2022年05月26日

ぶぶふぉと…ゆりぬしま

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ユ、ユリの香りが・・・!
この鼻には強すぎる。

※沖永良部島・笠石海浜公園にて
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2022年05月25日

ウサジイの公演日記#893

【ウサジイ昔ばなし】㉙・・・海外公演
むすび座の海外公演。その昔は欧米や中国での上演が何度かある。ジイの初海外公演は、2001年韓国・チュンチョン。その年が始まった頃、丹下進氏の友人であるカンさんから招聘の打診があった。カンさんは当時、その地の人形劇祭実行委員会を担っていたのです。好条件でもありOKしたが、どういう流れでジイたちの作品になったかは忘れた。(なおジイも、カンさんには公演先の広島県で、1980年代半ばにお会いしていた)
ともあれ、上演について向こうの担当者との打ち合わせが始まる。作品は「まっくろネリノ」と「ぶんぶく茶がま」言葉は日本語で可・人形のほか、音源と幕類は持ち込・蹴込み的な道具、幕を張る骨は韓国側が作る・等々。製作依頼する道具類は、かなり細かな設計図を描き、メールで送った。幕類を立てるための鉄製ベースの有無が不明なため、箱馬を用意していただき釘打ちすることに…。「ぶんぶく」の道具・竹の柱も持って行けず、見た目同じ大きさの板に色塗りを依頼。「ネリノ」の立ちものの柱は長いので、半分に切り現地で接合の計画。かくして同年の飯田人形劇フェスタで公演後、一日を置いて出発。
中部国際空港が無かった時代、名古屋空港(小牧市&豊山町)へ向かう。荷物の内容チェックのゲートは、縦横1mの四角い枠。ギリ通る荷物を作ったが、手作りの木箱は怪しいようだ。「開けても良いですか?」拒否するわけにもゆかない。予想をしてネジ止めを外して確認、OK。他の荷物は手荷物扱いギリギリで積み込み、韓国へと飛び立ちました。…つづく。
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2022年05月23日

ウサジイの公演日記#892

5月に入り、公演が増えてきた。連休明けに地元の幼保公演。中旬に「ももん&カミナリ」で高知市こども劇場さんへ。往復1000kmを走って名古屋へ帰り、荷物を積み替えて「ともだちや」で九州にやってきました。初日は小郡市の劇場公演。入り時間まで余裕があり、太宰府天満宮に寄る。好天もあってか、かなりの密状態。こんな状況が普通になると良いなぁ。さて公演は、とっても集中した客席に圧倒されるようなジイたち。
公演後にミニ交流会。大人中心で深いお話が聞けた。*お芝居を観ているうちに「ともだち」というキーワードから、学生時代の親友グループを思い出した。もう何十年も連絡を取っていないが、再会してみようと思った。*小学生の時に転校して、友だちが作れなかった。自傷的な行動で気を引こうとした。結局ひとりの友達ができた…ことが思い出された。*キツネ君は「ともだち」を商売にしてオオカミに怒られるが、その行動が友達を作ったのだ。これはこれで評価できる。・・・など、子どもの感想とは違う視点で、興味深かった。
翌日は春日市で、春日・大野城・那珂川の方々に観ていただいた。福岡市の南部に連なる地域で、なかなかに元気な子たちが多い。ジイが「ここは、どこ?」と問い「森!」と返答からお芝居は始まる。が、この日はジイが「さて、こ…」と言いかけただけで「もり〜!」何となく雰囲気で判ったんですね。前半ラスト、キツネが忘れた幟をオオカミが「お〜い忘れ物」と呼びかける場面。会場から極めて冷静な声で「大丈夫だよ、明日も来るんだから」…なるほど、その通り。後半冒頭、コダヌキが「キツネさんと遊びたいな。でもオオカミさんがいるしな」と悩んでいる。最前列の女の子が「はい、はい!」と手を挙げる。どうやら、友達に立候補しているらしい。そんなこんな反応が多いステージでした。
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2022年05月22日

