお店屋さん達も見え隠れしたところから始まる様な公演でした。
今年は昨年に続いての作品だったので、まぁまぁ順調に舞台を仕込めた。間口が必要な「カミナリ」の畑の場面だけは確認する。爺さんの登場も、通常下手からを上手からの舞台横切りルートに変える。油断していたのは立ちモノの「雲」開演と共に立ち上げるのだが、天井にゴツンしてしまい、慌てて下げたままの状態での上演になった。恐らく昨年はチェックしてたのに、甘くみてました…反省。
さて上演は…「ももん」開演のベルに対して、最年長2歳クラス(ほとんどの子は3歳ですが)の子達が「あれ?あれっ?」と反応してくれ、それを切っ掛けに笑いが巻き起こる。会場中ほどの男の子が異常な喜びをみせ、それを見た保育士さんが大笑い。後から聞くと、その子は笑い過ぎてよだれを垂らしていたという。「カミナリ」になると、さすがに笑いだけではなくジッと見入るのだが…1歳になったばかりの子も55分間ズ〜ッと観ていてくれた。彼らとしては、舞台鑑賞=この世界を理解する学習の場なのでしょう。
今年は昨年に続いての作品だったので、まぁまぁ順調に舞台を仕込めた。間口が必要な「カミナリ」の畑の場面だけは確認する。爺さんの登場も、通常下手からを上手からの舞台横切りルートに変える。油断していたのは立ちモノの「雲」開演と共に立ち上げるのだが、天井にゴツンしてしまい、慌てて下げたままの状態での上演になった。恐らく昨年はチェックしてたのに、甘くみてました…反省。
さて上演は…「ももん」開演のベルに対して、最年長2歳クラス(ほとんどの子は3歳ですが)の子達が「あれ?あれっ?」と反応してくれ、それを切っ掛けに笑いが巻き起こる。会場中ほどの男の子が異常な喜びをみせ、それを見た保育士さんが大笑い。後から聞くと、その子は笑い過ぎてよだれを垂らしていたという。「カミナリ」になると、さすがに笑いだけではなくジッと見入るのだが…1歳になったばかりの子も55分間ズ〜ッと観ていてくれた。彼らとしては、舞台鑑賞=この世界を理解する学習の場なのでしょう。
2025年03月04日
ウサジイの公演日記#1121
「ももん&カミナリ」は和歌山市へ。実はこの作品、初演の頃に紀の川中流・和歌山県・かつらぎ町へ伺っており、その時に和歌山市の子ども劇場の方が観にいらした。何年かかけて上演がかなったという訳です。…そういえば和歌山県、市には「101ちゃん」で来た思い出はある。が、1980年頃「西遊記シリーズ」時代に南部・田辺と紀伊半島南端・古座川の劇場には来たが、市の思い出が残ってない。ん〜、どういう事だろう?
前ノリは、名阪道を西進〜阪和道南下で4時間ほどの行程。そして翌日、小雨の中搬入〜仕込み終わり、上演の打合せ。大人に混じって6歳・女の子が一人。いきなり彼女「ねぇ、オジサン。遊ぼ!」…いやいや、これから打合せなんです。その子はその後も自由奔放。モギリの係だと云うのに、会場に入ったり出たり。すっかり「知合い」感でジイ達に接してくる。嬉しさ半分、危うさ半分でした。
開演すると、最前列の2歳前位の女の子がトコトコ…。客席と舞台の間を歩いたり、寝転んだり、お芝居を観たり。彼女なりに楽しんでいるようでした。が、お母さんはアタフタ。彼女を捕まえ客席に戻すのだが、しばらくするとまたトコトコ。ジイ達のとっては邪魔にならないのだから問題なしなのですが、お母さんは冷や汗で、最後には捕まえて客席横に避難しました。う〜ん、もう少し自由でも良かったんですけどねぇ。