ウサジイの公演日記#891

【ウサジイ昔ばなし】㉘・・・旅の宿
前回登場「ガリヴァー」の仙台。免停騒動の後、夕刻、宿に到着。車を止めると、旅館の窓から中学生が顔を出して、こちらを見ている。「何事だ」というようなざわつきの中、帳場へ行くと「は?聞いておりませんが」…なんと、予約忘れでした。しかも修学旅行の生徒で満室。といって、どこか別の宿を探すのも考えなかったのです。大広間的な部屋を用意していただき、そこに泊まることになりました。
ジイ30代前半は圧倒的に旅館が多かった。ほとんどの場合夕食が付く。広島県のある旅館、おばちゃんが一人で食事を作っていた。家庭的な食事がつく嬉しい宿です。連泊の二日目、公演に出かけるジイたちに「今日はカレーと…あと何にする?」リクエストに応えてくれるのです。答えに迷っていると「オデンだ、オデンが良い」と勝手に決め、何だか不思議なメニューになりました。
旅館さんの好意でお酒の差し入れがあったりもした。新潟市・N旅館では「越乃寒梅」。福岡市・W旅館では「伊佐美」こちらは鹿児島産ですが、おばちゃんの実家よりでした。・・・平均年齢30そこそこの劇団員は、可愛い子どものようだったとか?
そのうちホテルも増えてきたが、まれに怪しげな宿もあった。関東地方と九州で出会ったピンク色の漂う部屋。一方はフロントが駅の券売所のような様式で、しかも互いの顔が見えない構造になっている。もう一方は個室に風呂がついているのだが、寝室エリアとの間の壁にマジックミラーがはまっていて、外から覗けるようになっている。何かの事情で、商売替えをしたんですね。でもハードが間に合わなかったのでしょう。
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2022年05月20日

ウサジイの公演日記#890

【ウサジイ昔ばなし】㉗・・・反則切符
最近は劇団内で、交通違反の話題をほとんど聞かない。これが本来あるべき姿で、ジイ世代の若かりし時代こそ反省すべきなのでしょうが・・・何十年も前のこと、なにがしかの償いはしておりますのでご容赦を。
まずはジイ自身の反則歴。今でこそゴールド免許証ですが、実は2回も免停を食らっている。一回目は、スピード違反の一発免停。三重県南部42号線を深夜走行中、カメラで撮られた。後日愛知県警から呼び出しがあり、最寄りの警察で事情聴取。行政処分の免停のほか、刑事犯として指紋を採られ、交通裁判所で審理。結果「2週間の懲役または罰金3万円」当時の月給は6万円で、本当のところ懲役に行きたかったのだが、公演があるため罰金を納めた。二度目はシートベルト等の累積。…それから一度更新を忘れていて、講習&再発行を経験。
1980年代前半「ガリヴァー」東京から仙台への移動時。そもそも寄せ集め所帯のような公演班で、2台の車両が連なって走るような習慣はなかった。馬力のないトラックは置いてけぼりになりがち。ようやく目的地最寄りインターで下り「さてワゴン車はどこ?」(…携帯はありません)しばらくの後、途中で休憩していたワゴンが到着…するや否や、乗車メンバーの笑顔と共にトラックを追い越し走り去る。またしても置き去りか!と憤慨した時、向こうで検問にかかるワゴン。スピード違反でした。おまけに運転手は、30日免停を講習で1日に短縮中の者。反省なしと、60日免停になりました。
多分、1980年代半ば「石の馬」の頃、公演ではなくどこかへ移動していた時だと思う。ワゴン車の荷物スペースは空いていた。走行中眠くなったのか、メンバー一人がそのスペースに移動し横になった。取り立てて困ることもないし、そのまま走行。やがて行く先に交通検問。後部荷台を見、横たわる者を見た警官「あ〜、乗車装置のない所には乗れないんですよ」罪のない運転手が、反則金を納めることになりました。
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2022年05月19日

ウサジイの公演日記#889

【ウサジイむかし話】㉖・・・いつの話?
旅公演先で、時々冗談で言うセリフ。車の走り方の差異に関して…「ま、海外だからね」本州以外の地方には、海を渡って来ているから、てな意味です。しかし南の方では、本当に国内とは思えないような事態にも遭遇した。20年以上前の話ですから、もちろん今ではあり得ないことなんですが・・・。
2000年頃「ぶんぶく茶がま」(3人班時代)、鹿児島県でのこと。ツアーの日程上、荷物を積んだ車両を無人航送で島へ送り、役者は飛行機で向かう必要があった。市内の交通に不案内なまま、車を船の乗せて見送った。さて我々も空港へ!と言う段になって、空港バスまで行く方法が判らない。で、埠頭の片端で商売をしているオバちゃんに、バス停の場所を聞く。オバちゃん「チョット待ってて」と言い、どこかへ行く。やがてオッチャンを連れて来て「この人が乗せてくれるって」が、その車は営業車ではなく、荷物用の軽ワゴン。つまり「白タク」なのです。背に腹は代えられず乗り、発車。車中で「駅まで?空港でも\@@@@で行けるよ」丁重にお断りし、駅の空港バス停に下ろしていただきました。ちなみに領収書の但し書きには「搬送料」足がつくと困るのでしょうね。
その更に10年ほど前「カダオの子」(かな?)沖縄から船で島伝い、奄美大島に移動した時のこと。乗船しようと待合所に居ると、オバちゃんが手招きする。(またしてもオバちゃん。手招きかどうか定かでないが、そんな感じだった)メンバーと共に行くと、何やら怪しい話が始まる。〈洋酒を運んでほしい、お礼はする〉=経済特区からそれ以外へ持ち出すと関税がかかる。しかし、個人が2本までなら無税で持ち出せる。それを組織的に行って、利を得ようと言うわけだ。観光客ではなさそうなグループに、目をつけたのだろう。ただ、その返礼が当然ながら僅かなので、お断りしました。持ち逃げするとは、考えないのでしょうか?ある意味、平和な世界ですよね。
posted by むすび座メンバー at 17:07| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月18日

ぶぶふぉと…高知

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カンザシ?ボクも無理。
※はりやま橋にて
posted by むすび座メンバー at 22:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月17日

ウサジイの公演日記#888

【ウサジイ昔ばなし】㉕・・・怪しい…
服装がそう思わせるのか?雰囲気がなじんでいるのか?旅公演先で、しばしば道を尋ねられる。確かにラフな格好でフラフラしてるから、暇な地元民に見えるのだろう。しかし見方を変えれば、普通じゃないわけで・・・
あるスタッフの元へ、ご挨拶に向かった時のこと。5名程で、ほとんど男性だった。首都圏の賑やかな駅を降り歩いていると、後ろから声を掛けられた。「チョットいいですか」と言ったのは警察官。我々は「?」どうも不審なグループに見えたようだ。パンパンに膨らんだウェストポーチの者に「中を確認させて頂けますか?」確かに尋常でない膨らみよう、怪しんでも仕方がない。で、中から小型のナイフが出てくると「これは何に使うんですか?」…「様々なことに使うが、人形劇をやってるので、工具的に携帯している」などと説明し…他のメンバーが「私も、ほら」と次々と出して見せる。どういう訳か、たまたま全員が持ってたんです。それはそれで怪しくもありますが、警察官は「は、判りました。では、お気をつけて」と去って行った。
1980年代半ば「石の馬」で瀬戸内を巡演中。朝食前に、海を見ようかと散歩に出かけた。宿直ぐの駅前に差しかかると、警察官から声がかかる。「チョット交番まで来てもらえますか」意外な言葉に「は?どういうことです?」驚いたことに、指名手配の顔写真に似ていると言う。少々ムッとし「任意ですか?」と確認したうえで同行する。交番へ行き「どの顔でしょう?」示された顔は似ているとは思えず、しかも「小指欠損」とある。つまり指をつめているのだ。決定的な違いを指摘し、若かりしジイはステゼリフ「こんなことで嫌われないと、良いですね〜」
1990年頃かな?大阪市の定宿には、2tロングのトラックは駐車できなかった。近隣(とは言えない?)のパーキングに止めに行くのだが、そのルートが大阪城の中を通っている。その日は市内で国際的な会議があり、市中に警官も多かった。夜の公演を終え、10時過ぎの大阪城内。数人の警官に停車を求められたトラック。窓を開けると「積み荷は何ですか?」「人形劇の人形と道具です」「中を確認させてもらえますか?」いい加減疲れていたジイは「いいですけど、バールとか鉄パイプとかもありますよ」(正確にはバトン用のアルミパイプ)後から思えば、危ない挑発的発言。もちろん問題なしではありました。
posted by むすび座メンバー at 07:18| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年05月16日