「カミナリ」後半・爺さんの蓄音機が壊れてしまうと、会場はシーンとなる。子ども達が「ヤバッ!」っと思うからです。でもこの日は、しばらくすると泣き声が!客席を眺めると、小学校中学年程の男の子、何かしらの障害を持っているらしい。その子が大泣きしている。お母さんになだめられ、泣き止むこともあるが、しばらくするとまた泣き始める。…爺さんと雷ゴロちゃんが再会すると、さすがに泣き止んでくれた。終演後、お母さんに聞くと、蓄音機が壊れてパニックになったとのこと。しかし彼の泣き声は悲しみに満ちていて、爺さんに寄り添ってくれていたように思えた。…ありがとね。そして、今日のお芝居を忘れないでね。
前ノリは、名阪道を西進〜阪和道南下で4時間ほどの行程。そして翌日、小雨の中搬入〜仕込み終わり、上演の打合せ。大人に混じって6歳・女の子が一人。いきなり彼女「ねぇ、オジサン。遊ぼ!」…いやいや、これから打合せなんです。その子はその後も自由奔放。モギリの係だと云うのに、会場に入ったり出たり。すっかり「知合い」感でジイ達に接してくる。嬉しさ半分、危うさ半分でした。
開演すると、最前列の2歳前位の女の子がトコトコ…。客席と舞台の間を歩いたり、寝転んだり、お芝居を観たり。彼女なりに楽しんでいるようでした。が、お母さんはアタフタ。彼女を捕まえ客席に戻すのだが、しばらくするとまたトコトコ。ジイ達のとっては邪魔にならないのだから問題なしなのですが、お母さんは冷や汗で、最後には捕まえて客席横に避難しました。う〜ん、もう少し自由でも良かったんですけどねぇ。
「カミナリ」後半・爺さんの蓄音機が壊れてしまうと、会場はシーンとなる。子ども達が「ヤバッ!」っと思うからです。でもこの日は、しばらくすると泣き声が!客席を眺めると、小学校中学年程の男の子、何かしらの障害を持っているらしい。その子が大泣きしている。お母さんになだめられ、泣き止むこともあるが、しばらくするとまた泣き始める。…爺さんと雷ゴロちゃんが再会すると、さすがに泣き止んでくれた。終演後、お母さんに聞くと、蓄音機が壊れてパニックになったとのこと。しかし彼の泣き声は悲しみに満ちていて、爺さんに寄り添ってくれていたように思えた。…ありがとね。そして、今日のお芝居を忘れないでね。
2025年02月26日
ウサジイの公演日記#1120
【ウサジイ昔ばなし】〈131〉・・・市井の劇団員
劇団は、かつて大根山にあった。付近には数軒の民家があり、かなり濃密な近所付き合いがあった。道路(名二環)新設の影響で「集落・大根山」は離散し、劇団は川添に来た。周囲は工場が多く、民家は遠く、近所付き合いは少ない。ジイ達は変わらず緑区に暮らしているが、「劇団がある」といった認識は薄い。関心のある方は知ってるが、そうでもない方には「どうでも良い事」なんです。…そんな劇団員の旅先での話。
鹿児島県子ども芸術祭典の「コンポン」奄美コース・2010年代中盤:喜界島からフェリーに乗り鹿児島港へ帰って来た。タラップを降りる頃に、同乗のご婦人に問いかけられる。「あのぅ、一週間ほど前に徳之島に居ませんでしたか?」「はい、居ましたが…」話を聞くと、徳之島二日目・亀津のスーパーで昼食をゲットしたあと歩いている姿を目撃されたらしい。島にしては奇抜な服装をしていた為、覚えていたとのこと。(そのシーズンは、アシンメトリーな色と形のトレーナーを着ていました)…しかも、その方は名古屋からの観光中で、少し前にジイが入った日進市の和食処のオーナー夫人だったんです!
ジイ30歳代の子ども劇場「悟空」北海道コース・1980年代後半:その頃は、北海道だけでも2〜3週間のツアーがあった。(東北から青函フェリーで函館も)…で、オホーツク側を南下し網走での公演に向かう途中。多分道の駅的なところだったと思う、突然話しかけられた。「すみません。昨日、稚内でたい焼きを食べていませんでしたか?」「あ、はい。食べてました、歩きながら」稚内南東の猿払村だけでも100qほどあるから、恐らく稚内からは200〜300q離れた場所での会話です。「北海道は広いなぁ」と思うとともに、「北海道、人が少ないから目立つなぁ」と思うヒトコマでした。
あと…「石の馬」の頃、島原市のホールに車を置いて昼食に向かうメンバー。交差点に差し掛かり信号待ち。すると道行く方から「少々道を尋ねたいんですが…」ジイ達は少々貧相な格好だったと思いますが、普段着らしさが地元民と思われたのでしょうか?たまたま知っている場所だったので、教えて差し上げました。
劇団は、かつて大根山にあった。付近には数軒の民家があり、かなり濃密な近所付き合いがあった。道路(名二環)新設の影響で「集落・大根山」は離散し、劇団は川添に来た。周囲は工場が多く、民家は遠く、近所付き合いは少ない。ジイ達は変わらず緑区に暮らしているが、「劇団がある」といった認識は薄い。関心のある方は知ってるが、そうでもない方には「どうでも良い事」なんです。…そんな劇団員の旅先での話。
鹿児島県子ども芸術祭典の「コンポン」奄美コース・2010年代中盤:喜界島からフェリーに乗り鹿児島港へ帰って来た。タラップを降りる頃に、同乗のご婦人に問いかけられる。「あのぅ、一週間ほど前に徳之島に居ませんでしたか?」「はい、居ましたが…」話を聞くと、徳之島二日目・亀津のスーパーで昼食をゲットしたあと歩いている姿を目撃されたらしい。島にしては奇抜な服装をしていた為、覚えていたとのこと。(そのシーズンは、アシンメトリーな色と形のトレーナーを着ていました)…しかも、その方は名古屋からの観光中で、少し前にジイが入った日進市の和食処のオーナー夫人だったんです!
ジイ30歳代の子ども劇場「悟空」北海道コース・1980年代後半:その頃は、北海道だけでも2〜3週間のツアーがあった。(東北から青函フェリーで函館も)…で、オホーツク側を南下し網走での公演に向かう途中。多分道の駅的なところだったと思う、突然話しかけられた。「すみません。昨日、稚内でたい焼きを食べていませんでしたか?」「あ、はい。食べてました、歩きながら」稚内南東の猿払村だけでも100qほどあるから、恐らく稚内からは200〜300q離れた場所での会話です。「北海道は広いなぁ」と思うとともに、「北海道、人が少ないから目立つなぁ」と思うヒトコマでした。
あと…「石の馬」の頃、島原市のホールに車を置いて昼食に向かうメンバー。交差点に差し掛かり信号待ち。すると道行く方から「少々道を尋ねたいんですが…」ジイ達は少々貧相な格好だったと思いますが、普段着らしさが地元民と思われたのでしょうか?たまたま知っている場所だったので、教えて差し上げました。
2025年02月18日
ウサジイの公演日記#1119
【ウサジイ昔ばなし】〈130〉・・・初の初演
最近ジイは、在団45年目に入った。入団した時分には、その後どの様な劇団活動をするか?など考えるべくもなかった。有難いことに、ジイの立ち位置や劇団の状況により、65歳定年後も4年間舞台に立てている。(定年はジイが運営委員長時代に、2代目代表の寛ちゃんの要望で決定した)さて、入団前後の話はしたが、直後の話をしましょう。