ウサジイの公演日記#887

【ウサジイ昔ばなし】㉔・・・痛っ!・もうひとつ
思い出しをしていると、思わぬ思い出も出てきて・・・1990年代前半「西遊記」で四国のおやこ劇場を巡演中。公演班はワゴン車とトラックの2台で移動する。ジイ運転のトラック、助手席に座る先輩の様子がおかしい。息が荒い…やがて「あ〜痛っ、ダメだ!」わけも分からず、取り合えず車を止める。後ろを走るワゴン車も停止し、皆で状況を聞く。…腹部に激痛が走るとのこと。普段から我慢強い彼のことだから、相当のことなのだろうと、病院へ向かうことにする。
最寄りの病院は一昨日公演した街にあった。(携帯もスマホもない時代、地図だけが頼りでした) 病院はやや混んでいたが、苦しがる先輩を気にかけた看護師さんが事情を聞いてくれる。なんとこの看護師さん、先日のお芝居を観てくれた方で、優先的に診てもらえるよう医師に掛け合ってくれた。で、診断結果は「腸閉塞」すぐに手術しないと大変なことになると告げられる。しかし、その医院では対応できない。救急車を呼んで、地域の総合病院へと移送される。他に誰もいないので、ジイが付き添うことになる。着いた先では「家族の方ですか?」…旅公演中で同僚だと伝えると「では、あなたが同意書にサインしてください」他に選択肢はなく、手術を依頼した。
携帯のない時代、どうやって連絡を取ったか定かではないが…おそらく劇団事務所をセンターにして、公衆電話で連絡したのだろう。先輩の家族に連絡を取ってこちらに来る算段をとり、当日の公演先に向かう。着くと公演先の劇場さんは、既に劇団からの事情説明を聞いていて、延期を快諾してくださる。さて劇団では「手術」を聞いた直後に対策に動いた。他部署ではあるが役者経験アリの者を四国へ向かわせた。と同時に現地の公演班は、公演で使う予定だったホールを借り、入れ替え稽古を始めた。一人足りない部分は出来れば省略、でなければやって来るメンバーに頼む予定で…。
こんな時は集中力が高まるのか、その日のうちになんとかし、翌日移動して次の公演は無事できました。なお延期になった公演は、しばらくの後、中国地方ツアーの際に四国へ回ってこれも無事完了。数年前に瀬戸大橋と高知道が出来ていて助かった!
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2022年05月15日

ウサジイの公演日記#886

【ウサジイ昔ばなし】㉓・・・仕込み・また
1980年代初頭「ガリヴァー」は幼保公演2班+αの9人編成。当時の幼保班は、平日は午前午後の移動2ステージが普通。公演を終えて劇団に帰ると、夕方から稽古が始まる毎日だった。演出の関矢幸雄氏は昼間の間、作品の構想を練り、公演班を待ち構えていた。おそらく初演直前の期間は仕込みに専念したと思われるが、それでも初演前日からは徹夜!公演地・伊勢市までは、小学校公演班のメンバーが運転する車の中で爆睡していました。
1980年代中盤「雪をんな」の仕込みも忘れられない。幼保公演が終わると、稽古場である名演会館へ向かう。というのも、初演は名演会館との共同制作。和紙製の人形操演に三味線の弾き語りというスタイル。その三味線さんが忙しい方だったのか?9時ごろにならないと全体稽古が始まらない。その日が終わる頃に稽古終了。すると「粋」な方だったのか、和楽器の世界の常識なのか?「チョットやってく?」(飲もうよ)…結局、午前様になり、翌早朝から幼保公演にという日々でした。
その直後に「悟空誕生」「西遊記」を一作にまとめた「Monkey King」がカナダへ。ジイは見送り側でしたが、道具作りでサポートすることになる。取り分け苦労したのは「字幕」。活劇ゆえ英語での上演は難しく、主だったセリフを布に描き、それを舞台前に表示しようと考えた。この布に絵具は意外と面倒で、遅々として進まない。工房にこもって夜通し描き続け、上演メンバーがやって来る朝9時にその場で寝る、ような日々が続き、ラスト一週には誰かが「純正カフェイン」なるモノを持参。これ、確かに寝ないんですが、頭は起きて体は眠る。目の前の自分の手が持つ筆が、思うように動かない。・・・この字幕、諸々の理由で実際には使用されることがなかったようです。
このような大きな仕込みの手伝いで、ありがちなこと。1980年代終盤「悟空誕生」ラストに悟空を捕獲すべく「天軍」が出動する。兵隊は3人を横につなげて操作するシステム。簡単な作りだったのか?前日になっても実物は出来てなかった。で、初演には間に合わせようと、当日出来上がるや否や会場へ運ばれた。しかし、その日その人形は登場することなく帰ることになった。・・・見たことのない人形を気に掛ける者はいなかった、ということです。
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