1月末に入団した直後は、「こぎつねコンとこだぬきポン」の舞台(テーブルケコミ)づくり。当時の幼保2班が合同で、「名古屋市子どものための巡回劇場」のために仕込んだ作品。テンヤワンヤで創ったため、オフィス用の長机代用で上演していた。それを上面を傾斜させた(専門用語では「八百屋」)組み立て式にせよ!との命が下る。何の指導もなく「作れ!」と言われる。…とにかく考え考え、ノミでホゾを穿ち…何とか一週間で作り上げた。今考えると、かなり稚拙な作りであった。
そんな日々、公演班が帰ってくると「むすび座ミュージカル」の稽古が始まる。2ヶ月後に上演する企画なのだ。ギリセーフの入団タイミングで「お前も舞台に立て」と言われる。夕食後、7時頃からイレギュラーな公演を目指しての稽古が始まるのでした。この企画、劇団の作品音楽を一手に引き受けてくださっていたK氏の発案。当時のスタッフ陣は、どの方も自分の劇団の様に思っていたようです。…で3月下旬、今はなき名演小劇場において「むすび座ミュージカル・まずはパートワン」の上演と相成りました。(パート2はありませんでした)因みにこの公演の当日パンフレット、半分はジイが作りました。ま、みんな数歳しか違わない仲間だったから。
そして劇団レパ作品の初演は・・・「友達になれるかな」作・演出/イレーシュ・アティラと、「三匹のこぶた」作・演出/丹下進、音楽/熊谷賢一。「友達」は動物たちが登場するオムニバス作品。ハンガリーの演劇大学卒であるアティラ氏の理論は、揺るぎないモノがあった。「雄鶏は茶色のマダラです。白はレグホンですから」…これは納得。「ウサギの目は青です。赤い目はありません」…そう?「ピンクは使いません。その色は、アメリカの色です」…これは、東ヨーロッパならではの考えでしょ。さて「三ぶた」は、脚本ナシ・丹下氏の口立てで稽古が始まる。立ち稽古が始まると「はい、そこで君は何て言うの?」「う〜ん、ちょっと違う。こんな風かなぁ」と筋が出来あがってゆく。なかなかにスリリングな仕込みでした。衣装もオーバーオールにバスケットシューズ。(オーバーオールはさすがに暑く、夏には普通のジーンズに変更)…そうそう、わらの家は初演直前まで決まらず、前日になって劇団玄関で「傘」を見た時に「これだ」と思った丹下氏。その傘に布を張り、わら模様を描きました。それから、例によっての徹夜稽古があってからの初演でした。
最近ジイは、在団45年目に入った。入団した時分には、その後どの様な劇団活動をするか?など考えるべくもなかった。有難いことに、ジイの立ち位置や劇団の状況により、65歳定年後も4年間舞台に立てている。(定年はジイが運営委員長時代に、2代目代表の寛ちゃんの要望で決定した)さて、入団前後の話はしたが、直後の話をしましょう。
1月末に入団した直後は、「こぎつねコンとこだぬきポン」の舞台(テーブルケコミ)づくり。当時の幼保2班が合同で、「名古屋市子どものための巡回劇場」のために仕込んだ作品。テンヤワンヤで創ったため、オフィス用の長机代用で上演していた。それを上面を傾斜させた(専門用語では「八百屋」)組み立て式にせよ!との命が下る。何の指導もなく「作れ!」と言われる。…とにかく考え考え、ノミでホゾを穿ち…何とか一週間で作り上げた。今考えると、かなり稚拙な作りであった。
そんな日々、公演班が帰ってくると「むすび座ミュージカル」の稽古が始まる。2ヶ月後に上演する企画なのだ。ギリセーフの入団タイミングで「お前も舞台に立て」と言われる。夕食後、7時頃からイレギュラーな公演を目指しての稽古が始まるのでした。この企画、劇団の作品音楽を一手に引き受けてくださっていたK氏の発案。当時のスタッフ陣は、どの方も自分の劇団の様に思っていたようです。…で3月下旬、今はなき名演小劇場において「むすび座ミュージカル・まずはパートワン」の上演と相成りました。(パート2はありませんでした)因みにこの公演の当日パンフレット、半分はジイが作りました。ま、みんな数歳しか違わない仲間だったから。
そして劇団レパ作品の初演は・・・「友達になれるかな」作・演出/イレーシュ・アティラと、「三匹のこぶた」作・演出/丹下進、音楽/熊谷賢一。「友達」は動物たちが登場するオムニバス作品。ハンガリーの演劇大学卒であるアティラ氏の理論は、揺るぎないモノがあった。「雄鶏は茶色のマダラです。白はレグホンですから」…これは納得。「ウサギの目は青です。赤い目はありません」…そう?「ピンクは使いません。その色は、アメリカの色です」…これは、東ヨーロッパならではの考えでしょ。さて「三ぶた」は、脚本ナシ・丹下氏の口立てで稽古が始まる。立ち稽古が始まると「はい、そこで君は何て言うの?」「う〜ん、ちょっと違う。こんな風かなぁ」と筋が出来あがってゆく。なかなかにスリリングな仕込みでした。衣装もオーバーオールにバスケットシューズ。(オーバーオールはさすがに暑く、夏には普通のジーンズに変更)…そうそう、わらの家は初演直前まで決まらず、前日になって劇団玄関で「傘」を見た時に「これだ」と思った丹下氏。その傘に布を張り、わら模様を描きました。それから、例によっての徹夜稽古があってからの初演でした。
2025年02月17日
ウサジイの公演日記#1118
「ももん&カミナリ」は埼玉県志木おやこ劇場さんへ。新東名〜東名を走り、3時間ほどで海老名SAと順調。が、やはり首都高渋谷線は車が多く、止まったり動いたり…。大橋JCTで中央環状線に乗り換え北上。これまたかなりの混雑。板橋JCTで池袋線に乗り換え、ホッと一息の行程でした。外環状線・和光北で下り、〈昔からあるんだろうなぁ〉と思える曲がりくねった道を走る。で、予想通り5時間ほどで宿に到着。その日の夕食は、元劇団員のTさんとご一緒。隣町に住んでいて今回の劇場さんの会員なのだが、明日は本人に公演が入っており観られない…って訳で食事会。(そう、退団後も演劇活動に関わっているのです)
さて翌日、出会った劇場の皆さんはとっても元気。仕込み終わり〜打合せにも20人ほどが集まり、賑やかに進む。会員さんは60〜70人らしいが一般の方に呼びかけ、どうやら100人ほどの集客らしい。すると初めての方が多いわけで、どんな風に観て頂けるか?心配でもある。でなくとも、ホームグラウンド=幼保公演に比べて、劇場公演は緊張感がある。でも、緊張していては客席に伝わってしまう。「フツウ」であるようコントロール!ベルを鳴らしながらの開演…「何?」って顔と、笑いそうな顔が半々という所だろうか。ももんが登場すると会場はすっかり温まる。人形の力はスゴイ!
公演後には昼食交流会。絵本「ももん」人気で選んだが、「カミナリ」に心を揺らしてくださった方が多い…嬉しい。中には「2歳なんですが、カミナリカレーの方に集中していました」といった声も。(最近、保育士さんからも同じような話があり、解明したい件である)それから「この作品は3回目なんですが、子どもの成長によって観方が変化してるような気がする」…最初は5年前らしいから、確かに変わるんでしょうね。
ところで、開演直前に会場内でジイの名を呼ぶ者がいた、しかも愛称で。え?知合い?…記憶をたどると…あぁ知ってる。何度か会ったことのある方でした。最初は30年以上も前の西遊記シリーズだったんじゃないだろうか。その後もこの地域で何度か見て頂いたはず。嬉しい再会でした。
さて翌日、出会った劇場の皆さんはとっても元気。仕込み終わり〜打合せにも20人ほどが集まり、賑やかに進む。会員さんは60〜70人らしいが一般の方に呼びかけ、どうやら100人ほどの集客らしい。すると初めての方が多いわけで、どんな風に観て頂けるか?心配でもある。でなくとも、ホームグラウンド=幼保公演に比べて、劇場公演は緊張感がある。でも、緊張していては客席に伝わってしまう。「フツウ」であるようコントロール!ベルを鳴らしながらの開演…「何?」って顔と、笑いそうな顔が半々という所だろうか。ももんが登場すると会場はすっかり温まる。人形の力はスゴイ!
公演後には昼食交流会。絵本「ももん」人気で選んだが、「カミナリ」に心を揺らしてくださった方が多い…嬉しい。中には「2歳なんですが、カミナリカレーの方に集中していました」といった声も。(最近、保育士さんからも同じような話があり、解明したい件である)それから「この作品は3回目なんですが、子どもの成長によって観方が変化してるような気がする」…最初は5年前らしいから、確かに変わるんでしょうね。
ところで、開演直前に会場内でジイの名を呼ぶ者がいた、しかも愛称で。え?知合い?…記憶をたどると…あぁ知ってる。何度か会ったことのある方でした。最初は30年以上も前の西遊記シリーズだったんじゃないだろうか。その後もこの地域で何度か見て頂いたはず。嬉しい再会でした。
2025年02月12日
ウサジイの公演日記#1117
演劇が子どもの発達に良い影響をもたらす…学術的にも是とされている話ですが・・・。その日のお芝居が、その子の成長に確かな足跡を残した例に、何度か出会っています。でもそれは、ジイの長い公演生活でも何年かに一回。けれど最近もそんなことがあり、それはジイ達にフィードバックされて、幸せな気分にさせてもらっています。
東濃・土岐市のこども園で「ももん&カミナリ」の日。先生との上演打合せでは「入場が不安・人見知りの子は、予め下見して役者と触れ合ってください」と伝えている。すると衣装替えをした頃に、会場の前に先生と男の子の姿が見える。引き戸を開けて入ろうとしたが、直ぐに廊下に戻ってしまう。初めてのジイ達は警戒すべき存在なのだろう。おさんぽメンバーのCちゃんが「ワンワン」を取り出して見せる。(ワンワン=ウェルカム人形…註・参照)すると急に警戒心を解き、小躍りするように会場に入ってくる。そしてワンワンに近づいたり逃げたり。やがて先生が保育室に帰るよう促すが、そうはゆかない。Cちゃんのワンワンがエスコートして帰って行った。
さて上演。皆が一堂に会する催しには一度も来れなかった彼。上演が始まる頃には会場前に居り、自ら入って来てくれた。「ももん」は完璧に観劇。「カミナリ」は途中、出たり入ったりだったが、恐らく6〜7割は観られたんじゃないだろうか。…そして終演後、先生から感動の報告があった。言葉が遅れている彼。今まで園では「いや!」しか言えなかった。しかしこの日、初めて「はい!」と言ったらしい。先生は「おうむ返し的に言ったんです」「周りの先生もビックリ!」だという。想像するに「ももん」終盤・抱っこされて「た〜たん」と言うももんに「は〜い」と応えた場面じゃないかと思う。・・・なぜ彼がそこで言葉を発したのか?不明だが、何かしら感じるモノがあったのでしょう。先生「お帰りの時に、お母さんに伝えます」と嬉しそうでした。
※註:ウェルカム人形=観客入場時に、時々パフォーマンスする人形など。「ケンムン」ではロボット君、「コンポン」では松ぼっくり三兄弟、「ぐるんぱ」ではコロコロ(円筒形のオブジェ)でした。
東濃・土岐市のこども園で「ももん&カミナリ」の日。先生との上演打合せでは「入場が不安・人見知りの子は、予め下見して役者と触れ合ってください」と伝えている。すると衣装替えをした頃に、会場の前に先生と男の子の姿が見える。引き戸を開けて入ろうとしたが、直ぐに廊下に戻ってしまう。初めてのジイ達は警戒すべき存在なのだろう。おさんぽメンバーのCちゃんが「ワンワン」を取り出して見せる。(ワンワン=ウェルカム人形…註・参照)すると急に警戒心を解き、小躍りするように会場に入ってくる。そしてワンワンに近づいたり逃げたり。やがて先生が保育室に帰るよう促すが、そうはゆかない。Cちゃんのワンワンがエスコートして帰って行った。
さて上演。皆が一堂に会する催しには一度も来れなかった彼。上演が始まる頃には会場前に居り、自ら入って来てくれた。「ももん」は完璧に観劇。「カミナリ」は途中、出たり入ったりだったが、恐らく6〜7割は観られたんじゃないだろうか。…そして終演後、先生から感動の報告があった。言葉が遅れている彼。今まで園では「いや!」しか言えなかった。しかしこの日、初めて「はい!」と言ったらしい。先生は「おうむ返し的に言ったんです」「周りの先生もビックリ!」だという。想像するに「ももん」終盤・抱っこされて「た〜たん」と言うももんに「は〜い」と応えた場面じゃないかと思う。・・・なぜ彼がそこで言葉を発したのか?不明だが、何かしら感じるモノがあったのでしょう。先生「お帰りの時に、お母さんに伝えます」と嬉しそうでした。
※註:ウェルカム人形=観客入場時に、時々パフォーマンスする人形など。「ケンムン」ではロボット君、「コンポン」では松ぼっくり三兄弟、「ぐるんぱ」ではコロコロ(円筒形のオブジェ)でした。
2025年02月10日
ウサジイの公演日記#1116
【ウサジイ昔ばなし】〈129〉・・・雪(補遺)
雪道を走って公演に向かった車中での会話から思い出して・・・最近は雪道に出会わない年もあったりするが、数十年前には年に何度か降雪の日があった。今は心配な時期にスタッドレスタイヤに履き替える。が、その頃はチェーンを乗せてはいるものの、タイヤ交換は貧乏劇団には高嶺の花。11月下旬になると、各班ごとにチェーン装着訓練が行われた。公演地に向かう行程での素早い装着には、複数人の協力が必要。取り分け新人には念入りに教え込まれた。
それから走行テクニックも伝授。ローギアは馬力があり過ぎ、雪道では発進時に空転することがある。セカンド発進、トラックは場合によってはサード発進もあった。急ブレーキが何をもたらすか?公演からの帰り道、広い駐車場でやって見せる。当然後輪が横滑りするのだが、それを感じられるかが重要。タイヤの回転状況を実感できないと危険。…その意味もあって、ジイは長らくМT車にこだわっていた。(AT車・ノーマルタイヤの雪道は恐かったのです)
年に何度か装着することのあったチェーン。2tロングのトラックに巻くのは大変でした。しかも雪が少ないと直ぐに切れる。後輪ダブルタイヤの内側に落ちると取りにくくなる為、多少の雪では装着しない。ワゴン車は平地では、10分もあれば余裕。が、一度奥三河で大変な目に合った。峠に差しかかると、先を走っていたコンビニ配送トラックが引き返してきた。(これは厳しそう)と路肩でチェーンを着けだした。ところが坂道で、しかも凍結している為、ジイ自体が滑って車から離れてしまう。やむなく遠回りのルートを選択した…はずです。
雪道を走って公演に向かった車中での会話から思い出して・・・最近は雪道に出会わない年もあったりするが、数十年前には年に何度か降雪の日があった。今は心配な時期にスタッドレスタイヤに履き替える。が、その頃はチェーンを乗せてはいるものの、タイヤ交換は貧乏劇団には高嶺の花。11月下旬になると、各班ごとにチェーン装着訓練が行われた。公演地に向かう行程での素早い装着には、複数人の協力が必要。取り分け新人には念入りに教え込まれた。
それから走行テクニックも伝授。ローギアは馬力があり過ぎ、雪道では発進時に空転することがある。セカンド発進、トラックは場合によってはサード発進もあった。急ブレーキが何をもたらすか?公演からの帰り道、広い駐車場でやって見せる。当然後輪が横滑りするのだが、それを感じられるかが重要。タイヤの回転状況を実感できないと危険。…その意味もあって、ジイは長らくМT車にこだわっていた。(AT車・ノーマルタイヤの雪道は恐かったのです)
年に何度か装着することのあったチェーン。2tロングのトラックに巻くのは大変でした。しかも雪が少ないと直ぐに切れる。後輪ダブルタイヤの内側に落ちると取りにくくなる為、多少の雪では装着しない。ワゴン車は平地では、10分もあれば余裕。が、一度奥三河で大変な目に合った。峠に差しかかると、先を走っていたコンビニ配送トラックが引き返してきた。(これは厳しそう)と路肩でチェーンを着けだした。ところが坂道で、しかも凍結している為、ジイ自体が滑って車から離れてしまう。やむなく遠回りのルートを選択した…はずです。